伯爵家を支えていたのは私なのに、浮気した元旦那様に未練があるとでも? 幼馴染の騎士と再婚しますのでお帰りください
第12話【幼馴染、アレク視点】
冷たい空気が会場を満たし、周囲の視線がカーディスを突き刺していた。
その光景を見つめながら、アレクはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥で、長い間積もっていた怒りと、どうしようもない憤りが、少しずつ冷えていくのを感じる。
だが、その手はまだ微かに震えており――拳を強く握り、震えを堪えるように深く息を吸い込む。
耳の奥で心臓の鼓動が早鐘のように響き、その振動が全身に伝わっていた。
「エリナ……大丈夫か?」
小さな声で問いかけると、エリナが僅かに頷き、震える手で彼の袖を掴んだ。
その細い指先が頼るように震えていて、アレクは強く胸が締め付けられた。
彼女の不安と恐怖が手のひらを通して伝わってくる。
その瞬間、怒りが再び胸を突き上げた。
あの男が、この人をこんなふうにしていたのだ──その事実が許せなかった。
視界の端で、カーディスの顔が引きつり、何かを叫ぼうとする姿が見えた。
だが、その声は誰にも届かず、冷たい沈黙に飲まれていくばかりだった。
「大丈夫。もう終わったから。」
低く、しかしはっきりとした声でそう告げた自分の声が、少しだけ震えているのが分かった。
エリナの瞳がじっと自分を見つめ、その視線が痛いほど胸に響く。
彼女の目には涙が滲んでいたが、同時に、強い意志の光も宿っている。
その光に、アレクは安堵と誇りを感じた。そして何より、この人をこれからも守り抜くと心に誓った。
ふと視線を横にやると、カーディスが護衛に腕を取られ、無様に引きずられていく姿が目に入った。
酒に乱れ、肩を震わせ、顔色は土気色で、もはやかつての威厳ある伯爵の面影はどこにもない。
アレクはその姿を冷ややかに見つめ、静かに息を吐いた。
心の奥で湧き上がる感情は、もはや怒りではなく、静かな決別の色を帯びていた。
(――これが、お前の選んだ結末だ)
声に出すことはなかったが、心の中でそう呟いた。
カーディスとは友人でも何でもなかったが、エリナにとっては大切な夫だ。
婚約した時に何回か会う事があったが、その際に彼に対しては何度も大切にするように声をかけた。
しかし、結果がこれになってしまって――そんな事を考えていると、エリナがアレクに声をかける。
「アレク……ありがとう。」
小さく震える声が耳元で囁かれた。アレクは振り向き、そっと微笑んだ。
彼女の頬に一筋の涙が流れていたが、それは悲しみではなく、決意と解放の証だった。
彼女の強さを、その涙の意味を、アレクは胸の奥でしっかりと受け止めた。
手をそっと取り、その指先を包み込むように握ると、エリナが僅かに目を伏せ、
深く息を吐いた。その肩が少しだけ震え、けれど彼女の手はしっかりとアレクの手を握り返してきた。
そのぬくもりが心に沁み入り、胸の奥で何度も何度も「これでいい」と繰り返す声が響いた。
「これからは、俺が守る。」
その言葉を静かに告げると、エリナがそっと顔を上げ、微かに笑みを浮かべた。
その笑顔は小さく震えていたが、確かに輝いていて、アレクの心に深く刻み込まれた。
周囲からは、いつしか小さな拍手が湧き上がり、誰かが「幸せになってください」と囁いた声が遠くから聞こえた。
柔らかな空気が会場に満ち、花びらが春の風に乗ってふわりと舞い上がる。
エリナの髪をそっと揺らし、光を反射してきらめくその様子が、まるで祝福のように思えた。
アレクはエリナの指先に唇をそっと落とし、彼女を包み込むようにその手を強く握りしめた。
もう誰にも、この手を離させはしない。絶対に。
胸の奥で静かに、しかし確かな決意を固めた──これからは彼女の笑顔を守り続ける、と。
何があっても、この手を放すことはないと。
彼女の幸福を、何よりも大切にする。それが、自分のこれからの人生の全てだと、強く心に刻んだ。