大学生の須藤藤乃が小学生二人とごはんを食べる話
第7話 母親が持たせてくれた唐揚げ
女子と揉めた次の日、昼の学食でクラスの男子と飯を食っていた。
「須藤、言いすぎだろ」
「やー、あれは、あっちがやべーわ」
「小学生の親戚にそこまで入れ込むとかキモくね? おい睨むなよ。キモいのはお前で、その子じゃねえから」
みんな好き勝手言ってくる。俺のことならどうでもいい。勝手に言っとけ。
「つーか、なんでそんな須藤モテてんの。目つき悪いのに」
「ヒョロガリだしなあ」
「やー、でもメガネで知的に……見えないか。目つきの悪いヒョロガリ」
「言いたい放題だな。そこまでガリじゃねえって」
実家や農家にバイトに行くし、学校の実習もあるから、腕とか足はそんなに細くない……はず。
腕まくって肘曲げて見せたら、めっちゃ嫌な顔された。
「うわ、ほんとだ。筋肉ついてる。ヒョロガリじゃなくて細マッチョかよ。ムカつく」
「身長あって細マッチョとか、もう敵だろ」
「しかもクラス一の美女を泣かしたし」
「最悪じゃねえか」
最悪はあっちだけど、女子泣かせた男ってレッテル貼られたらもう勝ち目がねえ。だから適当に話をそらした。
「あの子がクラス一? 俺はさ、あっちの……ほら、一番後ろの席の……」
「あー、あのガタイのいい子? それはねーだろ……」
でも、そのガタイいい子には高校からの彼氏がいるの知ってるから、距離を取ってる。好きになっちゃダメなんだ……。
そこから話題が、学部のかわいい先輩だの、学校司書がメガネ外すと美人だの、どうでもいい話になったので、うんうん言いながら飯を食う。
味噌汁うめえ。ついに味噌買うか……でも面倒だし、やっぱりレトルトでいっか。
ぼーっとしてるうちに時間がなくなって、食堂がガヤガヤしてきた。その流れに乗ってトレーを片付けて、次の授業へ。
土曜日の午後、じいさんと一緒に葵んちに来た。正確には、葵のじいさんが神主をやっている神社。明日結婚式があるので、花壇の手入れやブーケの納品にきた。
俺はいつも通り雑草抜いたり、前回の剪定から伸びた松とか他の木の手入れをする。それが終わったらブーケやアレンジを設置。
「じいさん、こっちの花は?」
「それは一番奥。濃い色から順に並べろ」
「了解」
汗だくでアレンジを運ぶ。でかいから午前中に作るのも大変だったし、持ってくるのもマジでキツい。数歩ごとにメガネがずれてきて超ウザいけど、コンタクトは怖いからムリ……。
じいさんも汗だくで、無言で黙々と働いてる。爪は土で真っ黒、節くれ立った指は皮が分厚くてゴツい。花をじっと見る真っ黒な目は、いつだって真剣で。俺は、その目を見るのが大好きだった。
参道の隅のベンチで、葵がじいさんと俺を眺めてる。隣には麦茶が入りのドリンクサーバーと紙コップ、塩飴とかチョコが置いてある。
葵はたまに立ち上がって、
「おじいちゃん、お茶どうぞ」
ってじいさんに飲ませてた。少し前にニュースで『老人は喉の乾きに気づきにくく、脱水症状になりやすい』というのを見て、気にしているらしい。「俺にもくれ」って言ったら、それを教えてくれた。
「藤乃くんは若いんだから、自分で飲んで」
とのことだ。
俺も、もうちょいじいさんに気を遣ったほうがいいよな。でも、俺からすればじいさんは師匠だ。親父や母親にもいろいろ教わったけど、やっぱ最初に憧れたのはじいさんだ。年寄りだとか、老人だとか、衰えているようなことを考えたくない。
……それはそれ、なんだろうけど、まだ割り切れねえ。
「そろそろ一息入れるぞ」
「おう」
やっとアレンジの配置に納得したのか、じいさんが頷いた。葵が立ち上がり、じいさんにベンチを勧めている。
