社長秘書に甘く溶かされて
第15話 社長秘書のマンションで
結果として、真奈美は無事だった。
鷹夜が、真奈美が線路に突き落とされたのを見た瞬間に非常停止ボタンを押したからだ。
電車は、真奈美にぶつかる10センチ手前でギリギリ停止した。
真奈美も鷹夜も、そして長谷川も、腰を抜かすほど力が抜けた。
照代は真奈美を突き飛ばしたあと、駅から逃走している。とはいえ、防犯カメラもある。遅かれ早かれ捕まるだろう、というのが警察の見解だった。
駅のホームは警察官が駆けつけ、騒然としている。真奈美と鷹夜、そして長谷川は、事情を聞かれて説明し、結局解放されたのが夜の20時頃だった。
「いやあ、大変な目にあいましたねえ」
真奈美は努めて明るい口調で話しているが、鷹夜も長谷川もその顔色は暗い。
何しろ、自分たちが言い争いをしている隙を突かれて、照代の接近を許すどころか真奈美が命の危険に晒されたのである。無理もない。
「冴原さん、ホントすみませんでしたっ!」
長谷川はバッと勢いよく頭を下げて謝罪する。
真奈美は「別に気にしてないよ」と答えたが、長谷川に「いや少しは気にしてくださいよ!」とツッコまれた。
「僕もたいへん申し訳なく思っております……」
鷹夜もしょぼくれた顔で反省しきりのようだ。
ひとまず3人で再び鷹夜のマンションを目指して、最寄り駅を降りて歩いている。
長谷川も「ここまで来たら一蓮托生ですから!」と、すっかり巻き込まれた形でついてきていた。
鷹夜のマンションは、真奈美の住んでいる場所よりずっと大きい。
彼女も何度か彼の住居にはお邪魔しているが、毎回そのマンションの大きさに、思わず天を見上げてしまい、首を痛めるのだった。
1階玄関ホールはカードキーを差し込んで開ける形式のオートロック。鷹夜に「これは真奈美さん専用です」とスペアキーを渡される。
玄関ホールを通ってエレベーターに乗り、25階へ。
「今、真奈美さんと長谷川くんに、お茶を淹れてきますね」
鷹夜が台所の奥に消えると、真奈美と長谷川はひとまず居間のソファに並んで座った。
「永井さん、社長秘書って聞いてたけど、結構お金持ちなんですかね」
長谷川が珍しいものを見るように、部屋の中をキョロキョロと見回す。
その様子は、まるで初めて人間の家にもらわれてきた子犬のようだった。……まあ、それはさておき。
「それにしても、君臣照代……まさか、私を殺そうとするなんて……」
照代に刺されるかもしれないと警戒はしていたが、実際に命を狙われるとなると、今更ながらに震えが止まらなくなってしまう。
キィィィィ――、と腹に響くほどの大きなブレーキ音を立てながらこちらに向かってくる電車の姿を思い浮かべると、真奈美は背中に冷水を浴びせられたような恐怖を思い出した。
「冴原さん……可哀想に……」
長谷川が気の毒そうな顔をして、真奈美の手を握り、温めようとするように手の甲をさする。
「永井さんに巻き込まれて、大変な目にあいましたね。でも、俺が冴原さんを絶対守りま――」
「その話、まだ続けるんですか?」
ガン、と音を立てて、ソファの前のローテーブルにマグカップを叩きつける音がした。
見上げると、苦虫を60匹噛み潰したような顔をしている鷹夜がいる。お茶を淹れて戻ってきたのだ。
「僕に喧嘩を売るなら、そろそろお引き取り願いたいんですが?」
「冴原さんを連れて帰ってもいいなら是非ともそうしますけど?」
バチバチと火花を散らす鷹夜と長谷川。そのふたりの間で、淹れてもらったお茶にふうふうと息を吹きかけながら呑気に飲み始める真奈美。事態は照代の件も加えて混迷を極めている。
結局、長谷川は「冴原さんを絶対に危険な目にあわせるな」と鷹夜に約束させて帰っていった。
鷹夜は「なんなんですか、あの人……まったく……」と大きなため息をついている。
