大学生の須藤藤乃が小学生二人とごはんを食べる話

第2話 カリカリの鮭

 人妻に口止めされて、小学生に世話を焼かれ、自炊に目覚めた俺は、鮭とラップを買ってきた。マジで意味わかんねえ。
 いや、ちゃんと理由はある。小学生――大家の孫の理人が炊飯器をくれて、月初に仕送りとバイト代が入ったから、米を買った。これでしばらく飢え死にしなくて済みそう。
 でもせっかくだし、米と一緒におかずも欲しい。理人の祖母が梅干しと漬物を大量にくれたけど、できればたんぱく質的なものを食べたい。
 学食だとつい肉ばっか食っちゃうから、たまには魚も食べたい!
 というか、少し前に理人の母親がくれた鮭のおにぎりが美味かったから、また鮭食いてえな! ってことで鮭を買ってきた。一緒に百均で五百円のフライパンもゲット。
 俺だって魚焼くくらいできるだろ! つって、学校から帰っていざ挑戦!
 で、できたのが目の前のカリカリ。

「なんだこれ?」

 鮭は硬くてカリカリで……なんか、ビーフジャーキー? いや、鮭ジャーキー? そんな感じ。

「しかも臭えし」

 部屋じゅう魚くせえ。
 やっぱ、自炊とか無理。
 跳ねた油でメガネがベタベタで気持ち悪い。
 ゴミ袋を出したところで玄関の呼び鈴が鳴った。

「はいよー」

 ドアを開けたら理人だった。まあ、ここに来てから呼び鈴を鳴らすのは理人と、その母ちゃんしかいない。
 親は忙しいし、俺のほうが毎週バイトで帰ってるから、わざわざ来るわけない。
 もう一人来るって言ってた知り合いは、新学期で忙しいだのなんだのって、結局来ない。いや、来なくていい。うるせーし。

 ドアを開けた瞬間、理人が顔をしかめた。

「臭くないですか?」

「なんか魚焼いたら失敗した」

 台所を見た理人は、ズカズカと入ってガスレンジの上に手を伸ばす。

「換気扇、回さなきゃダメですよ」

「えっ換気扇?」

 たしかにガスレンジの上にはいくつかボタンがある。理人が押したのは「強」で、ゴウゴウ鳴っている。少ししたら部屋の魚臭さがマシになった。

「お前、生活力あるな」

「藤乃さんがなさすぎなんです」

 うるせえなって思うけど、反論できない。なにしろ、魚もまともに焼けない。

「菜箸は?」

「なにそれ?」

「料理用の長い箸です。あとヘラとお玉と調理ばさみ」

「……なんでそんな詳しいの?」

 理人は背負っていたカバンから冊子を取り出した。楽しい家庭科と書いてある。なるほど?

「ごはんありますか?」

「あるよ」

「お湯ありますか?」

「蛇口のレバー、左に回せばお湯出るよ」

 理人の目が丸くなった。なんだ……?

「ケトルってないんですか?」

「ねーよ。……ん? あるかも?」

 なかったっけ? シンクの扉を開けたら、あった。一人暮らし始めたばっかの頃は、カップ麺とか食ってたな。
 でも意外と高いし腹持ち悪いから買わなくなって、ケトルもホコリかぶってたから、片付けたんだった。
 てか、こいつ使えばレトルト味噌汁とかスープとか食えるんじゃね?

 ケトルに水を入れて炊飯器の隣に置く。スイッチを押したら、すぐにコポコポ言い始めた。
 理人のほうは、茶碗とお椀にごはんをよそって、カリカリの鮭をほぐしてる。カバンから小瓶を出してきてごはんと鮭にまぶした。

「なんそれ」

「うま味調味料です」

「てか、なに作ってんの?」

 しかも、ちゃっかり自分の分まで……。

「お茶漬けです」

「……なるほど!」

 硬くて食べられないなら、お湯をかけて柔らかくして食べればいいのか。なんだこいつ、頭いいな。
 いや、なんで調味料持ち歩いてんだよ。おかしいだろ。

「なんでそんなん持ってんの?」

「母が渡して来いと。ちょっとかけるだけで、味がそれっぽくなるんです」

「それっぽく……ってなんだよ」

 小瓶を受け取って成分表示を見ると、原材料が「アミノ酸等」というめちゃくちゃアバウトな記載しかない。ついスマホで調べたら、アミノ酸ってグルタミン酸ナトリウムで、糖蜜由来……なるほど……?