縁石に腰掛けて茶を飲みながら、塩飴をガリガリかじる。あー、うめえな。
「あのアレンジ、藤乃くんも手伝ったの?」
葵が隣に座る。
「うん。つっても、花切って並べただけ。作ったのはじいさんと母さん」
「ふうん」
葵がにこっと笑って、俺を見上げた。
「私の結婚式のアレンジもブーケも、ぜんぶ藤乃くんが作ってね」
「……俺に、務まるかなあ」
「務まるようになったら教えて? そしたら世界一かっこいいダーリン捕まえるから」
そんなふうに笑う葵は、世界一かわいい。だからまあ、俺が心配しなくても大丈夫なんだろう。
休憩のあとは、またアレンジを運んで、雑草抜いて、砂利を均す。じいさんの指示に従ってアレンジの配置を微調整したり、夕方に確認に来た新郎新婦にブーケを見てもらう。
「すごい……!」
「ありがとうございます。……明日が、楽しみです」
「ぜひ、楽しみにしててください」
じいさんが、新郎新婦に請け合う。あの背中に、俺はいつか追いつけるんだろうか。
遠い背中を見ていたら、砂利がこすれる音がして、神主さんがやってきた。
「終わったかい」
「はい、ぼちぼち片付けます」
「藤乃ちゃん、元気ないねえ」
「そう……ですかね。そんなつもり、なかったんですけど」
神主さんは目を細めて新郎新婦を見ている。
二人は、夕日に染まる参道を、肩を並べて歩いていた。
「まあ、生きてりゃいろいろあるさね。山あり谷あり」
「谷に落ちたときって、どうやって登ればいいんですか?」
「ないよ、そんなもん。毎日毎日、できることをしていくだけさ。藤乃ちゃん、好きなことはなんだい?」
俺の好きなこと。
花を育てることと、アレンジメントを作ること。あとは、なんだろう?
「最初に思い浮かんだことを、やってみな。人間には”やる気”っていう成分、もともと入ってないらしいからね。身体を動かしたら、気分は後からついてくるよ」
「そんなもん……ですか」
「うん。そんなもんさ。若いんだ。悩んだらいいよ」
遠くでじいさんが「サボるな!」と声を上げている。神主さんに頭を下げて、仕事に戻る。ゴミ袋やはさみ、ホウキなんかをトラックに積んでいく。
日曜日は朝から造園屋の片付けと掃除をして、午後になったら神社にアレンジを引き取りに行く。トラックに積んでいたら、離れから葵が出てきた。
「ね、そのアレンジどうするの?」
「破棄だな」
「持って帰るのに、私も付いて行っていい?」
「じいさんに聞いて」
葵はすぐに戻ってきて、トラックの運転席から店のエプロンを引っ張りだして被る。
「付いてっていいって。待ってる間、手伝うよ」
「……人前で小学生に働かすの、アウトじゃん」
「見られないように気をつけるし、私が神社の孫だって、この辺りの人はみんな知ってるから大丈夫だよ」
「まあいいけどさあ」
葵が働き始めると、近所のじいさんばあさんたちが、ニコニコしながら声をかけてきた。
「おや、葵ちゃんお手伝い? 偉いわねえ」
「葵ちゃんは働き者だねえ、飴ちゃんお食べ」
……おお、じいさんばあさんが群がってる。なんだこれ、すごいな。
それを横目にさっさとアレンジを積み込んで、散らばった葉や砂利を掃いていく。
じいさんが神主さんと、新郎新婦の親と話している間にトラックの荷台を閉めてエプロンを外す。葵がさっさと運転席の真ん中に座った。
「おじいちゃんが乗っていいって言ってた」
「じいさんがいいなら、いいよ」
運転席に座ってエンジンをかけると、じいさんも乗り込んできた。
「着いたら、起こしてくれ」
「はいよ」
じいさんはシートベルトをしたら、すぐに腕を組んでキャップを深く被り目を閉じる。俺はそっとギアを入れて、神主さんに会釈してからゆっくりアクセルを踏んだ。
家に着いて、じいさんを起こす。
