孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない

傷に触れる午後

午後、オフィスの空気が少し重く感じられたのは、きっと自分の気持ちのせいだと紬は思った。

再び、人事課からセクハラ被害についてのヒアリングを行いたいと申し出があった。
片山を通して指定された時間は、ちょうど午後の業務が一段落する頃。
彼女は書類を閉じてペンを置き、静かに立ち上がると、ゆっくりと人事課のあるフロアへと歩き出した。

(また、あの話をするのか……)
淡々と歩を進めながらも、心の奥にじわりと広がるざわつきに、紬は気づいていた。
嫌な記憶。掘り返されるたびに、少しずつ、呼吸が浅くなるような感覚。

会議室の前に立ち、軽く息を吸ってからノックする。
「失礼します」と言って扉を開けると、中にいたのは女性担当者たちだった。

だが、前回のような事務的な冷たさはなかった。
どこか柔らかく、そして少し心配そうな面持ちで彼女たちは紬を迎えた。

「成瀬さん、お時間ありがとうございます。こちらへどうぞ」

その言葉に、紬はわずかに肩の力を抜く。
相手の表情に、ほんの少し救われる気がした。

けれど、心拍はまだ静かにはならない。
再び記憶を手繰ることのしんどさが、喉元にじっと居座っているのを、紬は自分でちゃんと感じていた。
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