見てはいけない恋。 ―オフィスのガラス越しに始まった、誰にも言えない想い―

第三話「彼女の気づき」



 

「白川さん、これ、今月分の伝票……お願いできる?」

「はい、すぐに確認します」

 

彼女の声は、いつも控えめで、どこかふわっとしている。

私のデスクの向かいに座る白川さんは、新卒で入社して半年。最初は何を話せばいいかわからずぎこちなかったけれど、最近はようやく「雑談」らしきものも交わせるようになっていた。

 

でも、彼女が主任と話している時の表情は――少し、違う。

 

いつものように柔らかい笑みを浮かべているけれど、目がどこか追ってしまっている。視線の先にいる人が、彼女にとって特別なことを、気づいていないふりをするのが少しだけ苦しかった。

 

* * * 

 

「白川」

昼休み前、主任の低い声が私たちの部署に届いた。

「少し話、いいか?」

 

「あっ、はい……」

白川さんはすぐに立ち上がった。でも、その手がほんの一瞬、デスクに残した指先が、ほんのわずかに震えたように見えた。

 

小さな期待と、戸惑いと。

白川さんの背中に、それが全部滲んでいた。

 

会議室にふたりが消える。

私は意識しないようにしていたけれど、無意識に目で追ってしまっていた。

また、あの距離感。

また、ふたりだけの空気。

 

白川さんの横顔は、いつもより真剣で、どこか儚い。

主任の指が、また彼女の髪に触れる。

――あれは、やっぱり。

 

彼女の表情が少し揺れた。

まつげが震えて、彼女は主任を見上げる。

一瞬、その口が何かを言おうと開きかけて、結局閉じられた。

 

私は目を伏せた。

それでも、胸の奥がざわつく。

 

なぜだろう。彼女の気づきが、私にとっても何かを揺らしていく。

 

* * * 

 

その日、白川さんは少し遅れて休憩室に入ってきた。

コーヒーを注ぎながら、私の隣に座り――ぽつりとつぶやいた。

 

「黒澤主任って、優しいですよね」

 

――その言葉に、私は思わず目を上げた。

彼女はカップを見つめたまま、続ける。

 

「なんであんなふうにしてくれるのか、たまに、分からなくなるんです」

 

私は何も言えなかった。

ただ、彼女が少しだけ大人びた表情で笑ったのを覚えている。
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