荷台からアレンジを下ろし終えたところで、葵が寄ってくる。
「捨てる花で、ブーケの練習していい?」
「いいよ」
アレンジをバラすのを葵に任せて、俺はゴミ捨て。じいさんは道具を片付けて、明日の仕事の確認に行く。
葵のところに戻ると、母親にブーケを見てもらっていた。
「どうかな、藤乃くん」
「悪くない」
「んー、『悪くない』かあ」
「そこのピンクの撫子、手前に挿してみろ」
「これ? 合うかなあ……わっ、いきなりかわいくなった! 藤乃くんの、そのセンスはどうやったら身に付くの?」
「上手だと思う作品を、ちゃんと見る」
俺には、じいさんや親父、おふくろという"上手な人"が、生まれた時からそばにいた。それに小学校中学校と学校の花壇に通い、図書室で園芸やデザインの本を読み続け、ずっとそればかり考えてきた。
店があるから、家族旅行や遠出をしたことはない。親の付き添いができないから、習い事も塾に行ってたくらい。ずっと働く親の背中を眺めて過ごしていた。
不満がなかったわけじゃないけど、その結果が、このかわいい弟子からの尊敬なら、一人きりだったあの頃の子供が救われるというものだ。
「じゃあ、藤乃くん、この残った花からブーケ作って」
「雰囲気が違うのを三つね」
横から母親が難易度を上げる。でも、そうやって言うってことは、きっと母親なら、全然雰囲気が違うものを五つは作るのだろう。
「まあ、見てろって」
花を並べる。色と、種類、雰囲気、葉もの、それから――。
「……ダメだ、色味がかぶる!」
どう頑張っても四つしか作れない。五つめは、色味か雰囲気がどうしても似通ってしまう。頭を抱えていると、母親がニコッと笑って葵に声をかける。
「葵ちゃんなら、どうする?」
「えっ……えっと……、この、グリーンを取り替える?」
「惜しい。この三つのグリーンを入れ替えるのよ」
「え、わ、ほんとだ。全然違う」
「くそ……気づかなかった……」
祖父の背が遠いとは思っていたけど、母親の背中にも、まだ全然追いつけない。五つのブーケを見比べる。母親が入れ替えた葉ものと、花の組み合わせをちゃんと見ておく。
横から、細い手が伸びてきた。
「これちょうだい」
「いいけど」
母親が手を入れなかった二つのうちの片方を、葵は取り上げた。
「上手いかどうはわかんないけど、私はこれが好き」
「……そっか」
そっぽを向いたら、母親が満面の笑みでやり取りを見ていた。勘弁してくれ……。
葵は五つのブーケの写真を撮る。頷いて、選んだ一つを大事そうに抱え込んだ。
親父が配達ついでに葵を送るといって、葵は帰っていく。
夜まで花屋を手伝い、帰ってきた親父と店じまいをしている間に母親が晩ごはんを用意してくれたので、ありがたく食べる。
「揚げたての唐揚げ、うめえなあ」
「母さんのありがたみが、わかった?」
「うん。身にしみてる。ありがとうございます」
「藤乃が素直だと気持ち悪いわね……」
「ええ……」
そう言いつつ、帰り際に食料をたっぷり持たせてくれた。容器でいっぱいになったトートバッグをお腹に抱えると、ほんのり温かい。
アパートに戻るとき、母親が店の車で送ってくれた。
「学校は楽しい?」
「授業はおもしろいよ。見たことのない植物がいっぱいある」
「友達できた?」
「学校でちょっと話す相手くらいは、いるよ」
「藤乃は昔から人付き合いが下手だからねえ。面談のたびに、一人で過ごしてますって先生に言われてたし」
「いつの話だよ」
そう言ったけど、今でも全然うまくなんかない。たまには飲み会やカラオケに付き合った方がいいのかなあ。……面倒だなあ。
アパートの前まで送ってもらって、母親を見送る。
いまだに階段を上がるとき、真ん中あたりで一段飛ばす癖が抜けない。
