社長秘書に甘く溶かされて
第8話 恋人はライバル企業の社長秘書
展示会のあとは散々だった。
世界屋製菓は結局、マルナガヤの二番煎じのような商品をプレゼンテーションに出す以外になく、業界関係者からは苦笑い、あるいは冷笑を浴びることになる。
展示会が終わったあとのブースで、後輩の長谷川は青ざめた顔でうつむいていたし、狸山課長は「どうなってるんだ!?」と机に突っ伏してしまった。
「どうしてマルナガヤにうちの情報が漏れてる!?」
真奈美もしばらく思考が停止していたのである。
マルナガヤの社長の傍らに控えていた秘書――それが自分の恋人だったという最悪の事態。
このことを言うか言うまいかと迷っているうちに、長谷川が口を開いた。
「冴原さん……マルナガヤのプレゼンのときにびっくりした顔してましたけど、もしかして……」
「……ええ。向こうの社長秘書が、私の知った顔だった」
真奈美は観念して答える。ここで無理に隠すと、余計にややこしいことになるのが目に見えていた。
長谷川は目を丸くし、狸山課長は「どういうことだ?」と真奈美に詰め寄る。
「冴原、お前まさか――」
「違います。私は絶対に会社の情報は漏らしてません」
それは確かな事実だ。
真奈美は鷹夜と一緒にいるときは、絶対に自分の会社のことを口にしなかった。
それこそ、自分と鷹夜の安全を守るためである。
鷹夜も無理に聞き出そうとしなかったし、お互いの会社のことは話題に出さないのが暗黙の了解になっていた。
だから、真奈美も鷹夜の勤めている会社がマルナガヤだったなんて知らなかったし、相手の会社の情報も当然知らない。
そう正直に告白したが、狸山課長は「フン、どうだかな」と鼻を鳴らす。
「それが事実かどうかは立証できないだろう。お前の言い分次第じゃないか」
「それでも、私は漏らしていないとしか言いようがありません」
そう頑なに主張するしかなかった。
やってない証拠を出せなど、それこそ悪魔の証明というやつだ。
「……わかった。俺もこれに関してはとやかく言えん。とにかく、現地解散だ。また明日、会社で」
狸山課長は、暗い顔のまま、ひとりで展示会のための荷物を抱えて会社に戻ってしまった。
「狸山さん、展示会のために気合い入れて用意してましたもんね」
そう言った長谷川の声には、かすかに責めるような響きが混じっていた。
「……まさかとは思いますけど、冴原さん、本当に関係ないですよね?」
真奈美は何も悪くないのだが、そう言われると居心地が悪く感じてしまう。
「……とりあえず、私達も帰りましょう」
長谷川と隣り合って展示会場を出て、駅へと歩き出す。
途中、マルナガヤのプレゼンチームとすれ違った。
すれ違う瞬間、鷹夜が小さく息を呑んだのがわかる。
まるで何かを言いたそうな、でも言えない、そんな表情だった。
だが、真奈美は静かに首を横に振る。
ここで話すべきじゃない――そう伝えたつもりだった。
すると、鷹夜は一瞬だけ眉をひそめた。
それは「理解した」というサインなのか、それとも「困惑した」だけなのか。
どちらなのかは真奈美には判別がつかなかったが、鷹夜の視線はマルナガヤチームの方に戻った。
「ケッ、嫌な奴ら」
小声で罵る長谷川の脇腹を肘で小突いて、真奈美は展示会場をあとにする。
自宅マンションに帰ったあとも、しばらく物思いにふけっていた。
――いったい、どうしてマルナガヤに弊社の情報が漏れているのか。
真奈美のせいではないことは明らかだ。つまり、他に情報漏洩の穴があるはず。
しかし、もしかしたら、いつの間にか無意識に鷹夜に情報を漏らしてしまったのかも……?
