伯爵家を支えていたのは私なのに、浮気した元旦那様に未練があるとでも? 幼馴染の騎士と再婚しますのでお帰りください
第16話【幼馴染、アレク視点】
春の穏やかな陽が屋敷の庭に降り注ぎ、若葉が風に揺れて小さな影を作っていた。
花々は鮮やかに咲き誇り、甘い香りが漂う。
アレクは庭の一角で、部下の一人である騎士のクリスと肩を並べ、静かに腰を下ろしていた。
視線の先では、エリナが笑顔で子どもを抱き上げ、笑い声を響かせている。
子どもは小さな手を伸ばし、母の頬を撫で、その様子にエリナはくすくすと笑った。
アレクはその光景に微笑みを浮かべ、胸の奥に広がる温もりを感じた。
「……カーディスが亡くなったそうだ」
アレクの低く、しかし確かな声が春の空気を震わせた。
隣のクリスがわずかに眉をひそめ、苦い顔で応じた。
「そう、ですか……噂は聞きました……誰にも看取られず、酒に溺れて、冷たくなっていたとか」
アレクはゆっくりと息を吐き、腕を組んで視線を遠くに向けた。
その横顔には、かつての戦場で見せたような冷静さと、淡い哀れみが入り混じっていた。
「寂しい最期だな……いや、あいつには、似合いの結末かもしれん」
クリスは少し目を伏せ、声を低くした。
「……あれだけの地位を持ちながら、全てを失い、最後は一人きりで……自業自得としか言いようがありません」
「そうだな。あいつは最後まで、自分が何をしてきたのか理解できなかった。エリナを傷つけ、家を傾け、それでも『俺は伯爵だ!』と言い張っていたと言っていたらしいな……馬鹿馬鹿しい」
アレクはふっと鼻で笑い、かすかに肩を揺らした。
クリスが小さく眉を寄せ、ためらいがちに尋ねた。
「……アレク様は、あの人を憎んでいますか?」
アレクは少し目を細め、柔らかな笑みを浮かべたが、その奥には冷たい影があった。
「憎む? いや、そんな価値もない……あいつは、自分で自分を壊した。それだけだ。ただ──」
言葉を切り、視線を庭の奥へと向けた。
そこには、笑顔で子どもを抱きしめ、陽だまりの中で輝くエリナの姿があった。
小さな手が彼女の頬を撫で、エリナは嬉しそうに目を細めている。
その様子を見て、アレクは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「……ただ、あいつは最後まで、本当に大切なものを持っていたことに気づかなかった……それが、哀れだと思うだけだ」
クリスは小さく頷き、視線を落とした。
「……本当に、大切なものを。あの人には、もう分からなかったんですね」
「ああ……最後まで、自分のプライドと肩書きにしがみついて、何も残せなかった」
アレクは静かに言い、手を膝の上に置いたまま、ふっと笑みを零した。
「俺は、もう後ろは振り返らない。過去は過去だ。あいつがどうだったかなんて、今の俺には何の意味もない。大事なのは、この手で守るべきものだ」
「そうですね……」
クリスがそのように言った後、二人の間に春風が優しく吹き抜けた。
花びらが舞い、エリナが子どもに向けて手を伸ばし、柔らかな声で名前を呼ぶ。
その姿に、アレクの瞳が細められ、穏やかな光が宿る。
「……もう二度と、失わない。あの時の過ちを、繰り返さないためにもな」
アレクの言葉に、クリスが小さく息を吐き、笑みを浮かべた。
二人は再び静かに庭の光景を見つめ、心の奥でそれぞれの誓いを新たにしたのだった。