部屋についたら、容器を冷蔵庫に入れる。唐揚げと卵焼きと、ひじきの煮たのと、なぜか小さい羊羹がいくつか。なぜ……。別に好きでも嫌いでもないけど。
シャワーを浴びてベッドに倒れこんだら、一瞬で意識が飛んだ。
次の日、学校を出たところで理人からメッセージが来た。塾の時間まで、うちで勉強していいか聞かれたので、いいよと返す。
アパートの前で落ちあって、部屋に入れる。
「塾、何時から?」
「七時です」
「夕飯は?」
「お弁当、持ってきました」
理人はそう言って、弁当箱を二つ取り出す。
「お邪魔してるお詫びにって、母が持たせてくれました。一つどうぞ」
「ありがとよ」
弁当箱はひとまず冷蔵庫に入れて、勉強を始める。理人は学校の宿題、俺は課題の調べもの。
空が赤く染まりはじめた頃、弁当を温めて食べる。ついでに、昨日の残りの唐揚げもいくつか温めた。
「昨日、うちの母親がくれたから、お前も食っていいよ」
「ありがとうございます! おいしいです!」
「そ? ならよかった」
別に、大したことじゃないんだけど。
葵が母親の作ったブーケより、俺のものを選んでくれたことは、すごく嬉しかった。
でも、理人が俺が美味いと思った唐揚げを美味しいと言ってくれたことも、嬉しかった。
「弁当もうめえな」
「そうですか? 母に伝えておきます」
食べ終えた理人は、俺の弁当も一緒に洗ってくれた。洗い終わると塾に行くと言うので、羊羹を二つ渡す。
「もらったから、あげる」
「ありがとうございます。……一つ、菅野さんにあげてもいいですか?」
「いいよ。……あいつ、ちゃんと塾行ってる?」
「来てます。ちょっと嫌がらせされたくらいで折れる子じゃないの、藤乃さんが一番知ってると思うんですけど」
「うん。知ってる」
理人を見送ってシャワーを浴びる。課題の続きをしてたら、葵から
『羊羹、うちのおじいちゃんが須藤のおじいちゃんにあげたやつだよ。でも、おいしかった。ありがと』
とメッセージが来ていた。そうだったのか……まあ、いっか。
神主さんの言うとおり、谷だろうが何だろうが、できることをしていくしかない。たぶん、そうやってやっていれば、いつの間にか山の高いところにいるんだろう。
「須藤、言いすぎだろ」
「やー、あれは、あっちがやべーわ」
「小学生の親戚にそこまで入れ込むとかキモくね? おい睨むなよ。キモいのはお前で、その子じゃねえから」
みんな好き勝手言ってくる。俺のことならどうでもいい。勝手に言っとけ。
「つーか、なんでそんな須藤モテてんの。目つき悪いのに」
「ヒョロガリだしなあ」
「やー、でもメガネで知的に……見えないか。目つきの悪いヒョロガリ」
「言いたい放題だな。そこまでガリじゃねえって」
実家や農家にバイトに行くし、学校の実習もあるから、腕とか足はそんなに細くない……はず。
腕まくって肘曲げて見せたら、めっちゃ嫌な顔された。
「うわ、ほんとだ。筋肉ついてる。ヒョロガリじゃなくて細マッチョかよ。ムカつく」
「身長あって細マッチョとか、もう敵だろ」
「しかもクラス一の美女を泣かしたし」
「最悪じゃねえか」
最悪はあっちだけど、女子泣かせた男ってレッテル貼られたらもう勝ち目がねえ。だから適当に話をそらした。
「あの子がクラス一? 俺はさ、あっちの……ほら、一番後ろの席の……」
「あー、あのガタイのいい子? それはねーだろ……」
でも、そのガタイいい子には高校からの彼氏がいるの知ってるから、距離を取ってる。好きになっちゃダメなんだ……。
そこから話題が、学部のかわいい先輩だの、学校司書がメガネ外すと美人だの、どうでもいい話になったので、うんうん言いながら飯を食う。
