大学生の須藤藤乃が小学生二人とごはんを食べる話

第6話 山盛りのパンケーキ

 その日最後の授業が終わってスマホを見たら、着信が残ってた。葵が三件、理人が一件。

「なんだ?」

 理人からはメッセージも来てた。
『菅野さんが荒れているので連れて行きます』
 ……なんだよそれ。てか、あいつら、やっと仲良くなったのか?
 とりあえず「今から帰る」って理人に返して、カバンを担いだ。すると、目の前に誰かが立ち塞がった。
 顔を上げたら、たまに話しかけてくる女子のなんとかさんだった。小柄で、ちょっと鈴美に似てる。たぶん世間的には可愛いって言われるタイプの子。俺的には、あと30センチくらい背を伸ばしてきてほしい。

「須藤くん、週末にクラスで海行くんだけど、来ない?」

「バイトあるから」

「またそれ? たまにはみんなで遊ぼ? 私も水着着るからさ、須藤くんに見てほしいな……」

 思わずマジマジとその子を見てしまった。小さくて華奢な女の子。細い手足に、ちょっと恥ずかしそうな顔。ぱっちりした目の回りがラメでキラキラ光っている。

「や、無理」

 机をぐるっと回って、教室を出た。
 よく考えたら、鈴美も葵も顔はかなり整ってる。どっちも小さくて細いけど、別に弱そうってわけじゃない。むしろ強くてたくましい。だからってわけじゃないけど、サンプルはその二人だけだけど、細すぎる手足と、まばたきするたびに舞うラメが、なんか……なんかさ……。
 ドタバタ足音がして振り返ったら、さっき教室にいた男子だった。

「言い方ってもんがあるだろ!」

「いや、俺、何回も断ってるけど」

「そうかもだけどさ、教室の空気最悪なんだけど!?」

「何回も言ってるけど、俺は王林とか杏みたいな、デカくてかっこいい女の子が好きなんだって。真逆じゃん」

「そりゃそうだけど〜。あ、それを言えばいいじゃん! 今度教室でそういう話しようぜ! なっ!!」

 そう言って男子たちは去って行った。
 だから、いつも言ってるっだろうが!
 まあいい、今は葵だ。

 走って帰ると、いつかと同じようにアパートの階段の一番上に理人がいて、今日はその隣に葵もいた。
 二人とも驚くほど整った顔してんのに、葵はブスくれていて、理人は困り顔。美人がもったいねえな。

「どした?」

「……部屋、入れて」

 できるだけ優しく声をかけたら、ブスくれた葵が、泣きそうな声を出した。理人は俺と目が合うと、困った顔のまま首を横に振った。
 二人の頭を雑に撫でたら、黙って立ち上がってついてきた。部屋の鍵を開けると、葵は無言で中に入り、手を洗うと台所に向かう。

「台所、借りる」

「おう」

「お邪魔します」

「うん」

 理人は借りてきた猫みたいに小さくなって、そっと靴を脱いで上がってくる。机に並んで座って、台所にいる葵を眺めてたら、理人がささやくような声で言った。

「塾で、揉めたんです」

「へえ? そういうの、そつなくやるタイプだと思ってたけど」

 葵も、理人も。

「はい。菅野さんはそうなんですけど、相手が……うーん、感じ悪くて、行儀も……なんていうか、あ、あれです。下世話」

「下世話?」

 理人は嫌な顔をした。どういうことだ?

「えっと……葵が塾で誰かに下世話なこと言われて揉めたってこと?」

「はい。……その、菅野さんってよく藤乃さんの家に来てるじゃないですか。それを塾の女の子たちが見て……パパ活じゃないかって」

「はあ?」

「ここって一人暮らし用じゃないですか。だから、おじさんとかおにいさんと……そういうことしに来てるって言われて、菅野さんブチ切れちゃって」

 マジかよ。俺のせい……でもないか。つーか、怖っ!? 今どきの小学生、そんなこと言う!?

