公爵様の偏愛〜婚約破棄を目指して記憶喪失のふりをした私を年下公爵様は逃がさない〜
おまけ①
私が仕えるエルーシア・ローゼお嬢様は、可愛らしい。
緩くウェーブのかかった赤い髪、翡翠の瞳。透き通るような白い肌に長い手足。
本人はあまり自身の容姿に興味がないようだけれど、勿体無いと思う。
部屋の中央にいるお嬢様を、ちらりと見つめる。
(うん、今日もとても愛らしい。……本当、本来であれば、もっと幸せな縁談があってもおかしくない人なのに、おかしな男に捕まってしまって…ああ、お可哀想に)
そんなことを考えていれば、お嬢様が「うーん」と唸った。
どうやら今日も今日とて、婚約者であるルーカス・アーレンベルク様との関係に悩んでおられるようだ。
項垂れるようにソファーに腰掛けるお嬢様に紅茶を差し出せば、彼女はお礼を言って、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「今日もルーカスに無視されたわ」
「まあ」
「この前、エリオットに会った時の話をしたの。そしたら何故か一気に不機嫌になってね、その後は何を話してもだんまりよ」
エリオットとは、お嬢様の幼馴染の男爵家嫡男のことである。
あの嫉妬深い男に対して、その話題では仕方ないのでは?と思ったが、決して口には出さない。
余計なことを言えば、私の首が飛ぶからだ。
そう、物理的に。
「せっかく今日は珍しく約束通り会えたと言うのに……散々な一日だったわ」
そう話すお嬢様の表情はとても暗い。
口を開けば「ルーカス、ルーカス」と、お嬢様の心はあの男のことでいっぱいのようだ。
お嬢様を慰めるように優しく声をかける。
「きっと忙しくてお疲れだったのでしょう」
「……そうかしら?」
「ええ。絶対にそうです! 次回は楽しくお茶を飲めますよ、きっと」
私の言葉にお嬢様は渋々納得をした。あまりに単純で思わず笑ってしまった。
(まあ、次回もお嬢様が望むような時間を過ごすことはできないと思いますが)
「マリアに話を聞いてもらってすっきりしたわ。こんなこと、お父様たちには話せないから…いつもありがとう」
そう言って笑みを浮かべるお嬢様。使用人の私にもこうして優しく接してくれるお嬢様は、まるで天使のようだと思う。
可愛くて、優しい、素敵なお嬢様。
そんなお嬢様を私はもうずっと前から裏切っている。
▼▼▼
「ああ、お可哀想に。術をかけなければ、お嬢様に相手されないだなんて」
薄暗い部屋の中、胸を押さえながら地面に膝をついている男に投げかける。
男の顔に血色はなく、口元にはうっすらと血がついていた。
「………お前か」
私の存在に気づいた男が、こちらを睨む。
しかし、冷たく細められた金色の瞳には、いつものような殺気はない。よほどしんどいらしい。
初めて見たその弱々しい姿に少しだけ口角が上がる。
無理もない。
いくらこの男が国一番の魔術師といえど、複数人に対して、精神操作の魔術をかけ続けていれば、こうなるのは当然のことだ。
「ねえ、ルーカス様、もうこんなことはおやめになられては? お嬢様と貴方様は、きっと結ばれない運命だったのですよ」
ルーカス・アーレンベルク。
お嬢様の婚約者であり、私の本来の雇い主だ。
お嬢様の全てをこの男に報告する代わりに、私はこの男から多額の金銭を受け取っている。交友関係、趣味嗜好と何から何まで、もちろん、記憶喪失のふりをすることまでも。
よくしてくれているローゼ家の方々には感謝している。お嬢様のことも大好きだけど、それでも、生まれも育ちも貧しい、泥水を啜って生きてきた私が信じられるのはお金だけなのだ。
「……はっ、今日はやけに強気だね。こんな状態の俺ならどうかできるとでも?」
「まさか。私はただルーカス様の身を案じているだけですよ」
この言葉は嘘ではない。実際この男に死なれると困る。
(まだまだ生きていてもらわないと、私のお金が減ってしまうもの)
心外だと言わんばかりの表情を浮かべれば、男が馬鹿にしたように笑った。
「よく言うよ。君が案じているのは、自分のことだけだろう? エルーシアのことも平気で裏切れる女のくせに」
吐き捨てるような男の言葉に、わざとらしく眉を下げる。そんな私を見て、男は舌打ちをした。
そして、息を整えた男が立ち上がり、上着を手に取った。おそらくお嬢様の元へ向かうのだろう。
「あまり無理なさらない方がいいのでは? ルーカス様に何かあったら、お嬢様はきっと悲しみますよ」
そう、今のお嬢様なら悲しんでくれるだろう。
ふらつく背中にそっと手を差しだせば、勢いよく振り払われた。
パチンと乾いた音が鳴って、手のひらがジンジンと熱くなる。殺気を取り戻した金色の瞳が、こちらを睨む。
「結ばれない運命? くだらない、運命は自分でもぎ取ってやる」
部屋の扉が閉まり、一人その場に残される。
「……あーあ、行ってしまった」
最低な男。
なりふり構わず執着して、手段を選ばない。
だけど、そんな男に加担している時点で、自分も似たようなものだ。
「……運命か」
いつの日か、私が読んだ物語の話を聞いて、お嬢様が言っていた。
運命の人との恋に憧れると、キラキラと輝く素敵なものなんだろうって。
お可哀想なお嬢様。
そんな夢見た運命は、あの男によって醜く歪められてしまった。
(そもそも、記憶喪失のふりをしなければこんなことにはならなかったのかな?)
自分にも責任があるため、少しだけ申し訳ない気持ちになる。私があの時、あんな話をしなければ、お嬢様の運命は変わっていた?
「……いや。どちらにしろ、遅かれ早かれこうなっていた運命でしょ」
偽りの関係、偽りの思い出。
お嬢様はこれからもあの男が創った嘘まみれの世界で生きていく。
ああ、可哀想で可愛いお嬢様。
マリアは影ながらお嬢様の幸せを願ってますよ。
たとえ、それがお嬢様の望んだ幸せではないとしても。