初めまして皇帝陛下。どうぞ離婚してくださいませ〜3年放置された花嫁は離婚を突きつける〜

第十七章 出産

「あっ!」

 医官から言い聞かされていた、出産のときが近づいている兆候が現れた。

「……マリア、産婆を呼んでちょうだい。そろそろ、みたいなの」

「はっ、はい!」

 マリアにしては慌てた様子で、足早に部屋をあとにした。そうして、廊下を駆けていく足音が聞こえた。出産は男子禁制。医官のヘミングは頼れない。産婆と侍女たちだけが頼りだった。

「ご用意したお服にお着替えいただきますね」

 マリアの配下の侍女の手によって、出産によって汚しても構わない服に私は着替えさせられる。彼女たちも、わたわたとして、私を着替えさせるのに手間取っているようだ。

「ふふっ。慌てているわね」

 でも、私自身、ドキドキしていた。

 出産は女にとって命がけなのだと聞く。大切なヴォルフの子、ロイエンタール帝国の皇帝陛下の初子を、私は無事に産み落とすことが出来るのだろうか。

 そうして待っていると、クリスティーナさまとマリアと産婆、子の乳母なるという女性、そして、分娩椅子や布類、水の入った大きめの桶などを持った侍女たちがぞくぞくとやってきた。その準備にも時間がかかる。

「皇后陛下、ご安心ください。この産婆のマルグリットがおります。無事に御子をお産みになられるよう、最大限力を尽くします」

「そう。よろしくね、マルグリット」

 私は、ようやく始まった陣痛に、少し顔をしかめながら答えた。

 私は侍女の手で分娩椅子に移動させられ、足を大きく開かされる。

「初産だけあって御子の出口が狭いですね。まだお時間がかかりそうです」

 まだ、頭も見えないと聞かされて、私は気が遠くなる。そんな私の手を、マリアがぎゅっと握ってくれていた。反対の手はクリスティーナさまが握っていてくれる。

 そうして何度もいきんでは吸ってを繰り返していると。

「ンン──ッ!」

 私はひときわ強い痛みを感じて、大きい声を上げる。

 ──辛い、辛いわ!

 無痛分娩なんて贅沢は言わないから、せめて会陰切開くらいはして欲しい!

 このままじゃ、私、裂けてしまうわ~!

