社長秘書に甘く溶かされて
第12話 赤いワンピースの女
「鷹夜さんって思ってたより独占欲強いですよね」
シャワーを浴びた真奈美は、鷹夜にコーヒーを淹れてもらいながらジトッとした目で彼を見ていた。
「別に普通でしょう。恋人が他の男と会ってたのを知って嫉妬するのは」
「そうかなあ……?」
言われてみればそうなのかな……という気もするし、それにしても執着が過剰な気もするのだが、鷹夜が初めての恋人なので他にサンプルがなく、よくわからない。
「そんなことより」と鷹夜が場を引き締めるように告げて、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーのマグカップを真奈美の前に置く。
「今日から早速行動に移しましょう。僕は社長に掛け合ってみます。真奈美さんは僕が言ったことを調べてみてください」
「わかりました」
真奈美は鷹夜特製のカフェオレを口に含んだ。
コーヒーは彼の愛情のごとく甘ったるい。
真奈美と鷹夜が朝食を終えて、出勤するため一緒にマンションを出たときに、事件は起こった。
「ねえ……鷹夜くん……でしょ?」
その声は、絡みつくように甘く、しかし底冷えするほど冷たい響きを持っていた。
背後から女の声を聞いた瞬間、普段は冷静な鷹夜の肩が、まるで弾かれたようにビクリと跳ねた。
そして、そのまま石のように固まる。
真奈美が声のしたほうを振り返ると、ロングストレートの黒髪の女が立っていた。
服装は秋の10月によく似合う、鮮やかな赤いワンピースに黒いジャケットを羽織っている。
端正な顔立ちをしており、にこやかに微笑む姿はモデルのような美人である……のだが、なんだろうか、この寒気は。星空のない夜のような瞳に見つめられると、黒々とした森の中にひとり投げ出されたような心細さを覚えた。いや、厳密には女は鷹夜だけを見つめているのだが。
「あの……あなたは……?」
「鷹夜くん、久しぶりね。私のこと、覚えてる?」
真奈美の問いかけを無視して、女は鷹夜に声を掛け続ける。
彼女が言葉を発するたびに、鷹夜は女の方を向かないまま、怯えたようにブルブルと震えていた。
その様子を見て、「やっぱり覚えていてくれるのね。嬉しい」と美しい微笑みを向けている。
真奈美はその光景に、「この人、なんか変だ……」と言いしれぬ不安を感じた。
何より、鷹夜の様子が心配になるほど尋常なものではない。
「だ、大丈夫ですか、鷹夜さん……?」
「あら、あなたは? 鷹夜くんのお友達?」
真奈美が鷹夜の背に触れる直前で、赤いワンピースの女はやっと真奈美に気付いたとでもいうように、鋭く声を掛ける。「お友達」という部分を強調し、まるで鷹夜に触れさせないように圧をかけながら真奈美と鷹夜のほうに歩み寄ってきた。
「私は鷹夜さんとお付き合いさせていただいている者ですけど」
「あら、そんなわけないわ」
女は、さも当たり前のように否定する。
何を根拠に、と眉をひそめた真奈美に、彼女は名乗った。
「だって、私が鷹夜くんの運命の人だもの」
「え?」
「鷹夜くんったらひどいわ、私に隠れて浮気してたなんて」
「ち……ちが……」
女は笑っているが、目の奥に嫉妬と怒りが内包されている。鷹夜は首をふるふると横に振りながら、青ざめて小刻みに震えていた。
この状況、はたから見れば浮気現場に遭遇した、二股をかけられていた彼女と彼氏、そしてその浮気相手にしか見えない。
「どういうことですか、鷹夜さん?」
「鷹夜くん、お仕置きが必要よね? とりあえず一緒におうちに帰りましょう」
赤いワンピースの女が鷹夜の腕に自らの腕を絡めようとする。
それを、恐怖が限界に達した様子の鷹夜が「――ッ、触るな!」と突き飛ばした。
