社長秘書に甘く溶かされて
第11話 社長秘書の嫉妬
「……どうしてこうなった?」
真奈美は、天井の電灯の逆光を受けた鷹夜の顔を見上げながら、酔った頭で必死に記憶を手繰り寄せた。
そうだ、長谷川くんと飲んで……それから――。
「長谷川くん、送ってくれてありがと~」
「冴原さん、足元ふらふらですけど大丈夫ですか? 部屋まで送ります?」
「いやいや、大丈夫――」
真奈美がふにゃふにゃした口調で笑っていると――。
「真奈美さん」
うしろから誰かに抱きすくめられ、ぎょっとする。
ほのかに竹の香りがして、その香水の匂いが懐かしい。
「――鷹夜さん?」
「失礼。真奈美さんをお送りいただき、ありがとうございました」
鷹夜は真奈美を抱きかかえたまま、長谷川に挨拶を交わした。
「あ、い、いえ……」
長谷川は目を白黒させ、しどろもどろになっている。
突然、銀髪碧眼の美形が現れて、どう反応したらいいか戸惑っている様子だった。
「それでは、僕が彼女をお送りしますので。ご苦労様でした」
鷹夜は手短に言いたいことを言うと、真奈美を連れてマンションに入る。
彼女は酔っていて気づかなかったが、彼は真奈美を横抱きしており、構図だけ見れば銀髪の王子様が女性をお姫様抱っこしているふうに見えなくもなかった。
そして、マンションの合鍵を持っていた鷹夜はそれを使って真奈美の部屋に入り、ベッドに寝かせたついでに自分も覆いかぶさって――現在に至る。
電灯が逆光になり、彼の顔は影に覆われていた。
その中で、鷹夜の目は狼のように鋭く、眼光が真奈美を捉えている。
怒っている、ように見えた。
彼が笑うどころか、舌なめずりもしていない。ただ無表情で見下ろされるのは初めてで、真奈美は今まで彼を怖いと思ったことはないのに、その視線に震え上がる。
「鷹夜、さ――」
名前を呼びきらないうちに、首筋に噛みつかれた。
「い、――!」と思わず声が出る。甘噛みなんて優しいものではない、噛み跡が消えないようにとでも言うように、しっかり歯を立てていた。
「……ふむ」
噛み跡を確かめるようにゆっくりと口を離し、満足げに目を細める。真奈美が抗議しないうちに唇まで塞がれた。かなり性急に、舌を絡め取るように口内で暴れまわり、真奈美は息ができなくなる。必死に彼の胸を両手で押して抵抗すると、やっと解放された。
お互い、ハァ、ハァ、と息を荒げたあと、「……申し訳ございません」と鷹夜が謝罪する。
「突然このような暴挙に出てしまい、たいへん申し訳ないとは思っているのですが……真奈美さん、僕とは会えないと言っていたのに、他の男と会っていたなんて……」
やはり鷹夜はご立腹のようで、目が一切笑っていない。
真奈美が「すみませんでした……ちょっと言い訳させてください……」と涙目で訴えると「正当な理由があるのでしたら、お伺いしましょう」と、ひとまず対話の姿勢を取った。
それから、真奈美がこれまでの経緯を話す。
「なるほど……世界屋製菓の中にいる、マルナガヤに情報を売っている犯人を見つけ出したい、と」
鷹夜は真奈美の説明に興味を示したようであった。
それはそれとして、まだ嫉妬はしているらしく、真奈美を膝に乗せて背後から抱きしめている体勢でベッドに座っている。もう二度と離さないと言いたげな勢いだ。
「ただ、何千人も社員がいる中で、どうやって犯人を見つけ出すか、という話なんですよね」
長谷川にもした説明を、鷹夜に繰り返す。
しかし、鷹夜の方は長谷川に比べていくらか冷静で、「もう少し容疑者は絞れそうだと思いますよ」と建設的な助言をくれた。
「少なくとも、犯人は世界屋製菓が作る新作お菓子の情報をいち早くキャッチできる立場にいる人物ですよね? そうなると、企画開発部の人間、もしくはそれよりも上層部ということになりませんか?」
「言われてみれば、たしかに……」
真奈美はうなずく。
いくら会社に大勢人間がいようが、企画開発部の情報を得られる人物は限られている。なぜなら新作お菓子の情報は社内でも機密とされており、他の部署には絶対に漏らすことはないからだ。仮に他の部署と連携を取る、例えば広報部や経理部などと連絡を取ることになってもお菓子の製法までは普通話さない。工場などで製造する頃にはマルナガヤに情報を垂れ流して慌てて製造させても遅い。
