初めまして皇帝陛下。どうぞ離婚してくださいませ〜3年放置された花嫁は離婚を突きつける〜
第八章 后教育
「アッヘンバッハ王国と違って、ロイエンタール帝国は領土が格段に広いのよね」
なんだか一時優しくしてくださった皇帝陛下、そして家族として仲良くなっていくクリスティーナさまとハンスには心苦しい。けれど私は、皇帝陛下との誓約をしてから、自由に気楽に外に出て生きていきたい思いは依然強いままだった。
あれから皇帝陛下は夜の訪れはあるものの、昼間は政務にかかりきりで滅多に顔を合わすこともない。
そうなのだとしたら、やっぱり私、一年経ったらいらないですよね? 離婚で良いと思いません? お互いに興味がないということですもの。それに子供が欲しいというのならば、他の女性をおすすめしても良いですし。
『人質』としての私が必要だ、というのなら、婚姻関係だけは終わりにして、私を帝国か帝国の影響力が及ぶ国内に留め置いておいてくれればいい。最悪離宮暮らしでも良い。監視を付けるというならそれでもいいだろう。
「ひとりで生きたいとなると、どこへ行っても生きていける知識が必要になるわね」
もちろん、書物で得られる知識は図書館で得ることができる。でも、礼儀作法や舞踏、楽器、言語の発声やヒアリングは、実際の物を見聞きして自らの体を使ってみないと習得出来ないものだ。それはアッヘンバッハ王国での妃教育を経験しているから身に染みて知っていた。
ちなみにアッヘンバッハ王国に戻るという選択肢は私の頭の中にはなかった。
「妃教育……いえ、私は皇后だから、后教育をお願い出来ないか頼んでみましょうか」
そこで、まずは身近なクリスティーナさまに相談してみることにした。
もちろん、本当の理由など言わない。
表向きの理由は、皇后としてしっかりとした知識を得たいというものだ。
「まあ、立派な志をお持ちなのね、コルネリア。でも、皇后に対する教育にはそれ相応の費用がかかるわ。あなたはアッヘンバッハ王国で妃教育を習得済みなのよね? それでもさらにこちらでの后教育を望んでいる……」
うーん、とクリスティーナさまが軽く悩む。
「皇后にかかる費用を増やすことまでは、私には口出しが出来ないから……そうねえ。ちょっと待っててちょうだいね」
そうして紹介されたのは、なんと国の官吏の中ではトップの宰相であった。
「なんとなんと。皇后陛下御自ら、我が帝国のことを知りたいと后教育を願い出てくださるだなんて。なんと勉強熱心なお方でしょう。これで皇帝陛下との間に御子がお生まれになれば、このロイエンタール帝国に恐れるものはございません」
そこまで言ってもらってしまうと、私の心が少し痛んだ。
──ごめんなさい、あなたが願う子供は、私たちの間には多分出来ないかもしれないわ。
だって、夜の営みはあるものの、契約は一年。前世でも、中々子に恵まれない夫婦というものはいた。私たちだってその部類かもしれない。
なぜなら、あれ以来毎日のように陛下が夜に訪れてくるけれど、子が出来る気配はちっともないんだもの。
◆
「后教育を受けたい?」
始めにそれを聞かされたときに、驚いた声を上げたヴォルフだった。
「あの女はアッヘンバッハ王国で妃教育を終えているのであろう? それ以上に学びたいと申しているのか?」
「そうでごさいます。なんでも、アッヘンバッハ王国と違って帝国が治める国はもっと多い。ですから、その国々のことまでよく学んでおきたいと。……まったくもって、皇后陛下は后の鏡にございます。ですので、ぜひ、予算を付けたいところでございます」
宰相のライマーが感動混じりに進上する。
「あちらの国での妃教育と被るところもあるだろうが……、やらせて損はないだろう。許す。やるからにはしっかり予算を付けて、最高の教育者を付けてやれ」
ヴォルフはライマーにそう命じた。
「ありがとうございます!」
許可を得て、さっそくとばかりにライマーは教育者選びに奔走するのだった。
◆
