ダイエットなんてできません - 地味系プログラマーとワイルド系SE

第三話 「クリムゾン・レイル」

 土曜の昼下がり、穂花はクローゼットの前で立ち止まっていた。
 ライブハウスに行くなんて、何年ぶりだろう。何を着ればいいのか、いまいちピンとこない。

「スタンディングだろうから、動きやすい服がいいよ」
 ――夏希のアドバイスを思い出す。

 奥のほうにあったストレートジーンズを取り出して、試しにはいてみた。
 太もものあたりが、ちょっときつい。

 ――やっぱりダイエットしないと……

 それでもなんとかボタンを留めて、トップスにはオレンジのノースリーブブラウスを合わせた。
 ラフだけど、どこか女性らしさも出せる気がした。

   ◇◇

 新宿駅南口から地上に出ると、午後の日差しがまぶしい。
 人混みのなかを抜け、ライブハウス《クレイジースティック》へと歩く。
 ビルの地下、赤とダークグレーの無機質なファサードに、小さく控えめなネオンサインが光っていた。

 受付で名を告げる。

「西山穂花です。クリムゾン・レイルからの招待で……」

 スタッフが名簿を確認し、うなずいた。

「どうぞ。ワンドリンク制になっていますので、ドリンクチケットをこちらで」

 ドリンクチケットを購入して会場に入ると、外とは別世界のような薄暗い空間が広がっていた。
 ドリンクカウンターでノンアルコールカクテルを受け取り、ステージ前の観客の中へと進む。

 今日はツーマンライブ。クリムゾン・レイルは後半の出演だ。

   ◇◇
 
 最初のバンドは、若い男性ばかりの4人組だった。
 ポップでキャッチーなメロディーのロックナンバーが続き、最後は疾走感のあるアップテンポで締めくくる。

 ――明るくて勢いがあるけど、少しだけ物足りない。

 拍手と歓声がやんだあと、スタッフによる機材の入れ替えが始まった。
 それが終わると、暗転。

 青と赤のライトがステージを切り裂くように交差し、
 クリムゾン・レイルのメンバーが姿を現した。

 ステージに立つ五人の気配が、場の空気を一気に塗り替える。
 音が鳴る前から、何かが始まる予感――そんな圧を感じさせる。

 隆二は、黒のスキニージーンズにオレンジのノースリーブTシャツ。
 普段の彼とは違う“ステージ仕様”の服装だったが、他の”濃い”メンバーに比べるとやや落ち着いて見える。

 ボーカルの女性――グラマラスなボディに大胆なステージ衣装をまとい、すでに観客の視線を集めていた。
 キーボードの男は、サングラスにひげ、黒シャツ姿。無言で機材に触れる姿からも、ただ者ではない雰囲気が漂っている。

 ドラムは、タンクトップから日焼けした筋肉質の腕を覗かせ、スティックを指で軽く回している。

 そして、隆二に代役を頼んだあの女性――
 
 玲奈。
 ゴールドのウェストチェーンが光るスキニージーンズ、ダークブラウンのへそ出しタンクトップ。
 相変わらず抜群のスタイルで、無駄のない動きと自信に満ちた立ち姿が、すでに“絵になっている”。

 ――まるで、ロック雑誌から抜け出してきたみたい。

 でも、穂花の目は、自然と隆二に吸い寄せられていた。

   ◇◇ 

 ステージが暗転し、観客が息を呑む。
 キーボードの低いコード音が、静かに、空気を震わせる。

 そこへ、隆二のギターが切り込む。

 エッジの効いたソロリフ――それは穂花の心に鋭く入り込んでくるような音だった。

 ベースの玲奈がぶ厚く、跳ねるような低音を重ね、ドラムが加わると、会場が一気にうねった。

 そして、ボーカルのMIRAIがマイクを握り、身体を反らせて声を放った。

「――叫べ、もっと。心の中の、火花を解き放て!」

 圧倒的な歌声と存在感に、観客たちは一瞬で惹き込まれた。
 けれど、穂花の視線は……隆二に吸い寄せられていた。

 ギターを構える姿勢。リフの合間にふっと見せる笑み。
 汗を滲ませながらも、その音はまっすぐで、強くて、しなやかだった。

 ――こんな表情、知らなかった。
 ――会社では見せない、もう一つの顔。

 それは、“ワイルドな見た目”とか、“元バンドマン”という枠では言い表せない。
 仲間と、ステージと、音楽と――そして、そこに集まるすべての人と、真剣に向き合っていた。

 ある曲のギターソロでは、玲奈のベースと会話するように交差し、観客の歓声を誘う。
 その次のバラードでは、穏やかで切ない旋律を奏でる。

 穂花の胸が、熱くなる。

 ――かっこいい。
 ――こんなにも、真っすぐに何かに打ち込める人だったんだ。
 ――私、この人が……好きなんだ。

 いつの間にか、手にしていたノンアルカクテルの氷はすっかり溶けていた。
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