狂愛メランコリー

第2話 綺想ノスタルジー


 屋上へと続く階段を上ったけれど、いつもの場所に向坂くんの姿はなかった。

 腕時計を見ると、本鈴まであと30分もある。
 さすがにまだ来ていないのかもしれない。

 3階へ下りてB組の教室を覗いてみるも、やはり彼の姿はなかった。

「見て、珍しくひとりだよ」

「とうとう王子に捨てられたのかな? “灰かぶり姫”は」

 B組の教室内にいた女子数人が、わたしを見てささやき合った。

 口元に浮かぶ意地悪な笑みと、嫌味にあふれたその声色から、あえて聞こえるように言っているのだと分かる。

「…………」

 思わず一歩、あとずさった。
 言い返すことはおろか、目を合わせることもできない。

 何も悪いことなんてしていないのに、込み上げてきた後ろめたさがわたしの気を(くじ)く。

 逃げるようにもう一歩あとずさると、とん、と誰かの手が優しく両肩に添えられる。

「理人……」

「おはよう。今日はどうしたの?」

 少し戸惑いを滲ませながらも、いつもの柔和(にゅうわ)な微笑みをたたえている。

「メッセージも未読だし、家に行ったら“もう出た”って言われて」

 そういえば、そうだった。
 通知で見ただけで、開くのも返信するのもすっかり忘れていた。

 それどころじゃなかった。

 漠然(ばくぜん)と存在を増していく違和感の全貌(ぜんぼう)が掴めず、ただただ何かを恐れていて。

 声が出なかった。
 心臓がばくばくと高鳴って、冷えた指の先から全身が震える。

「……菜乃?」

 血の気が引いていくのが分かる。

 目の前にいる優しい理人が、夢の中の恐ろしい彼と重なって────。

「……っ」

 とっさにきびすを返し、駆け出した。

「菜乃!」

 驚いたように呼び止められるも、振り向かないで逃げる。
 彼を振りきるように、懸命に廊下を駆け抜けた。

(何だろう、これ……?)
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