見てはいけない恋。 ―オフィスのガラス越しに始まった、誰にも言えない想い―
第七話「交差点、すれ違うまなざし」
社内親睦会――年に一度の“全員強制参加”の行事。
形式上はあくまで懇親の場。けれどその実、何かしらの“変化”が起こりやすい、言ってしまえば職場の空気が緩む夜だった。
私、相原優奈は会場の隅、壁際のテーブルに立ち、手に持ったノンアルのグラスを静かに見つめていた。
ざわざわとした空気。あちこちで笑い声が響く中――
「相原さん」
そう声をかけてきたのは、先日も誘ってくれた若林さんだった。
「さっき席探してて、またお隣いいですか?」
「はい。もちろん」
自然に笑って答える。でも、内心では何かがザラついていた。
彼が悪いわけじゃない。むしろ、好意を向けてくれているのは分かる。でも――
(あの人は、見ているだろうか)
無意識に視線を走らせていた。
少し離れたところに、スーツのジャケットを脱いだ黒澤主任が立っていた。営業部の後輩たちに囲まれ、軽く笑っているけれど、目だけが冷めている。
……違う。目だけが、どこかを探していた。
そして、その“どこか”に私がいることを、私はなぜか、分かってしまった。
白川さんは、部長に挨拶に行く途中らしく、遠くで緊張した表情を浮かべていた。そんな彼女を、主任は一瞬だけ見つめ――すぐに視線を、こちらに戻した。
ほんの一秒。視線がぶつかる。
主任は何も言わず、ただグラスを口に運んだ。
私の中のなにかが、音を立てて崩れそうになった。
(やめて)
その目で、私を見ないで。
白川さんを選ぶなら、ちゃんとそっちだけを見ていてよ――。
若林さんが軽く笑いながら話題を振ってくる。
「こういう場、苦手ですか?」
「……少しだけ」
「なんとなく、分かります。相原さん、控えめですもんね」
「そうですか?」
「でも、そこがいいなって、僕は思います」
その言葉に、笑って返しながらも、私は目の端で黒澤主任の姿を追っていた。
彼の指が、グラスを握る力をわずかに強めたのを――気づいてしまったから。
* * *
「……相原さん」
懇親会が終わり、解散の空気の中、私は呼び止められた。
背後で、誰よりも聞き慣れた声がする。
振り返れば、黒澤主任。
「少し、いいか」
「……はい」
私たちは会場の外、ビルの裏手にある静かな屋上スペースに出た。
夜風が髪を揺らす。
遠くで誰かが笑っている音が、かすかに聞こえる。
「さっき、若林と……話してたな」
開口一番、それだった。
私は一瞬、返す言葉を探してしまう。
「はい。軽く……話を振られただけです」
「……楽しそうだったな」
その声に、僅かに棘が混じっていた。
でもそれは、誰かを責めたい棘じゃなく――自分自身を責めているような声だった。
「……主任」
「……すまん。俺、何やってんだろうな」
初めて見る彼の“弱さ”に、私は言葉を失う。
彼は何かを言いかけて、結局口を閉じた。
けれど――
「見てた。あんたが誰かと話してるの、見て……なんか……」
彼は目を伏せた。
その横顔があまりにも人間くさくて、ずるくて、やさしくて。
私は息を呑んだ。
「……焦ってたの、主任?」
私の問いに、彼はしばらく答えず、それから、ゆっくりと頷いた。