しかし、そうなると、真奈美の近くにスパイがいる事実がさらに浮き彫りになり、それはそれでしんどいものがある。
ひょっとしたら、自分の同僚、あるいは長谷川のような後輩も容疑者に含まれてしまうのだ。
「あの長谷川という男にも気をつけたほうがいいでしょうね」と鷹夜はうなずく。
「……長谷川くんが、スパイってことはないと思うんだけどなぁ」
「決めつけるのはまだ早いですよ」
鷹夜はそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
「まあ、それはもういいです。それより」
鷹夜が真奈美の身体を抱きかかえて自分を向くように回転させる。
自然、至近距離で見つめ合う形になり、真奈美は銀髪碧眼の美顔をまともに視界に入れて少しまぶしい気持ちになった。
「真奈美さん、最近ずっと悩んでいること、ありましたよね。そろそろ僕にお話してくださる気にはなりませんか?」
悩んでいること――それは、上司の狸山課長に、「鷹夜にハニートラップを仕掛けて逆にマルナガヤの情報を吐き出させてやれ」とそそのかされたことである。
これまで鷹夜本人に面と向かって打ち明けるのは、ためらいがあったものの、これ以上は隠せないと観念して、迷いつつも話すことにした。
鷹夜は内容を聞いて驚いたように目を見開いていたが、黙って話を聞いてくれる。
逆に、真奈美は打ち明けているうちに当時のことを思い出し、だんだん腹が立ってきた。
「ごめんなさい、鷹夜さん。狸山課長ったらひどい。いくらライバル企業の人間だからって、彼氏相手に逆スパイやれとか普通言う!?」
胸がムカムカしてついつい愚痴をこぼす真奈美とは対照的に、鷹夜は黙り込んで顎に手をあて、何やら考え込んでいる様子だ。
「やっぱり気分悪くしますよね、本当にごめんなさい……」
「いえ、それよりも気になることがあるんですが……」
鷹夜は考えつつも、静かに真奈美にある提案をする。
真奈美は目をパチクリさせて驚きつつ、「わかりました」とうなずいた。
「僕も弊社――マルナガヤの社長に掛け合ってみます。情報横流しの犯人を見つけるだけではなく、世界屋製菓とマルナガヤの関係修復も急いだほうが良さそうですね」
「あ、そっか、社長秘書!」
たしかに鷹夜は社長の最も近くにいる人間である。
彼がマルナガヤの社長に進言すれば、なにか事態が動き出すかもしれない。
「鷹夜さんに相談してよかったです。これで少しは解決への糸口が見えそう!」
「それは良かった。あの長谷川とかいう男よりも頼りになるでしょう?」
鷹夜はニッコリと笑っていた。
真奈美は「ま、まだ怒ってたんですね……」と後ずさりすると、それを逃がさないとでもいうように手首を掴まれる。手首が痛むほど乱暴な握り方ではないが、かといってやすやすと振りほどけるような力でもない。今後の展開を予想し、真奈美は思わず身を固くした。
「怒ってませんよ。ただ、そうですね……ヤキモチは妬いてるかもしれませんね?」
「それは怒ってるのでは!?」
「真奈美さんはひどいお方です……僕はあなたに会えなくて寂しい夜を過ごしていたというのに他の男と密会していただなんて……傷つきます……」
鷹夜はしくしくと泣き真似をする。わざとらしく、あざといとも言える。
「だから密会じゃないです、ただのサシ飲みです」
「どう違うんですか? 同じじゃないですか。他の男と密室で会ってたと書いて密会じゃないんですか? 僕を放置して、他の男と楽しく飲むお酒は美味しかったですか?」
必死に弁解する真奈美に対して、鷹夜は質問攻めをし、口は笑んだ形のまま、やはり目は獣のようにギラギラと輝いていた。これは相当お怒りである。鷹夜は真奈美の手首を引いて抱き寄せ、ベッドに優しく押し倒し、彼女の顔を見下ろすように覗き込んでいた。真奈美は顔を強張らせて、その夜、眠れない覚悟をしたのである。
