図書館の地味な女の子は…
24話 夢と現実
静かな闇の中、意識がゆっくりと浮かび上がっていく。
重たいまぶたが、かすかに動いた。
まるで深い海の底から浮上してくるような、鈍い感覚と共に、祐也の意識がようやく目を覚ました。
白い天井。安っぽい蛍光灯の光がにじむ。消毒液のにおい。点滴が刺さった腕がじんわりと痛む。
(……ここは……?)
ぼんやりとした視界の先で、一人の男が椅子に座っている。
ぐしゃぐしゃの髪、赤く腫れた目。見慣れた顔。
「……大、毅……?」
声にならない声が漏れたその瞬間、男の肩がびくっと揺れた。
「……うわっ!? うわあああああああ!!! おいっ……祐也!? マジか!? ほんまに起きたんか!? おい……! ナースコール!!!」
大毅は泣きそうな顔で立ち上がり、ベッドに身を乗り出してきた。
祐也は呆然としたまま、つぶやいた。
「……でも……お前、死んだんじゃ……」
「はあ!? なに言うてんねんアホ!!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、大毅が怒鳴る。
「お前な……もう2ヶ月やぞ!? 2ヶ月も目ぇ覚まさんと寝たまんまで……医者にまで“覚めへんかもしれません”って言われて、俺、ほんまにもうアカンと思ったんやぞ!?」
「……2ヶ月……」
「そうや! 俺、毎日ここ来とった! 朝も昼も夜も、お前が動くんちゃうか思って、何回も話しかけて、なぁ祐也って呼んで、でもお前全然動かへんで……!」
大毅は震える声で叫んだ。
「……俺のこと置いて死ぬとか、冗談でも言うなや……!! アホ! もう裕也ぁぁぁ!!」
泣きじゃくりながら、祐也の胸をぽかぽか叩いた。
祐也の目にも、自然と涙が浮かんでいた。
「……俺……夢の中で……お前のこと、助けられへんかって……」
「そんなん知らんわ! なにがあったか知らんけど、俺はここにおるやろ!? ちゃんと生きとるやろ!? お前も今こうして……戻ってきたやんか!」
現実の重みが、ようやく胸に落ちてきた。
「おかえり、祐也」
その言葉に、祐也は声にならない笑みを浮かべた。
「……ただいま、大毅」
少し経って、病室に入ってきた看護師が、そっと話しかけた。
「祐也くん、目を覚ましたのね。……よかった、本当に。しばらく様子を見たあとで、先生ともお話してもらうけど……あなたが書いていた小説、机の上にちゃんと置いてあるわよ」
祐也がゆっくりと視線を動かすと、サイドテーブルにノートPCとファイルが丁寧に置かれていた。
(……小説……?)
そうだ。目を覚ます直前まで、祐也は“春川零”という少女の物語を書いていた。
それは、学校の先生から出された課題だった。
「これが……俺が……」
震える手でファイルを開くと、そこにはびっしりと文字が詰まった原稿。
自分でも驚くほど、完成された構成と心理描写、緻密に張られた伏線。
(全部……俺が書いたのか……?)
現実と物語の境界は、昏睡状態の中で完全に崩れていた。
けれど、祐也の心の中では――春川零も、大毅も、確かに“生きて”いた。
彼らは“物語”として完成し、祐也の意識に深く刻み込まれていた。
「あ、そうそう……」
大毅が涙を拭いながら苦笑する。
「お前の小説な。先生が確認して、学校の読書発表会で読まれることになってん。なんか、泣き出したりした人もおったわ」
「……まじで?」
「……まあ、俺は二度とあんな小説見たくないけど」
そう言って、大毅は祐也の手を、そっと握った。
「……なあ大毅」
「ん?」
「“零”って……最初から、実在してなかったのか?」
大毅は少し驚いたように眉を動かしたが、すぐに頷いた。
「あの春川って子のことか? あの小説の?」
「……うん。俺、てっきり……あの子にはモデルがおった思ってた。図書室で会って、話して、そこから書くペースが爆発的に上がって……“彼女”のおかげで書けたんやって、ずっと思ってた」
「……」
「でも、今思えばあんな子がおるわけないし図書館なんかいつ行っても誰もいてなかった」
「……祐也」
「俺、幻覚見てたんだな。疲れすぎて、追い詰められて……“こんな子がいたらいい”って願望から、存在そのものを作ってしまってた」
その声は震えていた。
「……怖いわ。頭ん中で作った子を、“ほんまにいた”って信じてたんや。あそこまで、全部自分で作り上げてたってことなんやろ……?」
「まあ……でも、それが“作家”なんちゃうん?」
そう言って笑った大毅の目元も、どこか寂しげだった。
「……あの小説、マジでお前が書いたとは思えへんくらい完成されてた。でも、読んでる間ずっと怖かった」
祐也は、小さくうなずいた。
「……あんな話、書くからや……心壊れるっちゅーねん図書室通い始めた頃からなんかおかしいと思っとたけどさ」
大毅の言葉に、祐也はぼんやりと笑う。
でも――本当に“あんな話”で済むのか、自信がなかった。
目を閉じると、今もあの夜の冷気、零の息遣い、ナイフのきらめきが、浮かんでくる。
「でもほんまに生きててよかったこれからも俺の親友でおれよアホ裕也!!」
大毅は顔に笑窪を作り、涙を拭いた。
春川零は、この世界にはいない。モデルすら自分が編み出しだ架空の物。
けれど祐也の中では、確かに、あの子は生きていた。
生きて、息をして、笑って、殺そうとしていた――。
重たいまぶたが、かすかに動いた。
まるで深い海の底から浮上してくるような、鈍い感覚と共に、祐也の意識がようやく目を覚ました。
白い天井。安っぽい蛍光灯の光がにじむ。消毒液のにおい。点滴が刺さった腕がじんわりと痛む。
(……ここは……?)
