あなたがいないと、息もできなかった。
第四章:再会、そして本当の気持ち



「……奏音?」

 その声に、受付カウンターの彼女がふと顔を上げた。

 静かな図書館。控えめな空調音とページをめくる音しかない中で、奏音の目が一瞬、揺れる。

 見間違いではなかった。
 その瞳、輪郭、手の動き──何ひとつ変わっていない。
 いや、変わった。
 それでもたしかに、「あの頃の彼女」が、そこにいた。

 彼女もまた、ゆっくりと立ち上がる。

「……透真……くん……?」

 その声に、胸の奥が熱くなる。

 懐かしさと、戸惑いと、嬉しさと、ほんの少しの恐怖。

 心が追いつかない。けれど──確かにここにいる。

 ふたりの視線が、ようやく交差した。

「ひさしぶり……だね」

「……うん、五年……ぶり、かな」

 奏音の声は、驚くほど落ち着いていた。
 あの頃よりも柔らかく、けれど芯のある口調。
 透真は、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。

 ──きっと、彼女は、変わったのだ。

 誰かに頼らなくても、立っていられる人になったのだ。

 


  ***


 その日は、少し早めに図書館が閉館する日だった。

 奏音の提案で、駅前のカフェに入る。
 窓際の席。曇りガラス越しに見える街灯の灯りが、淡く揺れていた。

「……偶然、ここに?」

「うん。出張で近くに来てて。……まさか、君がいるとは思わなかった」

 少しの沈黙が流れる。

 その間さえも、心が震えるほど懐かしい。

「ずっと、心配してたんだよ。連絡していいのかも分からなくて。……会いたかった」

「……私も、正直言うと、何度も透真くんの名前を検索したよ。ニュースとか、SNSとか……でも、見つけるたびに、怖くなって閉じた」

「……怖く、って?」

「もし、もう私のことなんて、いらないと思ってたら……って、考えたら」

 そう言って、彼女はふっと笑う。

「今は、そんなふうに思ってた自分にも、少しだけ笑えるの。でも──」

「……うん?」

「ほんとは、ずっと、好きだった」

 その言葉に、透真の心が一瞬で熱を持った。

 



「──俺も、好きだったよ。今でも。……ずっと」

 声が震える。

 彼女が、目を丸くしてこちらを見る。

「でもね、奏音。あのとき、君が離れてくれて……本当に感謝してるんだ」

「え……?」

「俺ね、自分が強い人間だと思ってた。君を守ってあげる側だって、思い込んでた。でも、違った。俺の“守る”っていうのは、君の自由を奪ってただけだった」

 透真は、指を組んでテーブルの上に置いた。静かに言葉を選びながら続ける。

「君を必要としていたのは、君だけじゃなかった。……俺の方が、ずっと依存してたんだ。『君がいなきゃ生きていけない』って、思ってたのは──俺の方だった」

 言い終えると、奏音の目に涙が浮かんでいた。

 けれど、その涙は、悲しみではなく、何かを許されたような安堵の色をしていた。

「……透真くん、変わったんだね」

「君も、だよ」

 奏音は笑った。その笑顔は、あの頃よりも、ずっと綺麗だった。

 



 カフェを出て、駅までの道。

 夜風が優しく吹き抜ける。桜の枝が、微かに揺れる。

「……帰らなきゃ」

「うん。でも……また会える?」

 透真の言葉に、奏音は少しだけ立ち止まり、肩越しに振り返った。

「うん。今度は……私から連絡するよ」

 それは、かつての彼女では考えられない強さだった。

 ──今の彼女なら、もう大丈夫だ。

 きっと、もう“依存”じゃなく、“選択”で俺を愛してくれる。

 だからこそ、透真は手を伸ばさなかった。
 背中に触れなかった。
 彼女の意思で戻ってくるその日まで、待とうと思った。

「……待ってるよ」

「……ありがとう」

 それだけを交わし、二人は夜の街に消えていった。


< 4 / 17 >

この作品をシェア

pagetop