しつこいくらい、甘えてもいい?
第3話
土曜日の昼下がり。
いつものスーパーで、私は週末の買い出しをしていた。
オフィスを離れた日は、ひとりで静かに過ごすのがいつものパターン。
買い物が終われば、家に帰って掃除をして、空いた時間は本を読む。
誰にも邪魔されず、誰にも気を遣わず、ひとりでいるのが、私にとっては普通だった。
……はずだったのに。
「黒木」
ふいにかけられたその声に、思わず買い物カゴを落としそうになる。
「え、瀬戸さん!?」
振り返るとそこには、私服姿の瀬戸さんがいた。
白いシャツに、淡い色のデニム。
オフィスで見慣れたスーツ姿とは違って、どこか大人っぽくて、けれど軽やかで——不思議と目が離せなくなる。
「よ、偶然だな」
彼は、私を見つけて心底楽しそうに微笑んでいた。
「え、なんでここに……」
「買い出し」
あっさりと返される。
その気軽な感じが、どうしようもなく私のペースを乱してくる。
「お前は、どうした?」
「……私も買い出しですけど」
スーパーで買い物カゴを持っている人間に、「どうした」って聞くのも変な話だ。
なんて思いつつ、私はつい視線を逸らす。
なんだか……変に意識してしまう自分が嫌だ。
「ひとり?」
「複数に見えますか?」
「質問を質問で返すな」
そう言いながら微笑んで、私のカゴを覗き込んできた。
「ひとりでカップ麺とか大量に買い込んでるの、なんかちょっと寂しいな」
「寂しくないです。余計なお世話です」
ぶっきらぼうに返すけど、瀬戸さんは気にしていない。
「寂しくないって言うけど、ほんとうは絶対寂しい」
「し……しつこい」
心の奥を軽々と言い当てられるたびに、私はつい語気を強めてしまう。
これ以上、瀬戸さんには付き合いきれないと思った。
私は彼に背を向けながら「失礼します」とだけ告げて、軽く一歩を踏み出す。
しかし、その動きは、瀬戸さんによって封じられた。
「ほら、だから。一緒に回ろう」
「……は?」
瀬戸さんは私が持っていたカゴを奪い取り、自身の肘にひっかける。
そして空いた方の手で、私の袖口を掴んだ。
「い……いいです。やめてください」
「いいから」
「いやです」
「しつこい」
抵抗する間もなく、ぐいっと腕を引かれる。
彼の手が私の袖口を掴んだだけで、実は体温が跳ね上がっていた。
「……勝手なことしないでください」
「勝手なことする」
いつものやりとり。
でも、オフィスではない。
休日の、プライベートの、ふたりきりの時間。
私は言葉で抵抗しながらも、彼の歩調に自然と合わせていた。
それが……すこし癪だ。
「黒木、甘いの好き?」
「……はい?」
「好きなら、俺んちでホットケーキ作ってやる」
「は……?」
あまりにも突然で、私は思わず立ち止まる。
「何を言ってるんですか?」
冗談だと思いたいのに、瀬戸さんは意外と真面目な表情をしていた。
「変な意味ですか?」
「別に変な意味じゃない」
「変な意味でしょ」
「……変な意味なら、〝連れて帰る〟って言ってる」
「……っ」
「反論できないようだな。じゃあ、変な意味じゃないってことで決定」
どういう理屈だ。
完全に瀬戸さんのペースに巻き込まれている気がして、思わず溜息が漏れた。
これまでも瀬戸さんと何かしたことがあるわけではない。
飲み会で一緒になることもないし、当然プライベートを共に過ごすなんてこともない。
だから、この展開が……ほんとうに理解できない。
「決まりな。俺んちで、ホットケーキ」
「ほんとに、意味わかりません」
「黒木、こういうの苦手だろ?」
「……」
彼は私の横顔を覗き込むようにして、優しく割った。
その目が、ほんのすこしだけ、からかいを越えたものに見えて、また胸が締め付けられる。
「……苦手です」
それでも、私は素直になれない。
「わかってる」
そして、瀬戸さんもいつも通り。
彼はゆるく笑いながら、ゆっくりと歩き出した。
「でもさ、黒木。苦手なことも、やってみたら案外平気かもしれないよ?」
その言葉が、ふわりと私の胸の奥に残る。
どこかもどかしくて、平常通りでいることが難しく思えた。
「それに」
ふいに立ち止まった瀬戸さんが、私の方を振り返る。
「黒木がひとりでカップ麺ばっかり食べてるの、やっぱり寂しい」
——なんて、悲しそうな目をしているのか。
私のことなんて放っておいてくれたらいいのに……そう思いつつも、心拍数はすこしだけ上がっているような気がした。
「……瀬戸さん、ほんっとにしつこいです」
「お前も、ほんと頑固」
私たちのやりとりは、きっと周りから見ればただの軽口にしか見えない。
でも私は、ほんとうは気付いていた。
瀬戸さんは、冗談のふりをして——本気で私のことを見ながら、心配してくれていること。
だから余計に、もどかしい。
「……じゃあ」
私は、ぽつりと小さく呟いた。そして、言葉を続ける。
「甘え方、ちょっとだけ……なら」
「え?」
「いや、なんでもないです」
「もう聞こえた」
瀬戸さんは、にやっと笑った。
そして嬉しそうにまた、私の袖口を掴む。
「じゃあ、ちょっとだけな」
「……い、いや……待って。やっぱり私、何も言ってな——」
「しつこい」
「……」
強引な瀬戸さんに、私の頬が赤くなる感覚がする。
私の心臓は、また飛び跳ねていた。