ダイエットなんてできません - 地味系プログラマーとワイルド系SE
第二章:仕事と恋の交差点

第一話 「業務上の接点」

 月曜日の朝。
 鏡の前で、穂花はメイクをしていた。
 紗香に連れて行ってもらったコスメカウンターで教わって以来、少しずつ練習を重ねてきた。
 最初は時間がかかっていた手つきも、今では自然な流れで仕上げられるようになっていた。

 ――よし、今日も一日、ちゃんと頑張ろう。

 軽くリップを整えて、いつもの通勤カバンを手に取る。
 休日の余韻はまだ胸の奥に残っていて、通勤電車の混雑すら、どこか穏やかに感じられた。
 
   ◇◇

 席につき、PCを立ち上げる。メールの受信ボックスには、週明けらしい通知がずらりと並んでいた。

 その中のひとつ――件名「法人ポータル 抽出条件追加の件」が目に留まる。

 送信者は、情報系チームのリーダー・宮田だった。

 ――法人営業部からの要望か。
 メール本文には、ダッシュボードで確認できる融資データに「条件による絞り込み機能を追加したい」と書かれていた。
 具体的には、「指定された月数以内の新規契約案件を抽出できるようにしたい」というもの。

 要件はやや曖昧だったが、抽出ロジックは情報系側で組み込む前提らしい。
 穂花はプロジェクト管理ツールを開き、整理しながら設計タスクを書き出していく。

 画面設計、条件チェックのロジック設計、データ項目の確認、連携仕様の確認――
 一つずつ落ち着いて洗い出していくと、気持ちも仕事モードに切り替わっていった。

   ◇◇

 一段落したところで、穂花は席を立ち、マグカップを持ってリフレッシュルームへ向かう。
  コーヒーマシンのボタンを押し、香ばしい匂いが立ち上るのをぼんやりと眺める。
 そこへ、見慣れた人影がやってきた。

「お疲れ。あ、同じくコーヒー休憩?」
「紗香さん」

 穂花が振り返ると、先輩の上条紗香が、スリムな紙カップを片手に隣に並んだ。

「昨日のデート、どうだった?」
 紗香はにこりと笑って、紙カップのフタを外す。

「はい……すごく楽しかったです。紗香さんに背中を押してもらえたおかげです」
「ふふ、それはよかったわ」

 穂花は、カップの淵に口をつけながら、ふと隣の先輩に目をやる。
 紗香は今日も洗練されたパンツスーツを着こなしていて、細くて背も高い。姿勢もよく、どこか凛としている。

「……次は、ダイエットかなって思ってるんです」
 ぽつりとつぶやいた。

「ダイエット?」
「私、いつも途中で挫折しちゃって。続かないんですよね……」

「え~? 気にしなくていいと思うけどなあ。穂花ちゃんくらいが、女性らしくてモテると思うけど?」

「それ、やっぱり“太ってる”ってことじゃないですか……」
「ちがう、ちがう」
 紗香は笑いながら、穂花の肩を軽く叩いた。

 ――モデル体型の紗香さんにそう言われても、説得力ないなあ。

 でも、そんな何気ないやりとりに、穂花の心は少しだけ軽くなっていた。

   ◇◇

 席に戻ると、さっそく設計の下書きを始めた。
 抽出条件のチェックロジックを組みながら、必要なデータ項目を一つずつ洗っていく。

 ところが、問題が発生した。

 ――新規契約日って……これ、情報系に連携されてない?

 再確認のため、過去の連携仕様書を開いて確認するが、やはり該当する項目は見当たらない。
 もしかして、勘定系のデータそのものにはあるのかもしれない。

 正式には照会票を書いてチーム宛てに問い合わせるところだが、今回は、チャットツールを開き、ある人物にメッセージを送くることにした。
 
《お疲れさまです。融資連携データについて、1点ご相談よろしいでしょうか?》

 宛先は、三田村隆二。
 昨日の展望台で、夜景を一緒に見た人。
 業務でメッセージを送るのは初めてだったけれど、不思議と自然に指が動いていた。

 しばらくして、返信が届く。

《今って、社内にいますか? オープンスペースで説明しますよ。ちょっと口頭のほうが早いかも》

《はい、大丈夫です。そちらに伺います》

 ノートPCを小脇に抱え、席を立った。
 ほんの少しだけ、胸が高鳴っていた。

「業務のことなのに、どうしてこんなに緊張してるんだろう」
 自分に小さく笑って、穂花は歩き出した。
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