 お湯はすぐに沸いて、茶碗とお椀に注いだ途端、いい匂いがしてきた。待ってましたと俺の腹が騒ぎだす。
 机に持っていって理人と向かい合う。

「いただきます」

 かっこんだ。熱くて潮の匂いがして、そのあと鮭のしょっぱさとごはんの味が追いかけてきて、最高にうまい。

「うわあ、うめえなあ……!」

「よかった」

 理人はほっぺたを赤くしている。よく見たら、理人のお椀には鮭の皮とか血合ばっかりだ。

「お前、皮好きなの?」

「好きです。油が溶けてトロッとなっておいしいです」

「ふうん」

「藤乃さんも皮好きでしたか?」

「考えたこともねえ。今度確認する」

 残りを全部食べてシンクに持っていく。うまいもん食わしてくれたから、皿は俺が洗う。つっても茶碗とお椀だけだし。……いいかげん箸も買うか。百均にあったし。今は実家から持ってきた大量の割り箸を消費中。

「宿題していいですか?」

「好きにしろよ」

 俺も課題をやらないといけない。なんだっけ……造園の歴史と、樹木保護の法律と、えっと……。

 大学は思ってたより課題が多い。学部がら実習やグループワークも多くて面倒だ。共学だから当たり前だけど、授業にもグループワークも男女混合だ。
 なんで女子って、必ず彼女いるか聞いてくんの? いるわけねーだろ。できたことすらねーよ。

 目の前の理人は黙々とノートに何かを書き込んでいる。並べてあるのは社会の教科書。相変わらずバサバサしたまつ毛が目元に影を落としている。俺よりこいつのが彼女いそうだし、いちいち聞かれまくってそう。せめて俺は聞かないでおいてやろう。てか彼女いるのに、ただの顔見知りでしかない大学生んとこに入り浸るとか意味わかんねえし。

 しばらくは、パソコンがカチャカチャ言う音と、鉛筆がサラサラノートを走る音だけが響いている。
 造園の歴史は半分くらい、樹木保護は七八割できた。実家が造園屋だし、じいさんが庭師の仕事に行くのにガキの頃から付き合ってたから、樹木保護はまあわかる。じいさんは感覚派で、父親が理屈をこねるタイプだから、どこまでやるかとか料金のことでしょっちゅうケンカしてた。
 母親は完全に無視して、客の目につかなければ好きなだけやれと放置していた。たぶん今でもたまにぶつかってて、どっちかが死ぬまでずっとそうなんだろうな。

「藤乃さん」

「んー」

「I県の特産品ってなんですか?」

「納豆、H牛、メロン」

「K県」

「スイカ、馬肉、デコポン」

「T県」

「自分でやれ」

 ちらっと見た理人は、ニコニコしながらこっちを見てた。ひと睨みして、また手元に視線を戻す。樹木保護の方を適当に締めて、造園の歴史は教科書を引っ張りだす。

「藤乃さん、何してるんですか?」

「レポート書いてる」

「何の?」

「造園の歴史」

「ふうん?」

 近代の話になると教科書がいきなり投げやりになる。おい、もうちょいちゃんと書けよ。著者の教授が最近の造園の流行り廃りのが嫌いなのは知ってるけどさあ!
 まあ、書いてねえもんは書いてねえしな……早めに見切りをつけて、やっぱり適当に切り上げる。

「てか、お前いつまでいる気?」

「理人です。鮭、まだ残ってますか?」

「冷蔵庫にあるよ」

「焼いていいですか?」

「いいよ」

 理人は教科書とノートをカバンにしまうと、台所に向かった。
 冷蔵庫の鮭をフライパンに乗せようとして手を止める。

「油とか、アルミホイルとか、ないんですか?」

「ねえよ」

「んー……」

 俺んち、マジでなんもねえな。けど、自炊始めるのに必要なもん、多くね? 面倒くせえし、そんな金ねーし。買っちゃえばしばらく困んないのかもしれないけど、初期費用かかりすぎだろ。

 理人は少し考えてから、フライパンを触る。何かに納得して火にかける。

「テフロン加工っぽいので、たぶんいけます」

「ふうん?」

 少ししてから、鮭をフライパンに乗せた。じゅうじゅう鳴って、いい匂いがする。

「なんかさっきと匂いが違うな」

「フライパンを先に温めたからかもしれません」

「ふうん?」

 理人は難しいことばっか言う気がするけど、俺の家事スキルがダメすぎるんだろう。フライパンは温めてから食材を乗せる。覚えた。

「鮭をどう食べたいとかありますか?」

「おにぎりがいい」

「分かりました」

 鮭をほぐして、ごはんに混ぜ込む。茶碗一杯だけごはんを避けてもらう。あとで皮入りのお茶漬けにするんだ。
 理人は鮭混ぜごはんをラップで握っていく。三角のおにぎりが、行儀よく二列に並んだ。海苔ほしいな。理人は並んだおにぎりをスマホで写真撮って、冷蔵庫に入れていく。
 ……なんか、こいつ家庭的な彼女みたいだな。俺としては、もっとでかくて、もちもちした女の子が好みなんだけど。なんでひょろひょろのちびっこい小学生に飯の用意されてんだ。

