先輩の添い寝係になりました

■第10話:代役

 それから一週間、瑞音(みずね)はだんだん同居生活に慣れていった。

 一緒に朝ご飯を食べ、仕事やトレーニングに行く(きょう)を送り出し、家事をして、夜は一緒に眠る――。
 穏やかで、だからこそ不安がいつもある。

(こんな奇跡みたいな日々が続くはずがない……)

 その思いは当たっていた。
 電話が来たのだ。

「仕事、紹介してもらえました!」
「えっ」

 仕事から帰った響に、瑞音は喜び勇んで伝えた。

「前の会社の取引先の人が気の毒がって、関連企業の社長秘書にどうかって」
「社長秘書……」
「なんかすごそうですけど、他にお二人秘書の方がいて、私は見習い兼雑用みたいなポジションらしいです」

 瑞音はにっこり微笑んだ。

「来週、面接なんです。お金を貯めたら、ここを出ますね!」
「……」

 てっきり一緒になって喜んでくれるかと思った響だが、何やら考え込んでいる。

「先輩?」
「……昼寝ちゃんは出ていきたいの?」
「いつまでもお世話になれませんし。最近、毎日眠れてますよね? もう睡眠のリズムはできたんじゃないでしょうか。私がいなくても、きっと大丈夫ですよ!」

 力強く太鼓判を押してみたが、響は曖昧(あいまい)に微笑むだけだった。

「晩ご飯作るよ。シチューでいい?」
「は、はい。手伝います!」
「じゃあ、ジャガイモの皮を剥いて」

 ゆったりしたキッチンで並んで料理をするのも慣れてきた。
 タマネギを切りながら、響が話しかけてくる。

「昼寝ちゃん、明日は暇?」
「特に予定はないですが……」
「じゃあ、ショートドラマの撮影見に来ない?」
「ドラマですか?」

 突然の誘いに瑞音は目を見張った。

「仲間うちでドラマを作ってるんだ。配信サイトで流す予定でさ。役者もそうだけど、監督、脚本、音響、メイク、全員友達だけでやろうって話になって」
「ええっ、楽しそうですね!」

 スタッフが全員友達なら、和気藹々(わきあいあい)と緊張せずにやれるだろう。

「私、行っていいんですか?」
「むしろお願いしたい。エキストラ頼めない?」
「えっ」

 瑞音は驚いた。

「でも、私、演技なんかできませんけど……」
「ただ座ってくれてたらいいんだ。オフィスものだから、襟付きのシャツにシンプルなスカートかパンツとかで」
「わかりました!」

 会社員時代の服でいいだろう。
 響の手伝いができると思うと、瑞音はわくわくした。

        *

 翌日、瑞音は響と一緒にスタジオに行った。

「わあ……」

 ドラマなどでしか見たことがないセットに、瑞音は感嘆の声を上げた。

「すごいですね、機材とか」
「ごちゃごちゃしてるだろ。その辺、座ってて。終わったらケータリングで打ち上げするから」
「はい」

 こんな大勢が集まって仕事をしている現場は久しぶりだ。

「こんにちは! 響の後輩なんだって?」
「今日はエキストラ、よろしく!」

 響の友達が次々と声をかけてくれる。
 気さくな現場の雰囲気に、瑞音はリラックスし始めた。

「えっ、エキストラの女優さんが来てない?」

 スタッフの一人が困惑した口調で監督に伝えている。
 急にざわめきが広がり、緊迫した雰囲気になる。

「はい、電話をかけても繋がらなくて……」
「困るなー。どうしよう……」

 監督だと紹介された茶髪の青年が、ちらっと瑞音を見た。

「瑞音さん、申し訳ないけど代役してもらえる?」
「えっ」

 突然の申し出に瑞音は驚いて立ち上がった。

「瑞音さんがちょうど役柄にぴったりなんだ。24歳の会社員役」
「私、演技なんか……」

 ひょいっと響が顔を覗かせる。

「セリフはほぼない。俺の問いに『はい』って言うだけ」

 台本を渡された瑞音は呆然とした。

「瑞音さん、お願い!」

 監督たちスタッフが手を合わせてくる。

「俺からも頼む」

 響の言葉に心が揺れた。

「一言だけ……」

 それならやれるかもしれない。

「大丈夫、俺がリードするから」

 会社員役の淡いブルーのカッターシャツを来た響が笑顔を向けてくる。
 台本を見ると、響と二人だけのシーンのようだ。

「わかりました……! やります!」

         *

 最初は緊張していた瑞音だが、響にだけ集中しているとだんだん落ち着いてきた。
 自分は女ったらしの響に引っかけられた後輩、という役柄だ。

 ポンと頭に手を置かれ、顔を覗き込まれる。
 それだけで、心臓が破裂しそうだ。

「返事は?」

 響の殺し文句に、瑞音は自然とうなずいていた。

「はい……っ!」
「カット! すごくよかったよ、瑞音さん!」

 皆にねぎらわれてホッとする。
 どうやらちゃんとこなせたようだ。
 ドラマに出演するなど初めてだったが、響のおかげでやりきれた。

(お世話になったお返しが少しできたかな……)

「お疲れ、最高だった」

 響がそう言って笑いかけてきた。
 だが、すぐ顔をそらせる。
 その頬が赤い。

「どうしたんですか、先輩?」

 響が口に手を当てる。目線はそらせたままだ。

「いや……。俺、変じゃなかった?」
「先輩がですか? いえ、全然。とても素敵な女ったらしぷりでした」
「それならよかった……」

 ホッとしたように響が息を吐く。
 だが、なぜか目を合わそうとしなかった
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