味噌汁うめえ。ついに味噌買うか……でも面倒だし、やっぱりレトルトでいっか。
ぼーっとしてるうちに時間がなくなって、食堂がガヤガヤしてきた。その流れに乗ってトレーを片付けて、次の授業へ。
土曜日の午後、じいさんと一緒に葵んちに来た。正確には、葵のじいさんが神主をやっている神社。明日結婚式があるので、花壇の手入れやブーケの納品にきた。
俺はいつも通り雑草抜いたり、前回の剪定から伸びた松とか他の木の手入れをする。それが終わったらブーケやアレンジを設置。
「じいさん、こっちの花は?」
「それは一番奥。濃い色から順に並べろ」
「了解」
汗だくでアレンジを運ぶ。でかいから午前中に作るのも大変だったし、持ってくるのもマジでキツい。数歩ごとにメガネがずれてきて超ウザいけど、コンタクトは怖いからムリ……。
じいさんも汗だくで、無言で黙々と働いてる。爪は土で真っ黒、節くれ立った指は皮が分厚くてゴツい。花をじっと見る真っ黒な目は、いつだって真剣で。俺は、その目を見るのが大好きだった。
参道の隅のベンチで、葵がじいさんと俺を眺めてる。隣には麦茶が入りのドリンクサーバーと紙コップ、塩飴とかチョコが置いてある。
葵はたまに立ち上がって、
「おじいちゃん、お茶どうぞ」
ってじいさんに飲ませてた。少し前にニュースで『老人は喉の乾きに気づきにくく、脱水症状になりやすい』というのを見て、気にしているらしい。「俺にもくれ」って言ったら、それを教えてくれた。
「藤乃くんは若いんだから、自分で飲んで」
とのことだ。
俺も、もうちょいじいさんに気を遣ったほうがいいよな。でも、俺からすればじいさんは師匠だ。親父や母親にもいろいろ教わったけど、やっぱ最初に憧れたのはじいさんだ。年寄りだとか、老人だとか、衰えているようなことを考えたくない。
……それはそれ、なんだろうけど、まだ割り切れねえ。
「そろそろ一息入れるぞ」
「おう」
やっとアレンジの配置に納得したのか、じいさんが頷いた。葵が立ち上がり、じいさんにベンチを勧めている。
縁石に腰掛けて茶を飲みながら、塩飴をガリガリかじる。あー、うめえな。
「あのアレンジ、藤乃くんも手伝ったの?」
葵が隣に座る。
「うん。つっても、花切って並べただけ。作ったのはじいさんと母さん」
「ふうん」
葵がにこっと笑って、俺を見上げた。
「私の結婚式のアレンジもブーケも、ぜんぶ藤乃くんが作ってね」
「……俺に、務まるかなあ」
「務まるようになったら教えて? そしたら世界一かっこいいダーリン捕まえるから」
そんなふうに笑う葵は、世界一かわいい。だからまあ、俺が心配しなくても大丈夫なんだろう。
休憩のあとは、またアレンジを運んで、雑草抜いて、砂利を均す。じいさんの指示に従ってアレンジの配置を微調整したり、夕方に確認に来た新郎新婦にブーケを見てもらう。
「すごい……!」
「ありがとうございます。……明日が、楽しみです」
「ぜひ、楽しみにしててください」
じいさんが、新郎新婦に請け合う。あの背中に、俺はいつか追いつけるんだろうか。
遠い背中を見ていたら、砂利がこすれる音がして、神主さんがやってきた。
「終わったかい」
「はい、ぼちぼち片付けます」
「藤乃ちゃん、元気ないねえ」
「そう……ですかね。そんなつもり、なかったんですけど」
神主さんは目を細めて新郎新婦を見ている。
二人は、夕日に染まる参道を、肩を並べて歩いていた。
「まあ、生きてりゃいろいろあるさね。山あり谷あり」
「谷に落ちたときって、どうやって登ればいいんですか?」
「ないよ、そんなもん。毎日毎日、できることをしていくだけさ。藤乃ちゃん、好きなことはなんだい?」
俺の好きなこと。
花を育てることと、アレンジメントを作ること。あとは、なんだろう?