「その写真どうすんの?」

「生活科の授業で提出します。"家事を一通り経験しましょう"という宿題が出てて。掃除や洗濯は家でやったんですけど、料理を忘れてました」

「料理か?」

「お腹がふくれれば、それで料理です」

「ああ、いいな、それ。ハードルが下がる」

 そう言うと、理人はニコニコしながらカバンを背負った。……なんか、そのカバンに見覚えがある。

「このあいだ、藤乃さんが『失望させとけよ』って言ったじゃないですか」

「言ったっけ?」

「言いました。……それで、別に期待に応えなくてもいいかなって思ったんです。このカバン、藤乃さんがくれたジーパンをリメイクしたんです。家庭科の授業で作りました」

「器用だな」

「男子から『女かよ』ってからかわれました。やっかみです。女子が『理人くん、すごーい』って言ってたから」

 小学生だもんな。でも、そういう訳の分からないん嫌味を言われて、やっかみだって分かってて受け流す。……それがいいことなのかどうかは、俺には分からないけど。

「ふうん」

 だから、バカみたいな相槌を打つことしかしない。偉そうなことを言える立場じゃないし、むしろ世話されてるし。
 理人はひらひらと手を振って出ていく。残されたのは鮭の皮と、茶碗一杯分のごはん、あと冷蔵庫のおにぎり。

「……洗うか」

 米が硬くなると洗いにくい、ってことは前に学んだ。だから、炊飯器から内釜を外して、さっさと洗う。



 翌朝、思いっきり寝坊した俺は、カバンにおにぎりを二つ放り込んで家を飛び出した。アパートの階段は修理されたけど、なんとなくその段は飛ばして駆け下りる。授業開始ギリギリに教室に滑り込んで、後ろの方の席を確保する。
 教科書ノートと一緒におにぎりを出してかじっていたら、前の席の知り合いが振り向いた。

「寝坊? いいねー、ママがおにぎり持たせてくれて」

「……は?」

 ちょっと意味わかんなかった。嫌味? ……何に対しての?

「ちょっと、止めなよ」

 近くの席の女子が口を挟んでくる。知り合いがなんか言い返してる。

 その後ろで、俺は二個目のおにぎりを食べる。ちょっと硬いけど全然うまい。お茶がないのが惜しい。……あ、作ればいいのか? 百均でポット売ってたよな。帰りに見てみよう。麦茶と、ついでに油とアルミホイルも。

「おい、お前の話してんだよ! なにボケっと飯食ってんだよ!」

「いや、そもそもさ、最初のなに? ”ママがおにぎり”? 何言ってんの?」

 聞き返したら、知り合いの顔が赤くなった。
 同じ学年で実習のクラスが一緒なだけで、班も違うし名前も知らない。そんなやつにいきなりよくわかんないことを言われても、反応に困るんだが。

「これ、母親が作ったんじゃねーし」

「は? じゃあ彼女かよ、自慢かよ!」

「短気すぎるない? 腹減ってんの?」

「うるせえ!」

 結局、最後まで何が言いたかったのか分からないまま、知り合いはぷいっと前を向いた。
 なんだったんだ、マジで。
 口を挟んだ女子が「ごめんね、須藤くん」って申し訳なさそうに手を合わせてくる。
 なんでこいつが謝るのかも分からない……って思った瞬間、知り合いが今度は女子に向かって怒鳴った。
 でもなんか、やけに親しそうだ。周りの雰囲気もどっか違う。痴話喧嘩的な……。

「……ああ、その子に作ってほしかったのか」

 思わず口に出すと、知り合いが勢いよく振り向いた。顔は真っ赤で、口が震えてる。周りがクスクス笑った。

「な、おま、なんっ」

「はいはーい、授業始めますよー」

 ちょうど先生が入ってきた。顔を上げたら、知り合いも前に向き直る。
 終わったらさっさと教室を出よう。
 たぶん理人も、こんな風に絡まれてんのかもな。大学生にもなって、小学生みたいな絡み方されるとか、意味わかんねえ。
 てか俺だって、デカくてもちもちした彼女におにぎり作って欲しいわ。170センチくらいで、かわいくてもちもちの女の子。180でもいい。ヒール履いて、俺よりデカくなってくれ。

 数日後、知り合いと女子が手をつないで構内を歩いていた。俺はいいダシにされたっぽい。まあいいけどさ、八つ当たりは謝れよ、ほんと。
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