ダイエットなんてできません - 地味系プログラマーとワイルド系SE

第六話 「展望室からの夜景」

 展望台のカフェを出たあと、四人は再び展望室の窓際へと移動した。
 日が落ち、窓の外には東京の街が夜の表情を見せはじめていた。ビル群の輪郭はネオンに縁取られ、遠くには観覧車やタワーの明かりも瞬いている。

「ね、ちょっとそっちの角の方、見に行こうよ。夜景、すごくきれいだったよ」
 夏希が秀樹の袖を引っ張り、自然な流れでふたりは展望室の反対側へ歩いていった。

 気づけば、穂花と隆二だけが、その場に取り残されていた。

「……なんか、あのふたり、空気読みすぎですよね」
 穂花が照れ笑いを浮かべて言う。

「まあ、ありがたいけどね」
 隆二も肩をすくめながら、隣に立つ。

 二人並んで、黙って夜景を眺めた。
 視界いっぱいに広がる光の海。車のヘッドライト、ビルの窓明かり、東京タワーの赤い灯――どれもがまぶしく、そして不思議に静かだった。

「こういうの、写真で見るよりずっと綺麗ですね」
「うん、俺も思った。来てよかった」
「……誘ってくれて、ありがとうございます」

 数秒の沈黙のあと、隆二がぽつりと切り出す。

「……あのさ、もしよかったら、LINE交換しない?」
 穂花の心臓が、ほんの一瞬だけ止まりかける。

「……いいんですか? 私なんかと」
「なにそれ。いいに決まってるじゃん。今日みたいに、またみんなで遊びに行けたらいいし。もちろん、ふたりでも」
 隆二がスマホを差し出す。

 震えそうな手で、穂花は自分のスマホを取り出し、そっとQRコードを読み込んだ。
「西山穂花です」と送信する指が、微かに震えていた。

「ありがとう」
 画面に名前が表示されると、隆二が満足そうに頷いた。
 
 そのあと、合流した夏希たちと一緒にエレベーターで展望室をあとにした。
 地上に降りて、再び四人で歩きはじめる。

 夜風が思ったより涼しくて、穂花は上着の袖を軽く引き直した。

「新宿駅まで歩こうか」
 秀樹の言葉に、夏希が「うん」と返し、先に立って歩き出す。

 穂花と隆二はその少し後ろを、自然な間合いで並んで歩いた。
 にぎやかな土曜の夜。街は光と人であふれているのに、不思議と穂花の心は落ち着いていた。

「今日、会社でみるのと、なんか雰囲気違うなって思った」
「……そんなに違いますか?」
「うん、少しだけ。いい意味で。なんていうか、柔らかく見える」

「紗香先輩にアドバイスもらって、メイク、頑張ってみたんです。今日は、ちょっとだけ変わりたくて」
「……うん、すごく似合ってるよ」

 ――似合ってる。
 そのひと言が、穂花の胸にじんわりと染みこんだ。

 駅の灯りが見えてくる。
 もう少しだけ、この道が続けばいいのに――そんなことを思いながら、穂花は隣にいる隆二の歩幅に追いつくように、少し足を速めた。

   ◇◇

 その夜、穂花はシャワーを浴びたあと、ヘルスメーターの上にそっと足を乗せた。

 ――56キロ。
 全然減ってない。……でも、太ってもいなかった。
 それだけでも、今日はよしとするべきかもしれない。

 最近は、WEB小説のお供をお菓子から無糖の紅茶やコーヒーに変えるようにしている。
 でも、仕事中の甘いものだけはどうしてもやめられなくて――そして今日は、ケーキまで食べてしまった。

 それでも、心は軽かった。

 バスタオルで髪をざっと拭きながら、ベッドサイドに置いたスマホを手に取る。
 通知が一件。隆二からだった。

《今日はありがとう。楽しかった。また行こうね。》

 画面を見た瞬間、胸の奥がふわっと温かくなる。
 展望台での夜景、ピアノ、窓辺で並んで立ったあの時間。
 そして、LINEを交換したときの、あの不思議な高揚感。

 ――「また行こうね」。

 その言葉が、ただの社交辞令じゃないことを、穂花はなんとなく感じていた。

 指先で返信画面を開く。何度か入力しては消して、少し考えてから、短く送った。

《こちらこそ、すごく楽しかったです。またぜひ》

 文末に「♪」をつけるか迷って、結局つけなかった。
 ……でも、いいよね。これくらいの温度感で。

 スマホを伏せて、ベッドに体をあずけた。
 体重は変わらなくても、今日は何かが少しだけ変わった気がする。
 メイクして、オシャレして、誰かの隣を歩いた自分。
 ほんの少しだけ、明日の自分が楽しみになった。
< 6 / 24 >

この作品をシェア

pagetop