 私は心の中で叫ぶけれど、そんなことをお願い出来るわけもなかった。

「大丈夫。頭が見えて来ましたよ!」

 産婆が励ましの言葉をかけてくれた。

 良かった、幸いにして逆子とかいうわけではないようだ。

「……あと、もう少し……」

「そうです。大きく息を吸って、吐いて……、いきんで!」

「ああっ!」

 私は下腹部に力を込める。

 そうしてしばらくしたあと。

「おぎゃあ! おぎゃあ!」

 甲高い赤子の泣き声が聞こえてきた。

「皇后陛下、男の御子でございます。銀の髪の美しい皇子さまのご誕生でございます!」

 産婆がまだ生まれたての赤子を掲げてみなに告げた。

 その場にわっと歓声が上がる。

「私、皇帝陛下にお伝えしてきますわ!」

 クリスティーナさまが部屋を駆けて出て行った。

「……皇后陛下のご出産の痕も、大事ないご様子ですね。時間はかかりますが、じきによくなられるでしょう」

 産婆は私の傷を確認してそう伝えてくれた。私は胸を撫で下ろした。

 赤子はすぐにへその緒を処理され、桶の水と布で清められ、柔らかい産着で包まれて、乳母の手で、私の目の前に差し出された。赤子はまだ生まれたてで真っ赤な顔をしている。

「……これが、私とヴォルフの子……」

 胸に万感の思いが満ちあふれる。

 産着から零れでた腕の先の、小さな手に触れる。すると、ほんの小さな指でぎゅっと人差し指を握られた。

「……可愛い……」

 ヴォルフの、王族の銀の髪を継いで産まれてきた子。まだ瞳は閉じていてその色は分からないけれど、どんな美しい色をしているのだろう。

 そうしている合間にも、陛下の来訪があってもいいようにと部屋が清められる。私も下腹部を清められ、服を着替えさせられてベッドへと移された。

 そして生まれたばかりの我が子は、私の隣に寝かされた。
 コンコン、とノックされる。

「ヴォルフだ。良いか」

「また皇后陛下と御子がご準備中です。少々お待ちください」

 帝国皇帝を待たせるなど、きっとこの世にこの子しかいないだろう。そう思うと、少し可笑しく思えて笑ってしまった。

 そうしてしばらく経って、ようやく父子の対面が叶う。

「母子ともに無事と聞いたが、共に健やかか?」

 忙しない足取りで、ヴォルフは私のいるベッドへと歩いてくる。

「……これが、私の子か。ああ、私と同じ、王族由来の美しい銀の髪をしているな」

「そうです。あなたと私の子です。ヴォルフ、この子を抱いてやってくださいませ」

 感慨深げに私たちを見下ろしている愛しい人。そんな彼に私はそう訴えた。

「……壊してしまいそうだ」

 小さな命を前に、恐れおののくヴォルフ。私は思わず笑ってしまう。

「大丈夫ですよ。ねえ、乳母や。陛下に抱き方を教えてあげてちょうだい」

「承知しました。では失礼して……」

 まず最初に、乳母が我が子を抱きあげた。そうして、スライドさせるように、ヴォルフの腕に移動させる。

「幼子は首がしっかりと定まっておりませんから、そこをしっかりと支えてあげてくださいませ」

「……そっ、そうか……」

『冷酷無慈悲な銀狼』なんて言われている彼が、タジタジとなって我が子を抱いている姿が愛おしい。

 ヴォルフに抱かれると、我が子が顔をゆがめて泣き出した。

「ほにゃぁ、ほにゃぁ」

「っ! 泣き出してしまったぞ、どうしたらよいのだ!」

 動揺するヴォルフ。その慌てぶりは、すぐにでも我が子を誰かに預けたいといった様子だ。

「軽く揺らして宥めてあげてくださいませ」

 そこに、すかさず乳母のアドバイスが入る。それに従って、ヴォルフが腕を揺らしてみたりしてあやしてみる。しかし、そう簡単に我が子は泣き止まなかった。

「あらあら。まだ皇子殿下は気難しいご様子ですね。私が代わりましょう」

 そう言って、乳母が代わって我が子を抱く。そして、「よしよし」などと言いながら、赤子をあやしていた。そうしてしばらくすると、ようやく機嫌が直ったのか、すやすやと寝息を立てるようになった。

「ふう。どうなることかと思ったぞ」

「ふふ。『冷酷無慈悲な銀狼』も我が子にはタジタジですのね」

 私が軽くからかうと、機嫌を損ねるかと思ったのだが、ギシ、とベッドに横になる私の顔の横に手を突いて、顔を近づけてきた。

「……そなたはどうなのだ。女は子を産むときに傷を負うと聞く。まだ痛むのか?」

 心配そうに私にいたわりの言葉をかけてくださった。

「痛みがないと言ったら偽りになりますが、ときが経てば良くなるとのことです」

 そう告げると、ヴォルフは心底ほっとしたというような顔つきをする。

「ねえ、ヴォルフ」

「なんだ?」

「子供の名前はお決めになったのですか?」

「ああ、決めた」

 ヴォルフは私にニッと笑ってみせる。

「もったいぶらないで、教えてくださいませ」

 私が請うと、口の端を上げて告げた。

「アドラーだ。鷹の意味を持つ、アドラーにする」

「アドラー……」

 私は我が子に付けられた名を復唱する。

「強く気高く、そして天高く飛ぶ鷹。その名にふさわしい子に育つよう、そう決めた」

「素敵な名前ですわ。ありがとうございます」

 すると、私は頬に口づけられた。

「礼を言うのは私の方だ、コルネリア。アドラーを無事産んでくれてありがとう」

 私は両腕をヴォルフの首に絡めて抱きついた。とても、とても幸せだった。

「なあ、コルネリア」

「なんですか? ヴォルフ」

「お前の体調が戻ったら、結婚式を挙げないか? ……ああ、やり直さないか、の方が正しいかな?」

「……ヴォルフ」

 私の視界が、みるみるうちに涙で潤む。

「四年前は済まなかった……。辛い思いをさせた。だから、やり直させてくれ」

 そう言って、ヴォルフは唇で私の涙をすくい取った。
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