先輩の添い寝係になりました
■第1話:始まり
ポンと頭に手が置かれた。
瑞音はそっと相手を見上げる。
見慣れないスーツ姿の響は、ぞくっとするほどの色気を湛えていた。
こんな社員が会社にいたら、きっと仕事にならないだろう。
整った顔立ちに、余裕のある笑み。だが、そこはかとなく危うさがあって目が離せない。
「きみは……どこにも行かないよな?」
甘く囁く声に、背筋がぞくぞくする。
「俺のそばにいてくれ」
「……っ!」
驚きで声も出ない――という演技をせずとも、圧倒されて何も言えない。
「返事は?」
そっと耳元で囁かれ、瑞音は顔を真っ赤にしてうなずいた。
「はいっ……!」
「カット!」
監督の声に、瑞音はホッと肩の力を抜いた。
「すごくよかったよ、瑞音さん!」
「ありがとう、助かった!」
次々労いの言葉をかけてくれるスタッフに笑顔を見せる。
ここはショートドラマの現場だ。
瑞音は女優ではない。ただの一般人だ。
今回、急遽女優さんが来られなくなってしまい、ピンチヒッターとして代役を頼まれたのだ。
そう、目の前の主演俳優、涼宮響に。
「お疲れ、最高だった」
響がにこり、と笑いかけてくる。
響は現在、二十六歳。映画にドラマにと引っ張りだこの人気イケメン俳優だ。
そして、瑞音の高校の先輩で同居人。
いや、正確には大家だ。
失職し、住まいまで失った瑞音が転がり込んだのは、響のマンションだった。
タダでお世話になっている瑞音は、恩返しをしたくて響の頼みを引き受けた。
(思い切ってやってよかった……)
瑞音は清々しい思いで、十日前の事件を思い浮かべた。
すべては高校の人気者だったこの先輩との再会から始まった。
*
「あれ? 『昼寝ちゃん』じゃん」
「えっ……」
瑞音は目を見張った。
高校時代の憧れの先輩である響が目の前に立っていたのだ。
今人気の俳優らしく、帽子とマスクをしているが、綺麗な切れ長の目が印象的ですぐに響だとわかった。
「きみ、あれでしょ。どこでも昼寝できるっていう……」
「私、『ひるね』じゃなくて『みずね』です。瑞音」
久しぶりに呼ばれたあだ名に、瑞音は少しくすぐったい思いで訂正した。
目の前にいるのは涼宮響。二歳年上の高校時代の先輩だ。
といっても、同じ高校だっただけで特に仲が良かったわけではない。
長身のイケメンで高校時代からモデルをしていた有名人の響に、一方的に憧れていただけだ。
まさか響が自分を認識していたなど思いもしなかった。
「昼寝ちゃん、もしかしてここに用?」
目の前に立っているのは二階建てのシェアハウスだ。
「はい、引っ越してきたので……」
大きなトランクを引きずっているので、隠しようもない。
「マジか……」
響が額に手を当てる。
「ここさ、俺の親戚がオーナーの建物なんだけど」
「えっ、そうなんですか!?」
「実は、水漏れがあってしばらく住めないんだ。俺は様子を見るように頼まれたんだけど……」
響が鍵を見せてくれる。
「不動産屋さんから連絡来てない?」
「えっ……」
慌ててスマホを見ると、着信があった。
「えっ、どうしよう……」
とりあえずは近場のホテルかどこかに避難するしかないが、事情があって失職した身としては出費が痛い。
「ちょっと長引きそうなんだよね。老朽化が進んでて、この機会に直した方がいい箇所がいろいろ出てきて」
「……っ」
瑞音はショックを隠しきれなかった。
トラブルに見舞われて再出発をと意気込んでいただけに、出鼻をくじかれた感じだ。
「行き場がない感じ……?」
瑞音はこくりとうなずいた。
実家の両親とは折り合いが悪く頼りたくない。
響がしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「えっと……とりあえず、俺のマンションに来る?」
「は?」
「シェアハウスを住居に選んだってことは、わりと手持ちが厳しいんじゃない?」
瑞音はぐっと詰まった。
響の言うとおりで、敷金礼金がない格安家賃に引かれての入居だった。
女性専用ハウスというのも魅力で、急に好条件の住居が見つかる気がしない。
「先輩のマンションって……」
「この近く。かなり広いし、俺はあんまり家にいないから、気を遣わなくて済むよ」
「で、でも……」
知らない相手ではないとはいえ、男性の家に行くのは躊躇いがあった。
「や、警戒するよね。無理にとは言わないけど……」
そのとき、ぽつっと冷たいものが頬に当たった。
「雨……!」
大荷物を持った瑞音は呆然とした。
「ど、どうしよう……」
「とりあえず、俺の家で雨宿りして考えたら。誓って嫌がるようなことはしないから」
瑞音は一瞬迷ったが、思い切ってうなずいた。
高校時代の響しか知らない。でも、当時から華やかな見た目に反して誠実な人だったのは知っている。
「お、お願いします」
「じゃあ、タクシー拾うね。大荷物、大変だろうから」
瑞音はそっと相手を見上げる。