ライマーはたいそう喜んで、上、つまりは皇帝陛下からの命令でさっさと予算を付けてくれた。そして、トップともなると仕事も早い。帝国中から名だたる教育者たちが集められたのだ。
さすが帝国のトップの宰相であるライマーが集めただけのことはある。素晴らしい教授方ばかりだった。
そうして今は、属国の内のひとつであるアーベンロート語の勉強をしているところだった。
ちなみに私は、既に図書館で辞書を使って本を読んで、帝国内の属国の読み書きまで習得していた。『深奥の図書館』のおかげで、人のそれより学習速度が速かったからである。
「なんと、皇后陛下。読み書きはもうお済みなんですか!」
帝国の属国は現状で大きい国で十近い。小国を入れたらさらに増える。それらの言語を私が既に覚えているということに、教授が舌を巻いた。
「ええ。宮殿の図書館の辞書を使ってある程度勉強したのです。けれど、いざその国の方とお話しするとなると、言葉を聞けないといけないし、お話し出来ないといけないでしょう? それがまだ全然出来ないのです。ですから、教授のお力をお借りしたくて……」
正確に言えば、どこに行っても生きていけるように、なのだけれど、そこはそこ。私は健気な后を装って教えを請う。
「もちろんです、皇后陛下! こんな熱心な皇后陛下が我が国に輿入れくださったこと、国民みなの喜びです! 私の持ちうる全ての知識を持って、皇后陛下の願いを叶えて差し上げますとも!」
そうして私の后教育が始まった。
始めると同時に、教授たちの間から「皇后陛下の学習能力は、まるで打てば響き、植物が水を吸い込むかのようだ」と口々に褒めそやす声が上がる。
それは、『深奥の図書館』のおかげだった。『深奥の図書館』は、何も図書館の本にだけ適応される物ではない。耳から聞くもの、口から発声するもの、指を動かして奏でるもの、足を動かして踊るもの。そういったものも、その体の動かし方が脳に吸い込まれていくのだ。
──神様、ありがとうございます。
私は神さまに感謝した。『深奥の図書館』は、私がこの世界で生きやすいようにと神様が与えてくださったものだったからだ。しかも異世界転生のときにお話しした神様が言うには、その力は私以降、血で継がれていくのだという。
それにしても、アッヘンバッハ王家はバカなことをしましたよね。これは血によって継承されるものなのだもの。私を最初の決め事どおりに妃にしておけば、その子供によってこの能力が王家に伝わったかもしれないというのに。
アッヘンバッハ王家は、『深奥の図書館』を唯一保持し、継承出来る可能性を持った私をむざむざ国外に出したことになるのだ。
──とはいっても、一年間で皇帝陛下との間に子供が出来る保証もないのですけれど。
私でこの才能も終わってしまうのかしら、などと考えなから、でもその恩恵にあずかりながら、私は水を吸うように知識を吸い込んでゆくのだった。
そうして勉強していると、ときどき、勉強時間の終わりを見計らったかのようにひょっこりとハンスが私の部屋に顔を出すようになった。
「お義姉さまは、とても頭が良いって、お母さまから聞いたの」
そう言って、じっと私を上目使いで見あげてくる。
これは何か言いたいことかお願いしたいことがあるのだろうと思って、しゃがみ込んで目の高さを合わせてあげる。
「どうしたの? 何か、お願い事かしら?」
すると、ハンスはもじもじしながら手に持っていた本を差し出した。
「うん、僕、あんまりお勉強が得意じゃなくって」
「そうだったのね」
「でね、復習したいんだけど。……いっしょにしてほしいの」
いじらしくお願いする様子が愛らしくて、思わず私はハンスを抱きしめた。
「もちろんよ! 一緒にお勉強しましょう」
そうして、自分の勉強を進めるとともに、ハンスのお勉強を見てあげるようになったのだった。それをクリスティーナさまも喜んでくださった。
陛下は相変わらず執務がお忙しいようで、夜以外に接点はない。
