キスはボルドーに染めて

はじまりはボルドーの丘で

 はぁと、心なしか小さな息が漏れる。

 結城 陽菜美(ゆうき ひなみ)はゆるやかな坂の途中で足を止めると、誰もいない今来た道を振り返った。

 日はもう傾きかけているのか、空の色はオレンジがかっている。

 陽菜美(ひなみ)は、呼びかけるような野鳥のさえずりを聞きながら、目の前の広大な葡萄畑をぼんやりと眺めた。


 ここはフランス南西部、赤ワインで有名なボルドーに位置する地区である。

 東西を海と河で囲まれたこの地域は、なだらかな丘の連続で形成されている。

 いわゆる名門と呼ばれるこのシャトーの葡萄畑も、その丘に沿って果てしなく広がっていた。


 ここで作られるワインは世界中で愛され、今も人々を魅了し続けている。

 そして陽菜美自身も、このシャトーのワインに特別な想いを抱えている一人だ。

 だからこそ、人生で一度きりの大切な日を、ここで迎える予定だった。


「こんなはずじゃ、なかったんだけどな……」


 陽菜美は、わずかに震える唇を手で覆うと、堪えていたものが弾けるように、わあっと声を上げて泣き出した。
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