翌朝、彼女の身体の至るところに、普段以上に噛み跡がたくさんついていたのは、予想通りというべきか。
〈続く〉
真奈美は、天井の電灯の逆光を受けた鷹夜の顔を見上げながら、酔った頭で必死に記憶を手繰り寄せた。
そうだ、長谷川くんと飲んで……それから――。
「長谷川くん、送ってくれてありがと~」
「冴原さん、足元ふらふらですけど大丈夫ですか? 部屋まで送ります?」
「いやいや、大丈夫――」
真奈美がふにゃふにゃした口調で笑っていると――。
「真奈美さん」
うしろから誰かに抱きすくめられ、ぎょっとする。
ほのかに竹の香りがして、その香水の匂いが懐かしい。
「――鷹夜さん?」
「失礼。真奈美さんをお送りいただき、ありがとうございました」
鷹夜は真奈美を抱きかかえたまま、長谷川に挨拶を交わした。
「あ、い、いえ……」
長谷川は目を白黒させ、しどろもどろになっている。
突然、銀髪碧眼の美形が現れて、どう反応したらいいか戸惑っている様子だった。
「それでは、僕が彼女をお送りしますので。ご苦労様でした」
鷹夜は手短に言いたいことを言うと、真奈美を連れてマンションに入る。
彼女は酔っていて気づかなかったが、彼は真奈美を横抱きしており、構図だけ見れば銀髪の王子様が女性をお姫様抱っこしているふうに見えなくもなかった。
そして、マンションの合鍵を持っていた鷹夜はそれを使って真奈美の部屋に入り、ベッドに寝かせたついでに自分も覆いかぶさって――現在に至る。
電灯が逆光になり、彼の顔は影に覆われていた。
その中で、鷹夜の目は狼のように鋭く、眼光が真奈美を捉えている。
怒っている、ように見えた。
彼が笑うどころか、舌なめずりもしていない。ただ無表情で見下ろされるのは初めてで、真奈美は今まで彼を怖いと思ったことはないのに、その視線に震え上がる。
「鷹夜、さ――」
名前を呼びきらないうちに、首筋に噛みつかれた。
「い、――!」と思わず声が出る。甘噛みなんて優しいものではない、噛み跡が消えないようにとでも言うように、しっかり歯を立てていた。
「……ふむ」
噛み跡を確かめるようにゆっくりと口を離し、満足げに目を細める。真奈美が抗議しないうちに唇まで塞がれた。かなり性急に、舌を絡め取るように口内で暴れまわり、真奈美は息ができなくなる。必死に彼の胸を両手で押して抵抗すると、やっと解放された。
お互い、ハァ、ハァ、と息を荒げたあと、「……申し訳ございません」と鷹夜が謝罪する。
「突然このような暴挙に出てしまい、たいへん申し訳ないとは思っているのですが……真奈美さん、僕とは会えないと言っていたのに、他の男と会っていたなんて……」
やはり鷹夜はご立腹のようで、目が一切笑っていない。
真奈美が「すみませんでした……ちょっと言い訳させてください……」と涙目で訴えると「正当な理由があるのでしたら、お伺いしましょう」と、ひとまず対話の姿勢を取った。
それから、真奈美がこれまでの経緯を話す。
「なるほど……世界屋製菓の中にいる、マルナガヤに情報を売っている犯人を見つけ出したい、と」
鷹夜は真奈美の説明に興味を示したようであった。
それはそれとして、まだ嫉妬はしているらしく、真奈美を膝に乗せて背後から抱きしめている体勢でベッドに座っている。もう二度と離さないと言いたげな勢いだ。
「ただ、何千人も社員がいる中で、どうやって犯人を見つけ出すか、という話なんですよね」
長谷川にもした説明を、鷹夜に繰り返す。
しかし、鷹夜の方は長谷川に比べていくらか冷静で、「もう少し容疑者は絞れそうだと思いますよ」と建設的な助言をくれた。
「少なくとも、犯人は世界屋製菓が作る新作お菓子の情報をいち早くキャッチできる立場にいる人物ですよね? そうなると、企画開発部の人間、もしくはそれよりも上層部ということになりませんか?」
「言われてみれば、たしかに……」
真奈美はうなずく。
いくら会社に大勢人間がいようが、企画開発部の情報を得られる人物は限られている。なぜなら新作お菓子の情報は社内でも機密とされており、他の部署には絶対に漏らすことはないからだ。仮に他の部署と連携を取る、例えば広報部や経理部などと連絡を取ることになってもお菓子の製法までは普通話さない。工場などで製造する頃にはマルナガヤに情報を垂れ流して慌てて製造させても遅い。
