罪深く、私を奪って。

ひとつの噂

ひとつの噂



なるべく石井さんの事は考えないようにしよう。
そう心に決めて生活すれば、私の毎日はすっかり平穏に戻った。
いつも通り会社に行き、受付に座り仕事をする。
たまに通り過ぎる彼の姿に、少しだけ胸がざわつくけど。
私は静かに深呼吸を繰り返して、その理由の分からない胸のざわつきをやり過ごす。

「野村さーん。うちの課長が出張のお土産買ってきてくれたんだけど、余ってるから野村さんも1個どう?」
休憩時間に廊下を歩いていると、営業部のフロアの入口から顔を出した女の子に声をかけられた。
頷いて営業部の中に入ると、デスクの上に色とりどりのビーズで刺繍されたミュールが3つ並んでいた。
「うわぁ綺麗ですね! 出張ってどこに行ってきたんですか?」
「シンガポールだって」
シンプルな形のミュールに、少しレトロな雰囲気のビーズ刺繍。
デスクの上に並んだ3色のミュール。
ピンクに黒にスミレ色……。
どの色もすごく綺麗で可愛い。
「でも、私がもらっていいんですか? 私営業部じゃないのに」
「いいのいいの。営業なんて女の子ちょっとしかいないのに課長いっぱい買ってきて余ってるの。うちらが2個もらっちゃうよりも、野村さんがもらってくれた方が絶対課長も喜ぶだろうし」
確かに、営業部は女の子少ないから余っちゃうだろうけど……。
そう思いながらフロアを見回していると、
「遠慮しないで好きなの選んでいいよ」
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