見てはいけない恋。 ―オフィスのガラス越しに始まった、誰にも言えない想い―
第十話「見ていた恋、見送る恋」
月曜の朝、社内はいつもより少しだけざわついていた。
理由は簡単だった。
誰かが、見てしまったのだ。
――出勤時間ギリギリ、ビルの前で。
――黒澤主任と白川さんが、ほんの少しだけ距離を詰めて話していたことを。
――そして、白川さんが主任に何かを耳打ちし、主任がそっと微笑み返していたことを。
それはもう、誰がどう言い訳しても通用しない距離感だった。
私は、何も言わなかった。
聞かれても「さあ」とだけ答えた。
だって、もう知っていたから。
黒澤主任の目が、誰を見ているのか。
白川さんの声が、誰に向かって震えるのか。
ずっと、見てしまっていたから。
「相原さん、最近あのふたり、仲良くない?」
後輩がそう聞いてきたときも、私は曖昧に笑って答えた。
「……いいんじゃないかな。お似合いだし」
その言葉が、自分の中で“ほんとう”になるまでに、少しだけ時間がかかったけど。
それでも、ちゃんと口にできた。
きっとそれが、私の終わり方だった。
* * *
昼休み、資料室でひとりになっていたとき、ふとドアがノックされた。
「失礼します」
……主任だった。
「あの、ちょっと……話しておきたくて」
彼は、目を合わせるのに少し時間がかかった。
「……いろいろ、気づかせてもらいました。ありがとう」
「……なんのことですか?」
そう答えながら、少しだけ笑った。彼も笑った。
その笑みは、以前のような“好意のかけら”ではなかった。
でも――とても静かで、穏やかだった。
彼はちゃんと、決めたのだろう。
私ではなく、白川さんを選ぶということを。
そのことに、もう私は傷ついていなかった。
少し寂しくて、でも、どこか解放された気がした。
* * *
その日の終業後、私は一人で帰路についた。
歩き慣れた駅までの道、ふと横を見れば、花屋の店先に小さなブーケが並んでいた。
赤やピンクじゃない、淡いブルーと白の小ぶりな花。
どこか白川さんみたいなその色合いに、自然と口元がゆるんだ。
私は知っていた。
きっとあのふたりは、静かに付き合い始める。
派手に恋を公言することも、堂々と手をつなぐこともないだろうけれど――
会話の端々に、目の温度に、少しずつ“それ”が滲んでいく。
そして誰かがまた、気づくのだ。
「やっぱり、あのふたり、そうなんじゃない?」って。
そのたびに、私はきっと笑って頷ける。
――「うん、見てたから」と、心の中で。