しかし、そうなると、真奈美の近くにスパイがいる事実がさらに浮き彫りになり、それはそれでしんどいものがある。
ひょっとしたら、自分の同僚、あるいは長谷川のような後輩も容疑者に含まれてしまうのだ。
「あの長谷川という男にも気をつけたほうがいいでしょうね」と鷹夜はうなずく。
「……長谷川くんが、スパイってことはないと思うんだけどなぁ」
「決めつけるのはまだ早いですよ」
鷹夜はそう言いながらも、どこか楽しそうだった。
「まあ、それはもういいです。それより」
鷹夜が真奈美の身体を抱きかかえて自分を向くように回転させる。
自然、至近距離で見つめ合う形になり、真奈美は銀髪碧眼の美顔をまともに視界に入れて少しまぶしい気持ちになった。
「真奈美さん、最近ずっと悩んでいること、ありましたよね。そろそろ僕にお話してくださる気にはなりませんか?」
悩んでいること――それは、上司の狸山課長に、「鷹夜にハニートラップを仕掛けて逆にマルナガヤの情報を吐き出させてやれ」とそそのかされたことである。
これまで鷹夜本人に面と向かって打ち明けるのは、ためらいがあったものの、これ以上は隠せないと観念して、迷いつつも話すことにした。
鷹夜は内容を聞いて驚いたように目を見開いていたが、黙って話を聞いてくれる。
逆に、真奈美は打ち明けているうちに当時のことを思い出し、だんだん腹が立ってきた。
「ごめんなさい、鷹夜さん。狸山課長ったらひどい。いくらライバル企業の人間だからって、彼氏相手に逆スパイやれとか普通言う!?」
胸がムカムカしてついつい愚痴をこぼす真奈美とは対照的に、鷹夜は黙り込んで顎に手をあて、何やら考え込んでいる様子だ。
「やっぱり気分悪くしますよね、本当にごめんなさい……」
「いえ、それよりも気になることがあるんですが……」
鷹夜は考えつつも、静かに真奈美にある提案をする。
真奈美は目をパチクリさせて驚きつつ、「わかりました」とうなずいた。
「僕も弊社――マルナガヤの社長に掛け合ってみます。情報横流しの犯人を見つけるだけではなく、世界屋製菓とマルナガヤの関係修復も急いだほうが良さそうですね」
「あ、そっか、社長秘書!」
たしかに鷹夜は社長の最も近くにいる人間である。
彼がマルナガヤの社長に進言すれば、なにか事態が動き出すかもしれない。
「鷹夜さんに相談してよかったです。これで少しは解決への糸口が見えそう!」
「それは良かった。あの長谷川とかいう男よりも頼りになるでしょう?」
鷹夜はニッコリと笑っていた。
真奈美は「ま、まだ怒ってたんですね……」と後ずさりすると、それを逃がさないとでもいうように手首を掴まれる。手首が痛むほど乱暴な握り方ではないが、かといってやすやすと振りほどけるような力でもない。今後の展開を予想し、真奈美は思わず身を固くした。
「怒ってませんよ。ただ、そうですね……ヤキモチは妬いてるかもしれませんね?」
「それは怒ってるのでは!?」
「真奈美さんはひどいお方です……僕はあなたに会えなくて寂しい夜を過ごしていたというのに他の男と密会していただなんて……傷つきます……」
鷹夜はしくしくと泣き真似をする。わざとらしく、あざといとも言える。
「だから密会じゃないです、ただのサシ飲みです」
「どう違うんですか? 同じじゃないですか。他の男と密室で会ってたと書いて密会じゃないんですか? 僕を放置して、他の男と楽しく飲むお酒は美味しかったですか?」
必死に弁解する真奈美に対して、鷹夜は質問攻めをし、口は笑んだ形のまま、やはり目は獣のようにギラギラと輝いていた。これは相当お怒りである。鷹夜は真奈美の手首を引いて抱き寄せ、ベッドに優しく押し倒し、彼女の顔を見下ろすように覗き込んでいた。真奈美は顔を強張らせて、その夜、眠れない覚悟をしたのである。
翌朝、彼女の身体の至るところに、普段以上に噛み跡がたくさんついていたのは、予想通りというべきか。
〈続く〉