「たしかに下世話だ……」

「その、半分くらい僕のせいなんですけど」

「え、なんで?」

「えっと、菅野さんに突っかかっていった理由の一つが、僕にふられたからで……」

 ますます言いづらそうに、理人は目をそらした。なんかややこしくなってきたな。
 台所からは、甘いいい匂いが漂ってきた。

「菅野さんに突っかかってきた子に、ちょっと前に告白されたんですけど、断ったんです。受験前で、それどころじゃないし、好きでもないし。それなのに菅野さんと話してたから、取られたって思ったみたいです」

「んなバカな」

「僕もそう思いました。だから、下世話なこと言うような下品な子なんて、絶対好きにならないって言って、菅野さんと一緒に塾を出てきちゃったんです」

「塾サボったこと、母ちゃんに言った?」

「……言いました。藤乃さんを待ってる間に。母が塾に連絡してくれるそうです。菅野さんの親御さんにも、スマホ借りて僕から連絡しました」

 じゃあ、いいか。あとは葵だ。
 理人の頭を軽く撫でて、葵のところへ向かった。
 台所には、皿に山盛りのパンケーキができあがっていた。横には絞るだけのホイップクリームといちごジャム、それにコーヒー牛乳の紙パックが置かれている。
 葵は、焼きたてのパンケーキをフライパンから取り出し、山のてっぺんに乗せた。

「運んで」

「はいよ」

 皿を運ぶと、理人の目が丸くなる。それからちょっと笑う。

「僕の母も、嫌なことがあるとたくさん料理します」

「そういうもんなんだな」

 首を傾げたら、葵もやってきた。

「そういうのもなの。……食べよう」

 ホイップクリームやコップ、取皿が机に並べられ、葵が静かに座ってパンケーキを取り分ける。ホイップクリームをかけたら、コップにコーヒー牛乳が注がれる。

「いただきます」

 手を合わせた途端、葵はボロボロと泣き出した。葵の泣き顔なんて、赤ん坊のとき以来だけど、あんまり変わんないな……なんて思ってたら、理人がハンカチを差し出した。本当に王子だな、こいつは。

「藤乃くんは、私の師匠であって、彼氏なんかじゃないし……お小遣いもらってるなんて、ありえない……!!」

「そらそうだ」

 フォークを手に取ってパンケーキを切り分ける。クリームがふわっと割れて、パンケーキがふかっと沈む。

「久しぶりに食ったけど、うめえな」

「……僕も、いただきます。わ、ほんとだ、すっごいおいしい」

 葵はしゃくり上げながら、ハンカチで目元をぎゅっよ押さえている。俺は葵の皿にパンケーキを乗せて、ジャムとホイップクリームを乗せる。

「うめえから、葵も食えよ」

「私が作ったんだよ! ……いただきます」

 顔を真っ赤にして、涙でぐしゃぐしゃの目をしたまま、葵はパンケーキをかじり始めた。

「……おいしい」

「な。葵が作ったパンケーキはうめえよ。お前は俺の大事な、かわいい弟子なんだからさ。くだらねえ嫌がらせで傷つくな。俺は、そんなクソみたいなことで、お前に泣いてほしくねえんだ」

「うん。……ごめん」

「謝るな。お前には、なんにも悪いとこなんかなかっただろ。……おい、理人。そいつら引っぱたきに行くから、塾の場所教えろ」

「ダメですよ。かわりに僕が言っておきますから」

「そっかあ」

「やめてよ、今度は王子と噂になるだけじゃん。……ムカつく」

「王子って言うな!」

 俺と理人の馬鹿なやり取りに呆れたのか、葵はようやく、少しだけ笑ってくれた。

「そうだそうだ。俺は葵の結婚式で号泣する予定なんだ。理人なんか許さねえよ」

「僕だって願い下げです。もっとしっかりした大人のお姉さんがいいです」

「理人の好みはそういう系かあ。売れる情報だ」

 葵と理人がきゃんきゃんと喧嘩を始めた。泣き止んでくれて、本当に良かった。


 そのあと、理人と葵の母親が迎えに来たから、簡単に事情を説明して解散した。それぞれの母親が塾に事情を確認した結果、相手側の言い分がずいぶん下品なものだったこともあり、多少のお咎めがあったらしい。