ぼんやりとした視界の先で、一人の男が椅子に座っている。
ぐしゃぐしゃの髪、赤く腫れた目。見慣れた顔。
「……大、毅……?」
声にならない声が漏れたその瞬間、男の肩がびくっと揺れた。
「……うわっ!? うわあああああああ!!! おいっ……祐也!? マジか!? ほんまに起きたんか!? おい……! ナースコール!!!」
大毅は泣きそうな顔で立ち上がり、ベッドに身を乗り出してきた。
祐也は呆然としたまま、つぶやいた。
「……でも……お前、死んだんじゃ……」
「はあ!? なに言うてんねんアホ!!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、大毅が怒鳴る。
「お前な……もう2ヶ月やぞ!? 2ヶ月も目ぇ覚まさんと寝たまんまで……医者にまで“覚めへんかもしれません”って言われて、俺、ほんまにもうアカンと思ったんやぞ!?」
「……2ヶ月……」
「そうや! 俺、毎日ここ来とった! 朝も昼も夜も、お前が動くんちゃうか思って、何回も話しかけて、なぁ祐也って呼んで、でもお前全然動かへんで……!」
大毅は震える声で叫んだ。
「……俺のこと置いて死ぬとか、冗談でも言うなや……!! アホ! もう裕也ぁぁぁ!!」
泣きじゃくりながら、祐也の胸をぽかぽか叩いた。
祐也の目にも、自然と涙が浮かんでいた。
「……俺……夢の中で……お前のこと、助けられへんかって……」
「そんなん知らんわ! なにがあったか知らんけど、俺はここにおるやろ!? ちゃんと生きとるやろ!? お前も今こうして……戻ってきたやんか!」
現実の重みが、ようやく胸に落ちてきた。
「おかえり、祐也」
その言葉に、祐也は声にならない笑みを浮かべた。
「……ただいま、大毅」
少し経って、病室に入ってきた看護師が、そっと話しかけた。
「祐也くん、目を覚ましたのね。……よかった、本当に。しばらく様子を見たあとで、先生ともお話してもらうけど……あなたが書いていた小説、机の上にちゃんと置いてあるわよ」
祐也がゆっくりと視線を動かすと、サイドテーブルにノートPCとファイルが丁寧に置かれていた。
(……小説……?)
そうだ。目を覚ます直前まで、祐也は“春川零”という少女の物語を書いていた。
それは、学校の先生から出された課題だった。
「これが……俺が……」
震える手でファイルを開くと、そこにはびっしりと文字が詰まった原稿。
自分でも驚くほど、完成された構成と心理描写、緻密に張られた伏線。
(全部……俺が書いたのか……?)
現実と物語の境界は、昏睡状態の中で完全に崩れていた。
けれど、祐也の心の中では――春川零も、大毅も、確かに“生きて”いた。
彼らは“物語”として完成し、祐也の意識に深く刻み込まれていた。
「あ、そうそう……」
大毅が涙を拭いながら苦笑する。
「お前の小説な。先生が確認して、学校の読書発表会で読まれることになってん。なんか、泣き出したりした人もおったわ」
「……まじで?」
「……まあ、俺は二度とあんな小説見たくないけど」
そう言って、大毅は祐也の手を、そっと握った。
「……なあ大毅」
「ん?」
「“零”って……最初から、実在してなかったのか?」
大毅は少し驚いたように眉を動かしたが、すぐに頷いた。
「あの春川って子のことか? あの小説の?」
「……うん。俺、てっきり……あの子にはモデルがおった思ってた。図書室で会って、話して、そこから書くペースが爆発的に上がって……“彼女”のおかげで書けたんやって、ずっと思ってた」
「……」
「でも、今思えばあんな子がおるわけないし図書館なんかいつ行っても誰もいてなかった」
「……祐也」
「俺、幻覚見てたんだな。疲れすぎて、追い詰められて……“こんな子がいたらいい”って願望から、存在そのものを作ってしまってた」
その声は震えていた。
「……怖いわ。頭ん中で作った子を、“ほんまにいた”って信じてたんや。あそこまで、全部自分で作り上げてたってことなんやろ……?」
「まあ……でも、それが“作家”なんちゃうん?」
そう言って笑った大毅の目元も、どこか寂しげだった。
「……あの小説、マジでお前が書いたとは思えへんくらい完成されてた。でも、読んでる間ずっと怖かった」
祐也は、小さくうなずいた。
「……あんな話、書くからや……心壊れるっちゅーねん図書室通い始めた頃からなんかおかしいと思っとたけどさ」
大毅の言葉に、祐也はぼんやりと笑う。
でも――本当に“あんな話”で済むのか、自信がなかった。
目を閉じると、今もあの夜の冷気、零の息遣い、ナイフのきらめきが、浮かんでくる。
「でもほんまに生きててよかったこれからも俺の親友でおれよアホ裕也!!」
大毅は顔に笑窪を作り、涙を拭いた。
春川零は、この世界にはいない。モデルすら自分が編み出しだ架空の物。
けれど祐也の中では、確かに、あの子は生きていた。
生きて、息をして、笑って、殺そうとしていた――。