見てはいけない恋。 ―オフィスのガラス越しに始まった、誰にも言えない想い―

第九話「答えはもう、知っていた」



 

――彼女は、俺の声を無視した。

いや、正確には、聞こえなかったふりをしたのだろう。

白川は、いつもより早足で俺の横を通り過ぎた。視線を合わせようとしなかった。

 

あのとき、胸の奥に残ったのは、焦りでも後悔でもなく……はっきりとした痛みだった。

 

俺は、なにかを間違えたのかもしれない。

 

 

* * * 

 

きっかけは、きっと相原だった。

彼女の静かなまなざし、どこか達観したような笑み。

話しやすくて、同じ温度で会話ができる相手。

噂が広まり始めた時、俺は無意識に白川との距離を取った。

守るために。

でも、それが彼女を一人にしていたことに――今、気づいてしまった。

 

 

それなのに。

相原と親しくしていた彼女を見て、俺は……醜く、嫉妬していた。

 

白川の不安そうな目を思い出す。

あの目は、俺に向けられていた。助けを求めるように。

 

俺は、彼女のことを“守る対象”として見ていたのではない。

好きだったのだ。

自分で認めるのが、怖かっただけで。

 

 

* * * 

 

あの日の懇親会。

あの夜風のなかで交わした、相原との会話。

「……焦ってたの、主任?」

そう聞かれて、俺はうなずいた。

 

でも、あれは相原に向けた想いじゃない。

彼女は、それを察していたのかもしれない。

何も聞かず、何も責めず、笑って頷いてくれたあの人の強さに、少しだけ甘えていた。

 

 

そして今――

白川の不安と沈黙を、俺は正面から受け止めなければならない。

 

もう、迷っている時間は終わりだ。

 

 

* * * 

 

「白川」

退社時刻、タイミングを見計らい、俺は彼女を追いかけた。

彼女は振り向いたが、その瞳はどこか警戒していた。

 

「……話がある」

 

その言葉に、白川はゆっくり頷いた。

俺たちは、人の少ない会議室へ入る。

夕日が差し込む静かな空間に、彼女の不安げな呼吸音が小さく響く。

 

「……最近、避けてたよな」

「……はい。噂のこと、気にしてるのかって……迷惑かなって思って……」

 

「違う」

俺は言った。

 

「お前を守ろうとしてた。でも、勘違いだった。守るふりをして、結局、自分が傷つかない距離を選んでただけだった」

「……主任?」

「白川」

 

その名を呼ぶ。

彼女は少し目を見開いて、俺を見た。

 

「好きだ」

言葉が出た瞬間、喉の奥が熱くなった。

「ただの部下として見られない。誰と話してても気になるし、誰かに笑いかけられるたびに苦しくなる」

 

白川は、一瞬言葉を失ったように口を開いたまま、動かなかった。

でも、その目に光るものを見た瞬間、俺はようやく胸の奥がほどけるのを感じた。

 

「……主任、ずるいです」

「……ああ、ほんとにな」

 

「でも、私も……気づいてました。主任を見るたびに、ドキドキしてる自分に」

 

そして彼女は、涙をこらえるように微笑んだ。

 

 

ふたりの間に、言葉では埋められない“空気”が生まれる。

でも、それはもう曖昧なままではなかった。

 

ちゃんと向き合うと決めた、初めての夜だった。
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