「多少かあ。やっぱり引っぱたいてやればよかった」

 俺がそう呟いたら、葵に

「次は私が自分で叩く。だから、師匠は後ろで見守ってて」

 と止められた。俺よりずっとしっかりした弟子だ。



 それで終わってくれれば良かったのに……葵と理人には言えない後日談があった。
 ある平日の昼休み、次の授業がある庭園で男子たちで固まってダラダラしていた。
 天気のいい昼下がりの庭園は、ちょっと暑いくらいだった。俺たちは向かい合わせのベンチに座って、だらだらとしゃべっていた。

「だからさ、杏くらいがいいんだって。ハイヒール履いて、俺よりデカくなる女子がいいんだよ」

「だから、そんないねえってそんなデカい女」

「でっかい女の子が、でっかい花束持って迎えに来てくれたら最高」

「俺はちょっとむっちりした女の子がぴったりした服着てるのが好きだな。スキニーがむっちりなってるのがいい」

「マニアック〜」

 とまあ、ダラダラぐだくだ、周りに女子がいないのをいいことにしょうもない話をしていた。
 授業が近づくと、女子たちもやってくる。なんとなく目配せして、さりげなく話題を変えようとした、そのときだった。

「そんなこと言って、須藤くんもやっぱり小さくてかわいい子がいいんでしょ」

「は?」

 振り返ると、小柄な女子が不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。

「須藤くん、小さくてキレイな女の子、部屋に連れ込んでたでしょ。……中学生くらいの子」

「なに、お前ロリコン?」

「違えよ。……それって、髪が長くて、細っこくて、姿勢のいい子か?」

「うん。すごい美人だったから、須藤くんが手を出したくなるのも……」

「そりゃ親戚の子だよ。塾が遅くなるから、うちで親の迎えを待ってるだけ」

 女子の言葉を遮った。それ以上聞いていたくない。拳をグッと握りしめる。

「えっ。そ、そうなんだ……」

 わざとらしくため息をつくと、女子の肩がビクッと震える。
 できるだけゆっくり立ち上がって、女子を見下ろした。

「その子さ、最近俺の家に来てるのはパパ活なんじゃないかって、嫌がらせされたばっかなんだよ。……あんたは、小学生レベルの嫌がらせを大学生になってまでやるわけだ」

「そ、そんなつもりじゃ」

 怒鳴り散らしたいのを堪えて、ゆっくり喋る。手のひらが痛い。

「俺ね、その子のこと、目に入れても痛くないくらい大事にしてる。だから侮辱されると、自分のことよりムカつくんだよ」

 女子は涙目で首を振る。もう何も言わないでくれ。話しかけないで。できるなら、視界にも入らないでほしい。

「俺、そういう下品で下世話な女が大嫌いだから近寄らないでくれ。授業とか、どうしようもないとき以外は一切話しかけんな」

「や、やだ。謝るから……!」

「謝りたきゃ、壁にでも謝ってろ。俺は絶対に許さないし、あんたを視界に入れるのも不愉快だ」

 女子はグチャグチャの顔で泣いていた。泣きたいのはこっちだ。どいつもこいつも、なんで俺の大事なものを踏みにじるんだろう。
 葵からブーケを取り上げようとした鈴美も、暴言を吐いた塾の子も、そして目の前の女も、大嫌いだ。
 ベンチに腰を下ろし直すと、その女子は他の女子に肩を抱かれて連れて行かれた。
 男子がチラ見してくるのは無視した。
 空気悪くしてごめん。でも、俺は、受け流すなんてできなかった。

「……ごめん」

「いや、どう考えても向こうが悪いだろ、今のは」

「うん。ムカついた」

「発想がキモいしな……その子、小学生?」

「うん」

「それは、ねえよ」

 先生が来て、空気の悪さに目を丸くする。俺が何でもないですと首を振ると、先生は肩をすくめて授業を始めた。
 俺も、帰ったらパンケーキ山ほど焼こうかな。
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