けれど、私は新しい土地でクリスティーナさまとハンスという新しい家族と楽しく生活を送っていた。
なんだか一時優しくしてくださった皇帝陛下、そして家族として仲良くなっていくクリスティーナさまとハンスには心苦しい。けれど私は、皇帝陛下との誓約をしてから、自由に気楽に外に出て生きていきたい思いは依然強いままだった。
あれから皇帝陛下は夜の訪れはあるものの、昼間は政務にかかりきりで滅多に顔を合わすこともない。
そうなのだとしたら、やっぱり私、一年経ったらいらないですよね? 離婚で良いと思いません? お互いに興味がないということですもの。それに子供が欲しいというのならば、他の女性をおすすめしても良いですし。
『人質』としての私が必要だ、というのなら、婚姻関係だけは終わりにして、私を帝国か帝国の影響力が及ぶ国内に留め置いておいてくれればいい。最悪離宮暮らしでも良い。監視を付けるというならそれでもいいだろう。
「ひとりで生きたいとなると、どこへ行っても生きていける知識が必要になるわね」
もちろん、書物で得られる知識は図書館で得ることができる。でも、礼儀作法や舞踏、楽器、言語の発声やヒアリングは、実際の物を見聞きして自らの体を使ってみないと習得出来ないものだ。それはアッヘンバッハ王国での妃教育を経験しているから身に染みて知っていた。
ちなみにアッヘンバッハ王国に戻るという選択肢は私の頭の中にはなかった。
「妃教育……いえ、私は皇后だから、后教育をお願い出来ないか頼んでみましょうか」
そこで、まずは身近なクリスティーナさまに相談してみることにした。
もちろん、本当の理由など言わない。
表向きの理由は、皇后としてしっかりとした知識を得たいというものだ。
「まあ、立派な志をお持ちなのね、コルネリア。でも、皇后に対する教育にはそれ相応の費用がかかるわ。あなたはアッヘンバッハ王国で妃教育を習得済みなのよね? それでもさらにこちらでの后教育を望んでいる……」
うーん、とクリスティーナさまが軽く悩む。
「皇后にかかる費用を増やすことまでは、私には口出しが出来ないから……そうねえ。ちょっと待っててちょうだいね」
そうして紹介されたのは、なんと国の官吏の中ではトップの宰相であった。
「なんとなんと。皇后陛下御自ら、我が帝国のことを知りたいと后教育を願い出てくださるだなんて。なんと勉強熱心なお方でしょう。これで皇帝陛下との間に御子がお生まれになれば、このロイエンタール帝国に恐れるものはございません」
そこまで言ってもらってしまうと、私の心が少し痛んだ。
──ごめんなさい、あなたが願う子供は、私たちの間には多分出来ないかもしれないわ。
だって、夜の営みはあるものの、契約は一年。前世でも、中々子に恵まれない夫婦というものはいた。私たちだってその部類かもしれない。
なぜなら、あれ以来毎日のように陛下が夜に訪れてくるけれど、子が出来る気配はちっともないんだもの。
◆
「后教育を受けたい?」
始めにそれを聞かされたときに、驚いた声を上げたヴォルフだった。
「あの女はアッヘンバッハ王国で妃教育を終えているのであろう? それ以上に学びたいと申しているのか?」
「そうでごさいます。なんでも、アッヘンバッハ王国と違って帝国が治める国はもっと多い。ですから、その国々のことまでよく学んでおきたいと。……まったくもって、皇后陛下は后の鏡にございます。ですので、ぜひ、予算を付けたいところでございます」
宰相のライマーが感動混じりに進上する。
「あちらの国での妃教育と被るところもあるだろうが……、やらせて損はないだろう。許す。やるからにはしっかり予算を付けて、最高の教育者を付けてやれ」
ヴォルフはライマーにそう命じた。
「ありがとうございます!」
許可を得て、さっそくとばかりにライマーは教育者選びに奔走するのだった。
◆
ライマーはたいそう喜んで、上、つまりは皇帝陛下からの命令でさっさと予算を付けてくれた。そして、トップともなると仕事も早い。帝国中から名だたる教育者たちが集められたのだ。