いや、そんなはずは……。
そういえば――。
鷹夜は真奈美の仕事について、あまり詳しく聞こうとしなかった。
彼の会社のことを真奈美も深く聞いたことがなかった。
それはお互いの仕事のため、当然のことだと思っていた。でも……。
もし最初から、彼女の情報を探るために近づいてきたとしたら?
真奈美は疑念に囚われた。
夜の19時になってから、鷹夜がマンションを訪れる。
「真奈美さん、何が起こってるんですか?」
鷹夜は開口一番にそう言い出した。
「私にも、何がなんだか……」
真奈美は、これまでのマルナガヤの容疑について語って聞かせる。
しかし、鷹夜は「そんなことはありえません」と断固否定した。
「マルナガヤが、しかも弊社の社長が、そんなことをするわけも、命じるわけもありません」
ずいぶん向こうの社長は信頼されているものだ。
社長秘書としてそばで見ているためかもしれない。
「もちろん、僕も真奈美さんから世界屋製菓の話は伺っておりませんし、そもそもあなたが世界屋製菓の人間だなんて知らなかったんです」
「それは私もそうなんですが……」
ふたりで混乱し、途方に暮れる。
「とにかく、私達が一緒にいると疑われるばかりです。しばらく会うのはやめましょう」
「そんな……」
鷹夜は信じられないという愕然とした表情を浮かべていた。
「真奈美さんに会えないなんて、仕事の後の癒やしがなくなってしまいます。どうか、お考え直しを……」
「そう言われても……」
真奈美としても、鷹夜に会えないのはつらい。
しかし、このまま絆を深めれば深めるほど、周囲からの疑惑も深まってしまうのはたしかだ。
「お願いです。僕は絶対に真奈美さんの情報を他言はしません。真奈美さんと一緒にいられないなんて耐えられない」
その言葉を、信じていいのだろうか?
それとも、これすらも鷹夜の演技なのか。
彼の優しい瞳を見ていると、疑うことが馬鹿らしく思えてくる。
だけど、今まで真奈美が見ていた鷹夜は、全部『偽物』だったとしたら――?
ふたりの間には微妙な空気が流れていた。
〈続く〉
世界屋製菓は結局、マルナガヤの二番煎じのような商品をプレゼンテーションに出す以外になく、業界関係者からは苦笑い、あるいは冷笑を浴びることになる。
展示会が終わったあとのブースで、後輩の長谷川は青ざめた顔でうつむいていたし、狸山課長は「どうなってるんだ!?」と机に突っ伏してしまった。
「どうしてマルナガヤにうちの情報が漏れてる!?」
真奈美もしばらく思考が停止していたのである。
マルナガヤの社長の傍らに控えていた秘書――それが自分の恋人だったという最悪の事態。
このことを言うか言うまいかと迷っているうちに、長谷川が口を開いた。
「冴原さん……マルナガヤのプレゼンのときにびっくりした顔してましたけど、もしかして……」
「……ええ。向こうの社長秘書が、私の知った顔だった」
真奈美は観念して答える。ここで無理に隠すと、余計にややこしいことになるのが目に見えていた。
長谷川は目を丸くし、狸山課長は「どういうことだ?」と真奈美に詰め寄る。
「冴原、お前まさか――」
「違います。私は絶対に会社の情報は漏らしてません」
それは確かな事実だ。
真奈美は鷹夜と一緒にいるときは、絶対に自分の会社のことを口にしなかった。
それこそ、自分と鷹夜の安全を守るためである。
鷹夜も無理に聞き出そうとしなかったし、お互いの会社のことは話題に出さないのが暗黙の了解になっていた。
だから、真奈美も鷹夜の勤めている会社がマルナガヤだったなんて知らなかったし、相手の会社の情報も当然知らない。
そう正直に告白したが、狸山課長は「フン、どうだかな」と鼻を鳴らす。
「それが事実かどうかは立証できないだろう。お前の言い分次第じゃないか」
「それでも、私は漏らしていないとしか言いようがありません」