「長谷川くんと約束なんてするまでもない。僕が必ずや真奈美さんを守り通してみせます」
「それは頼もしいですね」
真奈美は鷹夜が作ってくれた夕飯を食べ、お風呂上がりのデザートにアイスまでもらっていた。早速甘やかされている。
「でも、明日から出勤どうしましょう」
「できれば会社を休んでいただきたいものですが、社会人ともなればそうもやすやすとはいかないもの……悩ましいですね」
ふーむ、と鷹夜がしばらく悩んだのち、「こうすればいかがでしょう?」と提案した。
「僕は社長秘書です」
「そうですね」真奈美が頷く。
「社長を送迎するために車を回したりします。そこで、真奈美さんも一緒に僕の車に乗って出勤されてはいかがでしょう?」
鷹夜は普段は電車通勤だが、会社では社長の運転手もしており、自動車免許も自動車も持っている。そこで、照代に警戒している間、彼が会社まで送迎してくれるというわけだ。
「それはありがたいですけど……世界屋製菓まで行ってからマルナガヤに引き返すの、結構大変なんじゃ……?」
「何をおっしゃる。真奈美さんの安全のためなら、そんなもの苦労のうちにも入りません」
鷹夜は己の胸に手を当てて、熱っぽい口調で真奈美に語りかける。鷹夜は、何よりも真奈美を優先すると心に決めていた。真奈美もその熱意を否定する気になれず、ひとまず感謝とともに受け入れることにした。
「では、明日は早めに出ましょう。ベッドは僕のもの1つしかないのですが……」
鷹夜は少し顔を赤らめる。
「……真奈美さんと一緒にベッドに入って、何もしない自信がありません……」
「あ、じゃあ、私ソファで寝ますよ」真奈美があっさりした口調で返した。
「何を言っているんですか!? 真奈美さんをソファで寝かせるくらいなら、僕がソファで寝ます!」
「じゃあ、そういうことで」
「あっ」
真奈美に言いくるめられ、その夜、鷹夜は「真奈美さんのいけず……」と、ソファを涙で濡らしながら寝た(いや、実際には濡れてはいないが)。
〈続く〉
鷹夜が、真奈美が線路に突き落とされたのを見た瞬間に非常停止ボタンを押したからだ。
電車は、真奈美にぶつかる10センチ手前でギリギリ停止した。
真奈美も鷹夜も、そして長谷川も、腰を抜かすほど力が抜けた。
照代は真奈美を突き飛ばしたあと、駅から逃走している。とはいえ、防犯カメラもある。遅かれ早かれ捕まるだろう、というのが警察の見解だった。
駅のホームは警察官が駆けつけ、騒然としている。真奈美と鷹夜、そして長谷川は、事情を聞かれて説明し、結局解放されたのが夜の20時頃だった。
「いやあ、大変な目にあいましたねえ」
真奈美は努めて明るい口調で話しているが、鷹夜も長谷川もその顔色は暗い。
何しろ、自分たちが言い争いをしている隙を突かれて、照代の接近を許すどころか真奈美が命の危険に晒されたのである。無理もない。
「冴原さん、ホントすみませんでしたっ!」
長谷川はバッと勢いよく頭を下げて謝罪する。
真奈美は「別に気にしてないよ」と答えたが、長谷川に「いや少しは気にしてくださいよ!」とツッコまれた。
「僕もたいへん申し訳なく思っております……」
鷹夜もしょぼくれた顔で反省しきりのようだ。
ひとまず3人で再び鷹夜のマンションを目指して、最寄り駅を降りて歩いている。
長谷川も「ここまで来たら一蓮托生ですから!」と、すっかり巻き込まれた形でついてきていた。
鷹夜のマンションは、真奈美の住んでいる場所よりずっと大きい。
彼女も何度か彼の住居にはお邪魔しているが、毎回そのマンションの大きさに、思わず天を見上げてしまい、首を痛めるのだった。
1階玄関ホールはカードキーを差し込んで開ける形式のオートロック。鷹夜に「これは真奈美さん専用です」とスペアキーを渡される。
玄関ホールを通ってエレベーターに乗り、25階へ。
「今、真奈美さんと長谷川くんに、お茶を淹れてきますね」
