キスはボルドーに染めて

特別な夜

 今陽菜美は、ドキドキとはち切れそうになった心臓を抱えながら、やけに静かな夜の街を蒼生と二人で歩いている。

 ついさっきまでは杉橋や他の社員たちと、お祝いと称した飲み会に参加し、居酒屋の喧騒の中にいたはずだ。

 でも一次会が終わった後、杉橋を先頭に他のメンバーはそそくさと二次会に流れてしまった。

「あとは二人でごゆっくりー」

 そう言いながらにんまりと笑った杉橋に、陽菜美は慌てたように顔を真っ赤にしたが、蒼生はくすりと肩を揺らすと「じゃあ行こうか」とほほ笑んだのだ。


 会社のある大通りから裏通りへと入り、途端に静かになった歩道をゆっくりと進む。

 しばらく歩いた頃、蒼生が一軒のバーの前で立ち止まった。

 陽菜美はドキリとすると、蒼生の後ろからそっと辺りを伺う。

 この辺りはこじんまりとした個人店が軒を連ねており“一見(いちげん)さんお断り”の店も多いのか、看板の出ていない店もあった。

 目の前のこの店も、黒地に白で“Bar(バー)”と書かれた電飾看板がひとつ立っているだけだ。
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