「最初に思い浮かんだことを、やってみな。人間には”やる気”っていう成分、もともと入ってないらしいからね。身体を動かしたら、気分は後からついてくるよ」
「そんなもん……ですか」
「うん。そんなもんさ。若いんだ。悩んだらいいよ」
遠くでじいさんが「サボるな!」と声を上げている。神主さんに頭を下げて、仕事に戻る。ゴミ袋やはさみ、ホウキなんかをトラックに積んでいく。
日曜日は朝から造園屋の片付けと掃除をして、午後になったら神社にアレンジを引き取りに行く。トラックに積んでいたら、離れから葵が出てきた。
「ね、そのアレンジどうするの?」
「破棄だな」
「持って帰るのに、私も付いて行っていい?」
「じいさんに聞いて」
葵はすぐに戻ってきて、トラックの運転席から店のエプロンを引っ張りだして被る。
「付いてっていいって。待ってる間、手伝うよ」
「……人前で小学生に働かすの、アウトじゃん」
「見られないように気をつけるし、私が神社の孫だって、この辺りの人はみんな知ってるから大丈夫だよ」
「まあいいけどさあ」
葵が働き始めると、近所のじいさんばあさんたちが、ニコニコしながら声をかけてきた。
「おや、葵ちゃんお手伝い? 偉いわねえ」
「葵ちゃんは働き者だねえ、飴ちゃんお食べ」
……おお、じいさんばあさんが群がってる。なんだこれ、すごいな。
それを横目にさっさとアレンジを積み込んで、散らばった葉や砂利を掃いていく。
じいさんが神主さんと、新郎新婦の親と話している間にトラックの荷台を閉めてエプロンを外す。葵がさっさと運転席の真ん中に座った。
「おじいちゃんが乗っていいって言ってた」
「じいさんがいいなら、いいよ」
運転席に座ってエンジンをかけると、じいさんも乗り込んできた。
「着いたら、起こしてくれ」
「はいよ」
じいさんはシートベルトをしたら、すぐに腕を組んでキャップを深く被り目を閉じる。俺はそっとギアを入れて、神主さんに会釈してからゆっくりアクセルを踏んだ。
家に着いて、じいさんを起こす。
荷台からアレンジを下ろし終えたところで、葵が寄ってくる。
「捨てる花で、ブーケの練習していい?」
「いいよ」
アレンジをバラすのを葵に任せて、俺はゴミ捨て。じいさんは道具を片付けて、明日の仕事の確認に行く。
葵のところに戻ると、母親にブーケを見てもらっていた。
「どうかな、藤乃くん」
「悪くない」
「んー、『悪くない』かあ」
「そこのピンクの撫子、手前に挿してみろ」
「これ? 合うかなあ……わっ、いきなりかわいくなった! 藤乃くんの、そのセンスはどうやったら身に付くの?」
「上手だと思う作品を、ちゃんと見る」
俺には、じいさんや親父、おふくろという"上手な人"が、生まれた時からそばにいた。それに小学校中学校と学校の花壇に通い、図書室で園芸やデザインの本を読み続け、ずっとそればかり考えてきた。
店があるから、家族旅行や遠出をしたことはない。親の付き添いができないから、習い事も塾に行ってたくらい。ずっと働く親の背中を眺めて過ごしていた。
不満がなかったわけじゃないけど、その結果が、このかわいい弟子からの尊敬なら、一人きりだったあの頃の子供が救われるというものだ。
「じゃあ、藤乃くん、この残った花からブーケ作って」
「雰囲気が違うのを三つね」
横から母親が難易度を上げる。でも、そうやって言うってことは、きっと母親なら、全然雰囲気が違うものを五つは作るのだろう。
「まあ、見てろって」
花を並べる。色と、種類、雰囲気、葉もの、それから――。
「……ダメだ、色味がかぶる!」
どう頑張っても四つしか作れない。五つめは、色味か雰囲気がどうしても似通ってしまう。頭を抱えていると、母親がニコッと笑って葵に声をかける。
「葵ちゃんなら、どうする?」
「えっ……えっと……、この、グリーンを取り替える?」
「惜しい。この三つのグリーンを入れ替えるのよ」
「え、わ、ほんとだ。全然違う」
「くそ……気づかなかった……」