鷹夜が台所の奥に消えると、真奈美と長谷川はひとまず居間のソファに並んで座った。
「永井さん、社長秘書って聞いてたけど、結構お金持ちなんですかね」
長谷川が珍しいものを見るように、部屋の中をキョロキョロと見回す。
その様子は、まるで初めて人間の家にもらわれてきた子犬のようだった。……まあ、それはさておき。
「それにしても、君臣照代……まさか、私を殺そうとするなんて……」
照代に刺されるかもしれないと警戒はしていたが、実際に命を狙われるとなると、今更ながらに震えが止まらなくなってしまう。
キィィィィ――、と腹に響くほどの大きなブレーキ音を立てながらこちらに向かってくる電車の姿を思い浮かべると、真奈美は背中に冷水を浴びせられたような恐怖を思い出した。
「冴原さん……可哀想に……」
長谷川が気の毒そうな顔をして、真奈美の手を握り、温めようとするように手の甲をさする。
「永井さんに巻き込まれて、大変な目にあいましたね。でも、俺が冴原さんを絶対守りま――」
「その話、まだ続けるんですか?」
ガン、と音を立てて、ソファの前のローテーブルにマグカップを叩きつける音がした。
見上げると、苦虫を60匹噛み潰したような顔をしている鷹夜がいる。お茶を淹れて戻ってきたのだ。
「僕に喧嘩を売るなら、そろそろお引き取り願いたいんですが?」
「冴原さんを連れて帰ってもいいなら是非ともそうしますけど?」
バチバチと火花を散らす鷹夜と長谷川。そのふたりの間で、淹れてもらったお茶にふうふうと息を吹きかけながら呑気に飲み始める真奈美。事態は照代の件も加えて混迷を極めている。
結局、長谷川は「冴原さんを絶対に危険な目にあわせるな」と鷹夜に約束させて帰っていった。
鷹夜は「なんなんですか、あの人……まったく……」と大きなため息をついている。
「長谷川くんと約束なんてするまでもない。僕が必ずや真奈美さんを守り通してみせます」
「それは頼もしいですね」
真奈美は鷹夜が作ってくれた夕飯を食べ、お風呂上がりのデザートにアイスまでもらっていた。早速甘やかされている。
「でも、明日から出勤どうしましょう」
「できれば会社を休んでいただきたいものですが、社会人ともなればそうもやすやすとはいかないもの……悩ましいですね」
ふーむ、と鷹夜がしばらく悩んだのち、「こうすればいかがでしょう?」と提案した。
「僕は社長秘書です」
「そうですね」真奈美が頷く。
「社長を送迎するために車を回したりします。そこで、真奈美さんも一緒に僕の車に乗って出勤されてはいかがでしょう?」
鷹夜は普段は電車通勤だが、会社では社長の運転手もしており、自動車免許も自動車も持っている。そこで、照代に警戒している間、彼が会社まで送迎してくれるというわけだ。
「それはありがたいですけど……世界屋製菓まで行ってからマルナガヤに引き返すの、結構大変なんじゃ……?」
「何をおっしゃる。真奈美さんの安全のためなら、そんなもの苦労のうちにも入りません」
鷹夜は己の胸に手を当てて、熱っぽい口調で真奈美に語りかける。鷹夜は、何よりも真奈美を優先すると心に決めていた。真奈美もその熱意を否定する気になれず、ひとまず感謝とともに受け入れることにした。
「では、明日は早めに出ましょう。ベッドは僕のもの1つしかないのですが……」
鷹夜は少し顔を赤らめる。
「……真奈美さんと一緒にベッドに入って、何もしない自信がありません……」
「あ、じゃあ、私ソファで寝ますよ」真奈美があっさりした口調で返した。
「何を言っているんですか!? 真奈美さんをソファで寝かせるくらいなら、僕がソファで寝ます!」
「じゃあ、そういうことで」
「あっ」
真奈美に言いくるめられ、その夜、鷹夜は「真奈美さんのいけず……」と、ソファを涙で濡らしながら寝た(いや、実際には濡れてはいないが)。
〈続く〉