見てはいけない恋。 ―オフィスのガラス越しに始まった、誰にも言えない想い―
第五話「見てしまったものの正体」
誰にも言えない。
言ったところで、きっと私はただの“嫉妬”をしている人にしか見えないから。
でも――見てしまったのだ。
ガラス越しの、あのふたりの空気を。
経理部の窓際、午後の日差しが淡く差し込む中で、私はパソコンを打ちながらも意識の何割かをそちらに向けてしまっていた。
会議室。
透明なガラス。
外からは丸見えで、でもそこだけ空気が違う。
主任が白川さんに触れた瞬間、私は確信した。
あれは――“好きな人に触れる”手の動きだった。
私には分かる。経験があるから。
そういう手は、他人には向けない。少なくとも、私は向けられたことがない。
胸の奥がざわつく。
別に、黒澤主任が好きだったわけじゃない。
ただ、信頼していた。あの人は仕事の人。誠実な人。誰にでも平等な、そんな存在だと思っていた。
でも、違った。
彼は、白川さんにだけ、何かを向けている。
――“感情”を。
そして、もっと嫌なのは、自分の心がそれに反応していることだ。
なんでだろう。
私は、誰に嫉妬しているんだろう?
主任に? 白川さんに?
それとも、“特別な関係になれる誰か”になれなかった、自分自身に?
「相原さん?」
背後からかけられた声に、私は弾かれたように振り向く。
そこには、当の本人――白川紗月が立っていた。
「この数字、ちょっと確認していただきたくて……」
何も知らない顔。
何も知らないふり。
いや、もしかしたら、彼女も気づいているのかもしれない。
主任が向ける視線の意味を。彼女の中に芽生えている“答えの出せない気持ち”を。
「……うん、見るね」
私は笑った。ごく自然に、いつものように。
でもその一瞬、自分の胸の奥に小さな棘が刺さったままだったことを、私は見て見ぬふりをした。
* * *
夕方、ふたりが同じタイミングで会議室から出てきた。
ほんの少しの間――目が合った。
主任の視線が、私に気づいたようだった。
彼は、何かを悟ったように、わずかに表情を変えた。
その瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。
――やっぱり、見られていたのを分かっていたんだ。
でも、彼は私を見ても、何も言わなかった。
それが優しさだと分かっていても、私は少しだけ苦しかった。
私は知ってしまった。
あのふたりの間には、言葉にしない“なにか”があることを。
でも、それを知ったところで、私にはなにもできない。
だって私は、ただの傍観者だ。
「見てはいけない恋」を、見てしまっただけの、第三者。
ただ――もし、いつかあのふたりが、手をつないで並んで歩くような日が来たら。
私はきっと、笑顔で「良かったね」って言うんだろう。
胸の奥に、小さな痛みを隠しながら。