女は大げさに地面に膝をつくように倒れ、「鷹夜くん……どうして……?」と悲劇のヒロインのように涙ぐんで彼を見上げている。
鷹夜は「真奈美さん、一旦逃げますよ!」と真奈美の手を力強く引き、彼女もつんのめりながら一緒に駆け出した。
真奈美からすればわけのわからない事態なのだが、事情を聞いているヒマもない。
追ってくる気配は――今のところ、ない。
それでも鷹夜は一切スピードを緩めなかった。
「鷹夜さん、あの……?」
「振り返らないでください!」
彼の手の力が強まる。まるで、追いつかれたら終わるとでもいうように。
駅までたどり着くと、やっと立ち止まった真奈美も鷹夜もすっかり息が上がっていた。
走ったおかげで、いつもより早めの電車に乗り込み、座席についた真奈美は、やっと鷹夜から事情を聞くことができたのである。
「鷹夜さん、なんだったんですか、あの人……」
「……あの、まず弁解させていただきたいんですが、あの女性は彼女でもなんでもないですし、真奈美さん以外に恋人いませんからね、僕」
「ええ……? じゃあ、あの人、本当になんなんですか……?」
ひとまず、鷹夜が二股をかけていた疑惑が晴れたことにホッとしたが、謎はますます深まるばかりだった。
彼は、「そうですね……電車でする話でもないので、一度近くの駅で降りましょうか。さすがにそこまでは追ってこないでしょう」と電車の電光板で駅を確認する。
電車が停まるとすぐに降り、駅構内の喫茶店に入って、鷹夜はあの女について話をし始めた。
そこで、彼から衝撃の事実を伝えられることになる。
「あの女性は、君臣照代といいます。僕の幼馴染で――ストーカーです」
真奈美は思わず飲みかけのコーヒーを喉に詰まらせ、むせた。
鷹夜は「だ、大丈夫ですか?」と慌てているが、真奈美としては「あなたの安全のほうが大丈夫ですか?」と言いたくなる。
真奈美が落ち着いたところで、彼は自身の過去を打ち明け始めた。
〈続く〉
シャワーを浴びた真奈美は、鷹夜にコーヒーを淹れてもらいながらジトッとした目で彼を見ていた。
「別に普通でしょう。恋人が他の男と会ってたのを知って嫉妬するのは」
「そうかなあ……?」
言われてみればそうなのかな……という気もするし、それにしても執着が過剰な気もするのだが、鷹夜が初めての恋人なので他にサンプルがなく、よくわからない。
「そんなことより」と鷹夜が場を引き締めるように告げて、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーのマグカップを真奈美の前に置く。
「今日から早速行動に移しましょう。僕は社長に掛け合ってみます。真奈美さんは僕が言ったことを調べてみてください」
「わかりました」
真奈美は鷹夜特製のカフェオレを口に含んだ。
コーヒーは彼の愛情のごとく甘ったるい。
真奈美と鷹夜が朝食を終えて、出勤するため一緒にマンションを出たときに、事件は起こった。
「ねえ……鷹夜くん……でしょ?」
その声は、絡みつくように甘く、しかし底冷えするほど冷たい響きを持っていた。
背後から女の声を聞いた瞬間、普段は冷静な鷹夜の肩が、まるで弾かれたようにビクリと跳ねた。
そして、そのまま石のように固まる。
真奈美が声のしたほうを振り返ると、ロングストレートの黒髪の女が立っていた。
服装は秋の10月によく似合う、鮮やかな赤いワンピースに黒いジャケットを羽織っている。
端正な顔立ちをしており、にこやかに微笑む姿はモデルのような美人である……のだが、なんだろうか、この寒気は。星空のない夜のような瞳に見つめられると、黒々とした森の中にひとり投げ出されたような心細さを覚えた。いや、厳密には女は鷹夜だけを見つめているのだが。
「あの……あなたは……?」
