しつこいくらい、甘えてもいい?

第8話


 避けていた。
 私は、確実に瀬戸さんを避けていた。
 目が合いそうになると逸らし、会話になりそうな場面では、すぐにその場を離れる。
 それでも瀬戸さんは、いつもと変わらず、私に声をかけてくれた。

「黒木、お疲れ様」
「あ、はい。お疲れ様です」
 ある日の昼休み。
 たまたま瀬戸さんとすれ違った私は、いつも通り適当な挨拶をする。
 そしてそのまま足早に通り過ぎようとした——その時。
「なぁ、黒木」
 いつもより、ほんのすこしだけ低い声が飛んできた。
 私は思わず、ぴたりと足を止める。
「お前——最近、俺のこと避けてるよな」
「……そんなこと、ないです」
 自然に笑って、なんでもないふりをする。
 でも、もう私の嘘は、瀬戸さんにはとっくにばれているに違いない。
「避けてる」
「違います」
「ほんとに?」
「ほんとです」
「……嘘だ」
 私が、いつものようにかわそうとした瞬間、瀬戸さんが一歩、私の前に回り込んだ。
「嘘つくな。俺、そういうの結構、気にするタイプだから」
 冗談っぽく軽く笑う。
 だけどその目は、まったく笑っていなかった。
「なぁ、黒木」
 ——自分の心臓が、うるさすぎる。
 瀬戸さんとの距離がいつもより近い気がして、胸が苦しかった。
「俺、なんかした?」
「……してないです」
「じゃあ、俺が気づかないうちに、何か嫌なこと言った? 傷つけた?」
「……違います」
 私は、思わず目を逸らした。
 まっすぐで真剣な眼差しを向けられるのが、ほんとうに耐えられなかった。
「だったら、なんで避けてるんだよ」
「……」
「黒木」
 瀬戸さんの声が、すこし低くなる。
 私は、自分の体の震えを抑えることすらできない。
「お前が今、何を考えているのか、ちゃんと教えてほしい」
「……」
「俺さ、お前のこと、もっと知りたいんだけど」
 その一言が、私の胸の奥に深く突き刺さった。
 どうして。
 どうして、そんなことを言うの。
 冗談で言うには、近すぎる距離。
 軽く流すには、まっすぐすぎる瞳。
 調子が狂って、心臓まで置きざりにされたみたいだった。
「なんでもないです」
「……ほんとに?」
「ほんとうに……なんでもないです」
「……しつこい」
 私は、何度も同じ嘘を繰り返していた。
 小さな嘘で、彼との距離を必死に保とうとする。
 我ながら、かっこ悪いと思った。けれど、もう後に引けない。
「黒木、本音は?」
 瀬戸さんは、一歩、さらに距離を詰めた。
 すぐそこに彼がいて、すぐそこに彼の体温があって、私は一歩も動けなくなる。
「俺、お前が何を考えてるのか、ちゃんと知りたい」
 その声は、さっきよりもずっと優しくて、でも、確実に逃げ道を塞いでくる。
 ずるい。
 瀬戸さんは、ほんとうにずるい人だ。
 私が一番言いたくないことを、どうしてそんなふうに、簡単に引き出そうとするのか。
「……ほんとうは、私……」
 唇が、自然に動いてしまいそうだった。
 でも、
 もし言葉にしたら、私はもう、私でいられなくなる気がする。
 それが、怖かった。
「私……」
 心臓が、苦しいくらいに暴れている。
 もう、このまま言ってしまえば楽になるのに。
 それでも、私は——
「……なんでもないです」
 また同じ嘘を繰り返した。
「……」
 瀬戸さんは、ほんのすこしだけ目を細めた。そしてすこしだけ寂しそうに笑う。けれど、すぐにいつものふざけたような笑顔に戻った。
「ほんと、しつこいな。お前」
「……」
「でも、俺も結構しつこいから。覚悟しとけよ」
 その時、タイミングがいいのか悪いのか、昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響く。
 瀬戸さんは冗談みたいに、軽く笑いながら。でもいつになく真剣な眼差しで、私を見つめていた。

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