ダイエットなんてできません - 地味系プログラマーとワイルド系SE

第四話 「初めての都庁展望室」

 土曜の朝。まだ早い時間なのに、穂花はすでに洗面所の鏡の前に立っていた。

 昨日の夜に並べておいたメイク道具を一つずつ取り出し、深呼吸をひとつ。
 前回の“お試し”を思い出しながら、下地を少しずつ指先にとって、丁寧に肌になじませていく。

――赤みをカバーして、でも厚塗りにはならないように。

 次は眉。紗香の助言通り、角度をややなだらかに。
 まぶたには、ピンクベージュのシャドウをほんのりとのせる。派手すぎず、でも血色がよく見えるように。

 最後にリップ。慎重に塗ったあと、ティッシュで軽く押さえる。

 鏡の中の自分を、そっと見つめた。

 ――うん、昨日よりも上手くできたかも。

 頬がわずかに明るくなり、表情もどこか引き締まって見える。いつもの自分より、ほんの少し大人っぽくて、ほんの少し自信ありげ。

 続いてクローゼットを開け、何着か並べて悩む。
 いつもなら、無難なカーディガンと地味なパンツで済ませてしまうところだけど、今日はちょっと違う自分を見せたい。

 結局選んだのは、ライトグレーの膝丈スカートと、襟元に小さなフリルのついた白いブラウス。
 シンプルだけど、清潔感があって、頑張りすぎていない――そんなバランスがちょうどいい気がした。

 髪はサイドを軽くピンで留めて、いつもより高い位置のポニーテールにする。
 最後に、全身を鏡に映して、もう一度確認する。

「……大丈夫、かな」
 自然に、そんなひと言がこぼれる。

 胸の奥が、そわそわと騒がしい。
 初めてじゃないはずの新宿。でも今日は、ちょっと違う。

 ――うまく笑えるといいな。ちゃんと話せるといいな。

 鏡の中の自分に向かって、そっと笑いかける。
 少しだけ勇気が湧いた気がした。

 スマホを見ると、夏希から「駅で待ってるねー」のメッセージが届いていた。
 バッグを肩にかけ、玄関で靴を履く。

 小さな冒険の始まりのような、そんな気持ちでドアを開けた。

   ◇◇

 午後。待ち合わせの場所に向かう途中、穂花と夏希は新宿駅の西口コンコースを並んで歩いていた。

「ほんと、今日のメイクいい感じじゃん」
 そう言って、夏希がちらりと穂花の顔を覗き込む。

「えっ、そう……? 変じゃない?」
 穂花は反射的に頬に手を当てる。

「全然。ナチュラルなのに、ちゃんと印象変わってる。紗香先輩のセンス、侮れないね」
 夏希はニッと笑った。

 ――ちゃんと変わってるんだ。
 少しだけ、自分に自信が持てた気がして、穂花は小さく息を吐いた。

   ◇◇ 

 待ち合わせ場所は、新宿駅西口の交番前。ほどなくして、秀樹と隆二が歩いてくる。

「待った?」
 秀樹が夏希に声をかける。

「穂花としゃべってたから、全然気にならなかったよ」

 穂花は思わず隆二を見上げた。
 職場では遠くから見るだけだったけど、こんなに背が高くて、近くで見ると顔立ちもはっきりしていて――やっぱり、ちょっとかっこいいかも。
 ブラックジーンズに、ロックなロゴ入りのボルドーTシャツ。ライトグレーのメッシュジャケットの袖をラフにまくっていて、会社で見るよりずっとワイルドな雰囲気だった。

 四人は歩いて都庁へ向かう。先を歩く夏希と秀樹。その少し後ろを、穂花と隆二が並んで歩く。

「西山さんだよね。会社で見かけることはあるけど、こんな近くだと緊張するな」
 隆二がぽつりとこぼす。

 ――えっ、そっちが緊張してるの?
 らしくない一言に、穂花は少しうれしくなった。

「隆二さん、背高いですね。近くで見ると、びっくりしちゃいました」
「180。別に特別高いってわけじゃないと思うけど」

「都庁の展望室って、実は初めてなんです。新宿駅は通勤で毎日通ってるのに」
「俺も初めてだよ。あんまり“行こう”って思わないよな、地元の観光地って」
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