社長秘書に甘く溶かされて

第13話 社長秘書の心の傷

「真奈美さん、僕が停電で怯えていた事件、覚えていますか?」

 それは7月のこと。
 真奈美の家に遊びに来ていた鷹夜が、落雷で停電した際にひどく怯えていたときのことを指しているのだろう。

「僕が暗所恐怖症になったのは、照代が原因なのです」

 そして、明かされる鷹夜の過去に、真奈美は衝撃を受けることになる。
 彼は幼い頃からその端正な美貌により、周囲、特に女性にチヤホヤと可愛がられて生きてきた。
 しかし、彼の内面を深く見ようとする人はおらず、周囲は彼の外見だけで判断した。その環境に、彼は失望していたのである。

「正直なところ、今でも『顔がいいから入社できたんだろう』といちゃもんをつけてくる人間はいます。顔がいいから、僕が外国語を懸命に勉強して習得した事実は無視される。小さい頃から、そんな目に晒されてきたんです」

 そんな話をする鷹夜の顔は陰がさしたように暗く、その後の話をするときには苦しそうに顔を歪めている。

「周囲の女子は僕を巡って争い、その人間関係トラブルになぜか僕が巻き込まれてとばっちりを食うことも多かった……。その中で、照代のようにストーカーと化してしまった女性もいます」

 鷹夜はそれにうんざりし、その結果、自らの美貌がコンプレックスとなった。
 会社でも、女性社員には極力関わらないようにしているが、それが却って「ミステリアスな雰囲気で女性を寄せ付けない孤高の王子様」のようなイメージとして定着してしまっているらしい。

「ただ……それでも、僕は女性が嫌いなわけではない。僕の顔に惑わされず、愛してくれる相手がほしかった。――それで、あなたに出会えたのです。真奈美さん」

 真奈美は思い出す。
 婚活パーティーで、頭部に包帯を巻き、顔を隠して参加した鷹夜。
 あれは奇行ではあったが、自らの美貌を隠し、容姿に関係なく彼を愛してくれる人を探し求めて、ついに巡り合ったのが真奈美だったのだ。
 彼女の胸に、なにか暖かい光が灯ったような心持ちがする。

「それで、照代さんが鷹夜さんの暗所恐怖症の原因になった、って……?」

「照代は幼馴染、という話はしましたね。彼女とは小学校以来の関係です」

 そう言った鷹夜の指先が、かすかに震えている。
 彼は気づかれまいと膝の上で拳を握りしめたが、それでも震えは止まらなかった。
 それでも、意を決したのか、説明を始める。

「照代も他の女子と同じく、僕を気に入っていたようで頻繁に声をかけてきました。僕を巡って女子と争いをし、殴り合いの喧嘩になったこともあります」

「ずいぶん過激な女性なんですね……」

 あんなモデルのような美人がそんなことをするなどと、想像がつかない。
 鷹夜は「それで済めばよかったんですけどね……」と、どこか遠くを見るような目をしていた。

「僕の私物を勝手に盗むのは当たり前、どこから番号を入手したのか毎晩のように電話をかけてくるし毎朝玄関前で待ち伏せも平気でしていました」

「そ、それは……ちょっと怖いですね……」

「ええ。僕の心労も恐怖も、真奈美さんにはおわかりいただけると思います」

 鷹夜はそう話している間にも脂汗が滲んでいる。よほど思い出したくないのだろう。

「でも、僕の家族はその当時は『可愛いガールフレンドが世話を焼いてくれている』くらいにしか思っていなかったんです。僕が抗議しても『恥ずかしがっているんだね、可愛いね』としか……」

 それはきっと辛い記憶だ。
 一番近くにいて味方であるべき家族が助けてくれないという事実は、鷹夜の心を深くえぐったことだろう。

「――そして、大学生の頃です。僕と照代は偏差値の関係で別の大学に進学していたのですが、それでも照代は僕につきまとってきました。それで、夏休み……」

 鷹夜はギュッと固く目を閉じる。思い出したくもない過去を掘り返すかのような痛みを感じているのだろう。
 しかし、やがて絞り出すような声で彼のトラウマを打ち明けた。

「……夏休み。僕は、照代に拉致監禁されました」

 彼の語る内容は、あまりに凄惨だった。
 照代がひとり暮らしを始めたアパートの一室。そこで彼は鎖に繋がれ、暗闇の中で、歪んだ愛を押し付けられた。その恐怖は尋常なものではないだろう。それが夏休みの終わり、行方不明になった鷹夜を捜索した警察が照代のアパートに突入し救出劇があるまで続いたという。

「あまりの恐怖とストレスで、僕の髪は白くなったんです」

「……え?」

 真奈美は、思わず息を呑んだ。
 彼の銀髪が、まさか生まれつきではなく、恐怖の証だったなんて――。
 彼女の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。

「その後、照代は逮捕。大学を中退し、引っ越したので僕の前から姿を消しました。それ以来、会っていなかったのですが……釈放されたのはもしかしたら最近なのかもしれません」

 それは、鷹夜にとっては穏やかではない事実である。再び、ストーカーの脅威に晒されなければならないという恐怖は計り知れない。

「申し訳ありません。照代が出てきた以上、僕は警察や家族に相談しなければなりません。その間、企業間の仲裁はできそうにありませんね……」

「仕方ないですよ。鷹夜さんの安全を優先してください」

 真奈美の言葉に、鷹夜が難しい顔をしていた。

「……もしかすると、真奈美さんの身も危険に晒されるかもしれません。何らかの対策はしたほうがいいですね」

 そう、あの照代には顔と住所を覚えられている。真奈美も、もはや無関係ではない。

「マンションのセキュリティはありますが、油断はできません。何かあったらすぐに僕に――」

 そう言いかけて、鷹夜は口をつぐんだ。何事かと思い、彼の顔をうかがう。

「――僕のマンションに来ますか? 少なくとも、そこなら照代には割れていませんし、もっと安心だと思います」

「え、でも……ご迷惑ではないですか?」

「むしろ僕がご迷惑をかけている立場ですので、このくらいはお詫びさせてください。ちょっと今の状況では真奈美さんの家から家具を持ち出したり、引っ越し作業もできませんが……今日のお仕事が終わったら、真奈美さんの会社の近くで落ち合って、一緒に僕のマンションに向かいましょう」

 そう約束して、喫茶店を出ると、再びふたりで電車に乗って出勤することにした。
 マルナガヤの最寄り駅は世界屋製菓より二駅前だ。鷹夜は「では、またのちほど」と先に電車を降りる。
 なんだか、大変なことになってきたなあ……。
 真奈美はそう思いながら電車に揺られていた。
 ――このとき、彼女は知らなかったのだ。
 自分と鷹夜のすぐ近くに、赤いワンピースの女が迫ってきていることを。

〈続く〉
< 13 / 19 >

この作品をシェア

pagetop