さくらが散る頃

最期の夜

「おばあちゃん」

 アルコールの匂いが鼻腔を刺激する。いつ来ても慣れるような場所じゃない。いつもはしんとしている病室、今日はいつもより騒がしい。

 個室に入れるようになったのはもう先が長くないとのことから。決していいことというわけではない。

 グレイヘアで表情を変えずともシワが顔中に現れている。八十三年、生きてきたその証が名誉のごとく刻まれている。

 病室にはゆっくりとエンドロールが流れている。高松文子はその長い人生のエンディングを迎えようとしていた。穏やかな顔つき、苦しさは今は感じていないらしい。意識は朦朧としている時もあればはっきりとしている時もある。

 息子の高松亮彦は彼女のしわくちゃな手を両手で握りしめている。

「ばあちゃん、みなみも慎介もいるよ」
「あぁ、みなみちゃん、慎介くん、来てくれたんだね」
「おばあちゃん、来たよ!」

 孫の慎介が中腰になり久子の手に触れる。

 久子はうんうんとうなずきながら眠いのだろうか、ゆっくりと目を閉じた。
 
「今は容態は落ち着いています」

 看護師さんのその声に少しの安堵の声が漏れる。
< 15 / 202 >

この作品をシェア

pagetop