「鷹夜くん、久しぶりね。私のこと、覚えてる?」
真奈美の問いかけを無視して、女は鷹夜に声を掛け続ける。
彼女が言葉を発するたびに、鷹夜は女の方を向かないまま、怯えたようにブルブルと震えていた。
その様子を見て、「やっぱり覚えていてくれるのね。嬉しい」と美しい微笑みを向けている。
真奈美はその光景に、「この人、なんか変だ……」と言いしれぬ不安を感じた。
何より、鷹夜の様子が心配になるほど尋常なものではない。
「だ、大丈夫ですか、鷹夜さん……?」
「あら、あなたは? 鷹夜くんのお友達?」
真奈美が鷹夜の背に触れる直前で、赤いワンピースの女はやっと真奈美に気付いたとでもいうように、鋭く声を掛ける。「お友達」という部分を強調し、まるで鷹夜に触れさせないように圧をかけながら真奈美と鷹夜のほうに歩み寄ってきた。
「私は鷹夜さんとお付き合いさせていただいている者ですけど」
「あら、そんなわけないわ」
女は、さも当たり前のように否定する。
何を根拠に、と眉をひそめた真奈美に、彼女は名乗った。
「だって、私が鷹夜くんの運命の人だもの」
「え?」
「鷹夜くんったらひどいわ、私に隠れて浮気してたなんて」
「ち……ちが……」
女は笑っているが、目の奥に嫉妬と怒りが内包されている。鷹夜は首をふるふると横に振りながら、青ざめて小刻みに震えていた。
この状況、はたから見れば浮気現場に遭遇した、二股をかけられていた彼女と彼氏、そしてその浮気相手にしか見えない。
「どういうことですか、鷹夜さん?」
「鷹夜くん、お仕置きが必要よね? とりあえず一緒におうちに帰りましょう」
赤いワンピースの女が鷹夜の腕に自らの腕を絡めようとする。
それを、恐怖が限界に達した様子の鷹夜が「――ッ、触るな!」と突き飛ばした。
女は大げさに地面に膝をつくように倒れ、「鷹夜くん……どうして……?」と悲劇のヒロインのように涙ぐんで彼を見上げている。
鷹夜は「真奈美さん、一旦逃げますよ!」と真奈美の手を力強く引き、彼女もつんのめりながら一緒に駆け出した。
真奈美からすればわけのわからない事態なのだが、事情を聞いているヒマもない。
追ってくる気配は――今のところ、ない。
それでも鷹夜は一切スピードを緩めなかった。
「鷹夜さん、あの……?」
「振り返らないでください!」
彼の手の力が強まる。まるで、追いつかれたら終わるとでもいうように。
駅までたどり着くと、やっと立ち止まった真奈美も鷹夜もすっかり息が上がっていた。
走ったおかげで、いつもより早めの電車に乗り込み、座席についた真奈美は、やっと鷹夜から事情を聞くことができたのである。
「鷹夜さん、なんだったんですか、あの人……」
「……あの、まず弁解させていただきたいんですが、あの女性は彼女でもなんでもないですし、真奈美さん以外に恋人いませんからね、僕」
「ええ……? じゃあ、あの人、本当になんなんですか……?」
ひとまず、鷹夜が二股をかけていた疑惑が晴れたことにホッとしたが、謎はますます深まるばかりだった。
彼は、「そうですね……電車でする話でもないので、一度近くの駅で降りましょうか。さすがにそこまでは追ってこないでしょう」と電車の電光板で駅を確認する。
電車が停まるとすぐに降り、駅構内の喫茶店に入って、鷹夜はあの女について話をし始めた。
そこで、彼から衝撃の事実を伝えられることになる。
「あの女性は、君臣照代といいます。僕の幼馴染で――ストーカーです」
真奈美は思わず飲みかけのコーヒーを喉に詰まらせ、むせた。
鷹夜は「だ、大丈夫ですか?」と慌てているが、真奈美としては「あなたの安全のほうが大丈夫ですか?」と言いたくなる。
真奈美が落ち着いたところで、彼は自身の過去を打ち明け始めた。
〈続く〉