そう頑なに主張するしかなかった。
やってない証拠を出せなど、それこそ悪魔の証明というやつだ。
「……わかった。俺もこれに関してはとやかく言えん。とにかく、現地解散だ。また明日、会社で」
狸山課長は、暗い顔のまま、ひとりで展示会のための荷物を抱えて会社に戻ってしまった。
「狸山さん、展示会のために気合い入れて用意してましたもんね」
そう言った長谷川の声には、かすかに責めるような響きが混じっていた。
「……まさかとは思いますけど、冴原さん、本当に関係ないですよね?」
真奈美は何も悪くないのだが、そう言われると居心地が悪く感じてしまう。
「……とりあえず、私達も帰りましょう」
長谷川と隣り合って展示会場を出て、駅へと歩き出す。
途中、マルナガヤのプレゼンチームとすれ違った。
すれ違う瞬間、鷹夜が小さく息を呑んだのがわかる。
まるで何かを言いたそうな、でも言えない、そんな表情だった。
だが、真奈美は静かに首を横に振る。
ここで話すべきじゃない――そう伝えたつもりだった。
すると、鷹夜は一瞬だけ眉をひそめた。
それは「理解した」というサインなのか、それとも「困惑した」だけなのか。
どちらなのかは真奈美には判別がつかなかったが、鷹夜の視線はマルナガヤチームの方に戻った。
「ケッ、嫌な奴ら」
小声で罵る長谷川の脇腹を肘で小突いて、真奈美は展示会場をあとにする。
自宅マンションに帰ったあとも、しばらく物思いにふけっていた。
――いったい、どうしてマルナガヤに弊社の情報が漏れているのか。
真奈美のせいではないことは明らかだ。つまり、他に情報漏洩の穴があるはず。
しかし、もしかしたら、いつの間にか無意識に鷹夜に情報を漏らしてしまったのかも……?
いや、そんなはずは……。
そういえば――。
鷹夜は真奈美の仕事について、あまり詳しく聞こうとしなかった。
彼の会社のことを真奈美も深く聞いたことがなかった。
それはお互いの仕事のため、当然のことだと思っていた。でも……。
もし最初から、彼女の情報を探るために近づいてきたとしたら?
真奈美は疑念に囚われた。
夜の19時になってから、鷹夜がマンションを訪れる。
「真奈美さん、何が起こってるんですか?」
鷹夜は開口一番にそう言い出した。
「私にも、何がなんだか……」
真奈美は、これまでのマルナガヤの容疑について語って聞かせる。
しかし、鷹夜は「そんなことはありえません」と断固否定した。
「マルナガヤが、しかも弊社の社長が、そんなことをするわけも、命じるわけもありません」
ずいぶん向こうの社長は信頼されているものだ。
社長秘書としてそばで見ているためかもしれない。
「もちろん、僕も真奈美さんから世界屋製菓の話は伺っておりませんし、そもそもあなたが世界屋製菓の人間だなんて知らなかったんです」
「それは私もそうなんですが……」
ふたりで混乱し、途方に暮れる。
「とにかく、私達が一緒にいると疑われるばかりです。しばらく会うのはやめましょう」
「そんな……」
鷹夜は信じられないという愕然とした表情を浮かべていた。
「真奈美さんに会えないなんて、仕事の後の癒やしがなくなってしまいます。どうか、お考え直しを……」
「そう言われても……」
真奈美としても、鷹夜に会えないのはつらい。
しかし、このまま絆を深めれば深めるほど、周囲からの疑惑も深まってしまうのはたしかだ。
「お願いです。僕は絶対に真奈美さんの情報を他言はしません。真奈美さんと一緒にいられないなんて耐えられない」
その言葉を、信じていいのだろうか?
それとも、これすらも鷹夜の演技なのか。
彼の優しい瞳を見ていると、疑うことが馬鹿らしく思えてくる。
だけど、今まで真奈美が見ていた鷹夜は、全部『偽物』だったとしたら――?
ふたりの間には微妙な空気が流れていた。
〈続く〉