さすが帝国のトップの宰相であるライマーが集めただけのことはある。素晴らしい教授方ばかりだった。
そうして今は、属国の内のひとつであるアーベンロート語の勉強をしているところだった。
ちなみに私は、既に図書館で辞書を使って本を読んで、帝国内の属国の読み書きまで習得していた。『深奥の図書館』のおかげで、人のそれより学習速度が速かったからである。
「なんと、皇后陛下。読み書きはもうお済みなんですか!」
帝国の属国は現状で大きい国で十近い。小国を入れたらさらに増える。それらの言語を私が既に覚えているということに、教授が舌を巻いた。
「ええ。宮殿の図書館の辞書を使ってある程度勉強したのです。けれど、いざその国の方とお話しするとなると、言葉を聞けないといけないし、お話し出来ないといけないでしょう? それがまだ全然出来ないのです。ですから、教授のお力をお借りしたくて……」
正確に言えば、どこに行っても生きていけるように、なのだけれど、そこはそこ。私は健気な后を装って教えを請う。
「もちろんです、皇后陛下! こんな熱心な皇后陛下が我が国に輿入れくださったこと、国民みなの喜びです! 私の持ちうる全ての知識を持って、皇后陛下の願いを叶えて差し上げますとも!」
そうして私の后教育が始まった。
始めると同時に、教授たちの間から「皇后陛下の学習能力は、まるで打てば響き、植物が水を吸い込むかのようだ」と口々に褒めそやす声が上がる。
それは、『深奥の図書館』のおかげだった。『深奥の図書館』は、何も図書館の本にだけ適応される物ではない。耳から聞くもの、口から発声するもの、指を動かして奏でるもの、足を動かして踊るもの。そういったものも、その体の動かし方が脳に吸い込まれていくのだ。
──神様、ありがとうございます。
私は神さまに感謝した。『深奥の図書館』は、私がこの世界で生きやすいようにと神様が与えてくださったものだったからだ。しかも異世界転生のときにお話しした神様が言うには、その力は私以降、血で継がれていくのだという。
それにしても、アッヘンバッハ王家はバカなことをしましたよね。これは血によって継承されるものなのだもの。私を最初の決め事どおりに妃にしておけば、その子供によってこの能力が王家に伝わったかもしれないというのに。
アッヘンバッハ王家は、『深奥の図書館』を唯一保持し、継承出来る可能性を持った私をむざむざ国外に出したことになるのだ。
──とはいっても、一年間で皇帝陛下との間に子供が出来る保証もないのですけれど。
私でこの才能も終わってしまうのかしら、などと考えなから、でもその恩恵にあずかりながら、私は水を吸うように知識を吸い込んでゆくのだった。
そうして勉強していると、ときどき、勉強時間の終わりを見計らったかのようにひょっこりとハンスが私の部屋に顔を出すようになった。
「お義姉さまは、とても頭が良いって、お母さまから聞いたの」
そう言って、じっと私を上目使いで見あげてくる。
これは何か言いたいことかお願いしたいことがあるのだろうと思って、しゃがみ込んで目の高さを合わせてあげる。
「どうしたの? 何か、お願い事かしら?」
すると、ハンスはもじもじしながら手に持っていた本を差し出した。
「うん、僕、あんまりお勉強が得意じゃなくって」
「そうだったのね」
「でね、復習したいんだけど。……いっしょにしてほしいの」
いじらしくお願いする様子が愛らしくて、思わず私はハンスを抱きしめた。
「もちろんよ! 一緒にお勉強しましょう」
そうして、自分の勉強を進めるとともに、ハンスのお勉強を見てあげるようになったのだった。それをクリスティーナさまも喜んでくださった。
陛下は相変わらず執務がお忙しいようで、夜以外に接点はない。
けれど、私は新しい土地でクリスティーナさまとハンスという新しい家族と楽しく生活を送っていた。