見慣れないスーツ姿の響は、ぞくっとするほどの色気を湛えていた。
こんな社員が会社にいたら、きっと仕事にならないだろう。
整った顔立ちに、余裕のある笑み。だが、そこはかとなく危うさがあって目が離せない。
「きみは……どこにも行かないよな?」
甘く囁く声に、背筋がぞくぞくする。
「俺のそばにいてくれ」
「……っ!」
驚きで声も出ない――という演技をせずとも、圧倒されて何も言えない。
「返事は?」
そっと耳元で囁かれ、瑞音は顔を真っ赤にしてうなずいた。
「はいっ……!」
「カット!」
監督の声に、瑞音はホッと肩の力を抜いた。
「すごくよかったよ、瑞音さん!」
「ありがとう、助かった!」
次々労いの言葉をかけてくれるスタッフに笑顔を見せる。
ここはショートドラマの現場だ。
瑞音は女優ではない。ただの一般人だ。
今回、急遽女優さんが来られなくなってしまい、ピンチヒッターとして代役を頼まれたのだ。
そう、目の前の主演俳優、涼宮響に。
「お疲れ、最高だった」
響がにこり、と笑いかけてくる。
響は現在、二十六歳。映画にドラマにと引っ張りだこの人気イケメン俳優だ。
そして、瑞音の高校の先輩で同居人。
いや、正確には大家だ。
失職し、住まいまで失った瑞音が転がり込んだのは、響のマンションだった。
タダでお世話になっている瑞音は、恩返しをしたくて響の頼みを引き受けた。
(思い切ってやってよかった……)
瑞音は清々しい思いで、十日前の事件を思い浮かべた。
すべては高校の人気者だったこの先輩との再会から始まった。
*
「あれ? 『昼寝ちゃん』じゃん」
「えっ……」
瑞音は目を見張った。
高校時代の憧れの先輩である響が目の前に立っていたのだ。
今人気の俳優らしく、帽子とマスクをしているが、綺麗な切れ長の目が印象的ですぐに響だとわかった。
「きみ、あれでしょ。どこでも昼寝できるっていう……」
「私、『ひるね』じゃなくて『みずね』です。瑞音」
久しぶりに呼ばれたあだ名に、瑞音は少しくすぐったい思いで訂正した。
目の前にいるのは涼宮響。二歳年上の高校時代の先輩だ。
といっても、同じ高校だっただけで特に仲が良かったわけではない。
長身のイケメンで高校時代からモデルをしていた有名人の響に、一方的に憧れていただけだ。
まさか響が自分を認識していたなど思いもしなかった。
「昼寝ちゃん、もしかしてここに用?」
目の前に立っているのは二階建てのシェアハウスだ。
「はい、引っ越してきたので……」
大きなトランクを引きずっているので、隠しようもない。
「マジか……」
響が額に手を当てる。
「ここさ、俺の親戚がオーナーの建物なんだけど」
「えっ、そうなんですか!?」
「実は、水漏れがあってしばらく住めないんだ。俺は様子を見るように頼まれたんだけど……」
響が鍵を見せてくれる。
「不動産屋さんから連絡来てない?」
「えっ……」
慌ててスマホを見ると、着信があった。
「えっ、どうしよう……」
とりあえずは近場のホテルかどこかに避難するしかないが、事情があって失職した身としては出費が痛い。
「ちょっと長引きそうなんだよね。老朽化が進んでて、この機会に直した方がいい箇所がいろいろ出てきて」
「……っ」
瑞音はショックを隠しきれなかった。
トラブルに見舞われて再出発をと意気込んでいただけに、出鼻をくじかれた感じだ。
「行き場がない感じ……?」
瑞音はこくりとうなずいた。
実家の両親とは折り合いが悪く頼りたくない。
響がしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「えっと……とりあえず、俺のマンションに来る?」
「は?」
「シェアハウスを住居に選んだってことは、わりと手持ちが厳しいんじゃない?」
瑞音はぐっと詰まった。
響の言うとおりで、敷金礼金がない格安家賃に引かれての入居だった。
女性専用ハウスというのも魅力で、急に好条件の住居が見つかる気がしない。
「先輩のマンションって……」
「この近く。かなり広いし、俺はあんまり家にいないから、気を遣わなくて済むよ」
「で、でも……」
知らない相手ではないとはいえ、男性の家に行くのは躊躇いがあった。
「や、警戒するよね。無理にとは言わないけど……」
そのとき、ぽつっと冷たいものが頬に当たった。
「雨……!」
大荷物を持った瑞音は呆然とした。
「ど、どうしよう……」
「とりあえず、俺の家で雨宿りして考えたら。誓って嫌がるようなことはしないから」
瑞音は一瞬迷ったが、思い切ってうなずいた。
高校時代の響しか知らない。でも、当時から華やかな見た目に反して誠実な人だったのは知っている。
「お、お願いします」
「じゃあ、タクシー拾うね。大荷物、大変だろうから」
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