社長秘書に甘く溶かされて

第4話 それはまるで星空のような

 それは、6月の夜には珍しく、澄んだ空気が広がっていた。
 昼間の蒸し暑さは夜風によってすっかり和らぎ、空には淡く霞んだ三日月が浮かんでいる。
 遠くで虫の声が響き、公園の街灯がぼんやりと灯っていた。空気には、わずかに湿った土と草の匂いが混じっている。

「鷹夜さん、一緒に行きたい場所ってどこですか?」

「ふふ、着いてからのお楽しみということで」

 ――5月の初夏に出会って以降、真奈美と鷹夜は次第に関係を深めていった。
 デートを重ね、互いの自宅にお邪魔し、そのまま真奈美が鷹夜にいただかれてしまうのも毎度のことであったが、彼女はそのたびに彼の幼さの残る顔に宿る欲望を見て妙な感情を抱いている。

 ……どうやら私は、幼顔の成人男性に貪られることに興奮する性癖を持ってしまったらしい。

 真奈美は内心頭を抱えたくなったが、だからといって鷹夜と別れたいというわけでもないし、植え付けられてしまった性癖はもう拭い去るわけにもいかない。
 ただ、朝が来てベッドで腕枕をしてくれている鷹夜のあどけない寝顔を見ては手で顔を覆うばかりであった。
 罪悪感がないわけではない。だが、罪悪感を抱く理由はどこにもない。鷹夜とは同意の上だし、彼はれっきとした成人男性である。真奈美が勝手に「こんな少年のような美しい人に……」と後ろめたい思いを抱えているだけだ。

 そんな彼女の苦悩を知ってか知らずか、鷹夜はふと手を伸ばし、真奈美の指にそっと自分の指を絡める。
 しっかりと握りしめられた手は、じんわりと温かかった。
 まるで逃がすまいとするように、彼は真奈美の指を絡め、手のひらをぴたりと重ねた。
 その力強さに、真奈美は心臓が少しだけ跳ねるのを感じた。
 公園内にあるコンクリートの坂を登りきれば、それは突如として真奈美の目の前に広がる。

「――綺麗……」

 公園の高台から見下ろすと、無数の光が地上に散らばり、まるで宝石箱をひっくり返したように輝いていた。
 車のライトがゆっくりと流れ、まるで光の川が街を走っているかのように見える。
 遠くにはネオンの光がぼんやりと揺らぎ、都会の息遣いが感じられた。
 手すりに手をかけた真奈美は、息を呑むようにその景色を見つめる。

「真奈美さん、良ければ、あちらに」

 鷹夜が指し示したのは、高台にある観覧車だった。
 全長40メートルほどあるそれはゆっくりと回転し、一周するのに15分ほどかかるそうだ。
 真奈美は鷹夜の導くままにふたりでそれに乗り込んだ。

 観覧車のゴンドラが頂点に向かって動き続ける。
 真奈美はだんだん高くなっていく視点を楽しみながら、窓から夜景を見つめ続けていた。
 鷹夜も黙って一緒に夜景を見ている。

「お気に召していただけたでしょうか」

「ええ。素敵な場所に連れてきていただいて、ありがとうございます」

 鷹夜の言葉につられて、彼の方に顔を向けると、鷹夜は真奈美の手を取り、指の間を撫でていた。こそばゆい感覚に思わずフッと笑みを漏らす。

「鷹夜さんって、甘えるの好きですよね」

「お恥ずかしい限りです。真奈美さんは頼りがいがありそうで、ついつい」

 真奈美は短髪で女性にしては長身なためか、同性に頼られたり懐かれることが多い。バレンタインデーには男性よりもチョコを多くもらうこともある。本人は「お菓子に困らない、やったー」と純粋に喜んでいるだけであるが。

「ですが、真奈美さんも僕に頼りたくなったら言ってくださいね。この見た目なので、頼りないと思われるかもしれませんが」

「いえ、そんなことは……」

 ない、とは言わないが、と真奈美は内心思う。
 美少年と見紛うような幼さの残るベビーフェイス、175cmほどの女性のように細く、抱き締めれば折れそうな華奢な身体付き。見た目だけで言えば真奈美のほうが強そうまである。流石に失礼なので表立っては言わないが。

「あ、そろそろ頂上ですね。見てください、真奈美さん」

 ふと、鷹夜が窓を指さす。
 人差し指の先を覗き込むと、そこには絶景が広がっていた。

「すごい……」

 観覧車の高い位置にあるゴンドラから見下ろすと、黒々とした街に夜景の点々とした光が眩く、まるで眼下に広がる星空の中にいるような錯覚に陥る。

「せっかくですので、写真撮りましょうか」

 鷹夜が真奈美の手を引き寄せ、そのまま彼女を抱き寄せた。
 真奈美は鷹夜の胸の中にポスンと顔が収まる形になり、突然のことに思わず硬直する。
 鷹夜はいつも、竹の香水の爽やかな香りを纏わせていた。

「スマホの方、見てくださいね、真奈美さん」

 鷹夜の声につられて見上げると、彼はスマホを構えて自撮りモードにしていた。
 画面の中には鷹夜と抱き寄せられた真奈美、背景には美しい夜景が広がっている。

「撮りますよ」

 慌ててスマホに視線を合わせると、パシャ、パシャ、と何回かシャッターが押された。
 鷹夜と一緒にスマホを覗き込む。

「よく撮れてますね」

 真奈美が褒めると、「ありがとうございます」と鷹夜は嬉しそうに笑っていた。その表情も子供のようにあどけない。

「……ええと、それで」

「はい」

「そろそろ離してもらっていいですかね」

 そう、鷹夜はずっと真奈美を胸に収めたまま、背中に回した腕を解放してくれないのである。

「真奈美さんはお気づきでしょうか」

「もう一度ご覧いただこう的なアレですか?」

「違います。心霊写真にしないでください」

 鷹夜が真奈美の背中から肩へ手の位置を移した。
 胸に顔を埋めていた彼女が目線を合わせると――獲物を狙う獣のような目で、鷹夜が真奈美を見つめていた。

「観覧車って閉鎖空間、密室なんですよね」

 鷹夜は自らの唇をペロリと舐めていた。

「そろそろ観覧車が下に向かうので勘弁してほしいかな……」

 頂上を通り過ぎたゴンドラは、あとは下がっていくのみである。
 外から窓を覗かれた時に、あまり過激なことをしないでほしいのが真奈美の本心だった。

「ふふ、そうですね。では、これで我慢しておきます」

 鷹夜の端正な顔が近づき、真奈美は息を呑む。
 ふわり、と唇に触れるやわらかい感触。
 それはほんの一瞬の出来事だったのに、じんわりと熱が広がるようなキスだった。
 鷹夜がそっと唇を離すと、彼の表情はどこか名残惜しそうに見える。
 真奈美は思わず目を逸らし、火照った頬を隠すように髪をかき上げた。

「我慢した分は、家でゆっくりいただきます。帰るのが楽しみですね」

「イケメン怖いなあ……」

 観覧車を降りたふたりは、夜の公園を並んで歩いた。
 ふたりの手はしっかりと繋がれている。
 どちらからともなく握った手は、どこまでも離れることなく、指と指の間までしっかりと絡められていた。
 真奈美は静かに夜空を見上げる。
 遠くで虫の声が響き、街灯の下でふたりの影がぴたりと重なっていた。

〈続く〉
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