さくらが散る頃

曇天の虹

 その日は朝から雨が降っていた。
 なにもかもきれいに流してくれそうな、そんな雨だった。

 雨が窓を叩く音で目を覚ましたと思われる凌介は小さく舌を鳴らす。
 私も雨の音で起こされた。だけど私にはこれが恵みの雨に思えた。

 あとひとつ、あとひとつなにかがあれば、背中を押すなにかがあれば、私は今日この家を出よう。

「おはよう」

 おはようとかおやすみとか行ってきますとか行ってらっしゃいとか、ただいまとかおかえりとか、私を人間に引き戻す言葉を凌介はいつも言ってくる。

「おはよ」
 
「ふぁーさみーな」

 凌介はそう言うと灯油ストーブのスイッチを入れた。ジーッと点火の音がして、間もなくボッとあたため始めた合図がした。

 凌介はそのまま洗面所へ向かった。
 私は毛布を鼻下まで上げて体を屈めた。

 ストーブはすぐに涼を追い払いわずかばかりの温もりが部屋の中にやってきた。

 凌介が洗面所で歯を磨いている時に凌介の携帯電話が鳴った。この前と同じシチュエーションでなんだか胸に嫌な予感が広がる。

「凌介ー、電話鳴ってるー」

 体を起こして凌介を呼ぶ。
 
「んー、誰ー」
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