祖父の背が遠いとは思っていたけど、母親の背中にも、まだ全然追いつけない。五つのブーケを見比べる。母親が入れ替えた葉ものと、花の組み合わせをちゃんと見ておく。
横から、細い手が伸びてきた。
「これちょうだい」
「いいけど」
母親が手を入れなかった二つのうちの片方を、葵は取り上げた。
「上手いかどうはわかんないけど、私はこれが好き」
「……そっか」
そっぽを向いたら、母親が満面の笑みでやり取りを見ていた。勘弁してくれ……。
葵は五つのブーケの写真を撮る。頷いて、選んだ一つを大事そうに抱え込んだ。
親父が配達ついでに葵を送るといって、葵は帰っていく。
夜まで花屋を手伝い、帰ってきた親父と店じまいをしている間に母親が晩ごはんを用意してくれたので、ありがたく食べる。
「揚げたての唐揚げ、うめえなあ」
「母さんのありがたみが、わかった?」
「うん。身にしみてる。ありがとうございます」
「藤乃が素直だと気持ち悪いわね……」
「ええ……」
そう言いつつ、帰り際に食料をたっぷり持たせてくれた。容器でいっぱいになったトートバッグをお腹に抱えると、ほんのり温かい。
アパートに戻るとき、母親が店の車で送ってくれた。
「学校は楽しい?」
「授業はおもしろいよ。見たことのない植物がいっぱいある」
「友達できた?」
「学校でちょっと話す相手くらいは、いるよ」
「藤乃は昔から人付き合いが下手だからねえ。面談のたびに、一人で過ごしてますって先生に言われてたし」
「いつの話だよ」
そう言ったけど、今でも全然うまくなんかない。たまには飲み会やカラオケに付き合った方がいいのかなあ。……面倒だなあ。
アパートの前まで送ってもらって、母親を見送る。
いまだに階段を上がるとき、真ん中あたりで一段飛ばす癖が抜けない。
部屋についたら、容器を冷蔵庫に入れる。唐揚げと卵焼きと、ひじきの煮たのと、なぜか小さい羊羹がいくつか。なぜ……。別に好きでも嫌いでもないけど。
シャワーを浴びてベッドに倒れこんだら、一瞬で意識が飛んだ。
次の日、学校を出たところで理人からメッセージが来た。塾の時間まで、うちで勉強していいか聞かれたので、いいよと返す。
アパートの前で落ちあって、部屋に入れる。
「塾、何時から?」
「七時です」
「夕飯は?」
「お弁当、持ってきました」
理人はそう言って、弁当箱を二つ取り出す。
「お邪魔してるお詫びにって、母が持たせてくれました。一つどうぞ」
「ありがとよ」
弁当箱はひとまず冷蔵庫に入れて、勉強を始める。理人は学校の宿題、俺は課題の調べもの。
空が赤く染まりはじめた頃、弁当を温めて食べる。ついでに、昨日の残りの唐揚げもいくつか温めた。
「昨日、うちの母親がくれたから、お前も食っていいよ」
「ありがとうございます! おいしいです!」
「そ? ならよかった」
別に、大したことじゃないんだけど。
葵が母親の作ったブーケより、俺のものを選んでくれたことは、すごく嬉しかった。
でも、理人が俺が美味いと思った唐揚げを美味しいと言ってくれたことも、嬉しかった。
「弁当もうめえな」
「そうですか? 母に伝えておきます」
食べ終えた理人は、俺の弁当も一緒に洗ってくれた。洗い終わると塾に行くと言うので、羊羹を二つ渡す。
「もらったから、あげる」
「ありがとうございます。……一つ、菅野さんにあげてもいいですか?」
「いいよ。……あいつ、ちゃんと塾行ってる?」
「来てます。ちょっと嫌がらせされたくらいで折れる子じゃないの、藤乃さんが一番知ってると思うんですけど」
「うん。知ってる」
理人を見送ってシャワーを浴びる。課題の続きをしてたら、葵から
『羊羹、うちのおじいちゃんが須藤のおじいちゃんにあげたやつだよ。でも、おいしかった。ありがと』
とメッセージが来ていた。そうだったのか……まあ、いっか。
神主さんの言うとおり、谷だろうが何だろうが、できることをしていくしかない。たぶん、そうやってやっていれば、いつの間にか山の高いところにいるんだろう。