政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる
忘れられなかった景色
避暑地に向かう車の中、咲は静かに外の景色を見つめていた。
窓の外に広がる青空と深い緑。
それは、一度来たときと同じはずなのに、どこかやわらかく感じられた。
「……なんだか、前よりも、空気が穏やか」
「君が変わったからだろうな」
尚紀はそう言って、ハンドル越しに微笑んだ。
この場所を訪れるのは、今回で二度目。
最初は記憶の断片を求めて。けれど今は——“過去と、ちゃんと向き合うため”。
到着した御手洗家の旧別荘は、昔のままの姿で静かに佇んでいた。
「懐かしい……この匂い。覚えてる」
咲は玄関をくぐると、自然に廊下を歩き出した。
前回来たときは、恐る恐る足を踏み入れていたのに——今回は迷いがなかった。
「ここが、私の部屋だった」
「そうらしいな。管理人さんも同じこと言ってた」
咲はふと窓辺に目をやる。
「この窓から見える木……変わってない」
風にそよぐ木の葉。差し込む陽。
記憶の底にしまわれていた情景が、じわじわと立ち上がってくる。
「思い出してきた。……少しずつ、でも確かに」
「咲——」
そのときだった。
「お嬢様……!」
廊下の奥から、聞き覚えのある声がした。
咲が振り返ると、そこにいたのは——ひとりの年配の女性だった。
「……?」
驚きで息が止まりそうになる。
優しくしわの刻まれたその顔。整った身なり。
何年も会っていないのに、一瞬で思い出せた。
「本当に……咲お嬢様」
「……もしかして千代さん?」
「こちらの管理人さんから、御手洗のお嬢様が別荘を訪れていると聞いて。……もしかしてと思い、急ぎ足を運びました」
咲は呆然としたまま千代に駆け寄り、思わずその手を握った。
「本当に……千代さん……なの?」
「ええ。……こうして再会できて、胸がいっぱいです」
「私……あなたに会いたかった……ずっと、会いたかったの」
咲の目に涙が滲む。
「手紙……送ってくれたの、千代さんなんでしょう?」
「はい。……お嬢様が、あの事故のことを知らないままで生きていると知って、いても立ってもいられなくなってしまったのです」
千代の目にも、光が宿る。
「咲お嬢様は、奥様の——お母様の、たったひとりの血を引く娘。あの方が命をかけて守ろうとした“本家の継承者”です」
「……うん。私、もう分かってる。父は婿だったこと。母が“御手洗”の正統な継承者だったこと」
咲は、静かに息を整えて続けた。
「思い出すのは怖かった。でも、思い出した今なら、言える。私は母の娘だって、胸を張って言える」
千代の目が潤む。
「……奥様は、どんなときもお嬢様の幸せを願っていました。あの方が亡くなったあと、私にはもう何もできなくて……。でも、義母様の指示で追い出されたあとも、ずっと気になっていました」
「私……ずっとひとりだと思ってた。でも、違ったんだね」
咲はにこりと微笑んで、千代の手を両手で包み込んだ。
「ありがとう。あの手紙がなかったら、私は今でも“自分が誰なのか”見失ったままだったと思う」
「……咲お嬢様」
「もう、大丈夫。私は逃げない。お母さんの意思も、この家も、しっかりと受け継いでいく」
その言葉に、千代は深く頷いた。
「それを聞けて、本当に嬉しいです」
そのあと咲と尚紀は、ふたりきりで庭へと出た。
「会えて、よかったな」
尚紀がそっと言う。
「うん。……高倉さんの存在は、私の記憶の最後のピースだった」
「全部、つながったか?」
咲は空を見上げた。
「うん。私、ちゃんとここから歩いていける」
尚紀が、そっとその手を握る。
「なら……これからも、その手を握らせてくれ」
「……うん。あなたがいれば、大丈夫だって思える」
日が傾き、影が長くなる。
けれど、咲の心には、ずっと待ち望んでいた“光”が射していた。
窓の外に広がる青空と深い緑。
それは、一度来たときと同じはずなのに、どこかやわらかく感じられた。
「……なんだか、前よりも、空気が穏やか」
「君が変わったからだろうな」
尚紀はそう言って、ハンドル越しに微笑んだ。
この場所を訪れるのは、今回で二度目。
最初は記憶の断片を求めて。けれど今は——“過去と、ちゃんと向き合うため”。
到着した御手洗家の旧別荘は、昔のままの姿で静かに佇んでいた。
「懐かしい……この匂い。覚えてる」
咲は玄関をくぐると、自然に廊下を歩き出した。
前回来たときは、恐る恐る足を踏み入れていたのに——今回は迷いがなかった。
「ここが、私の部屋だった」
「そうらしいな。管理人さんも同じこと言ってた」
咲はふと窓辺に目をやる。
「この窓から見える木……変わってない」
風にそよぐ木の葉。差し込む陽。
記憶の底にしまわれていた情景が、じわじわと立ち上がってくる。
「思い出してきた。……少しずつ、でも確かに」
「咲——」
そのときだった。
「お嬢様……!」
廊下の奥から、聞き覚えのある声がした。
咲が振り返ると、そこにいたのは——ひとりの年配の女性だった。
「……?」
驚きで息が止まりそうになる。
優しくしわの刻まれたその顔。整った身なり。
何年も会っていないのに、一瞬で思い出せた。
「本当に……咲お嬢様」
「……もしかして千代さん?」
「こちらの管理人さんから、御手洗のお嬢様が別荘を訪れていると聞いて。……もしかしてと思い、急ぎ足を運びました」
咲は呆然としたまま千代に駆け寄り、思わずその手を握った。
「本当に……千代さん……なの?」
「ええ。……こうして再会できて、胸がいっぱいです」
「私……あなたに会いたかった……ずっと、会いたかったの」
咲の目に涙が滲む。
「手紙……送ってくれたの、千代さんなんでしょう?」
「はい。……お嬢様が、あの事故のことを知らないままで生きていると知って、いても立ってもいられなくなってしまったのです」
千代の目にも、光が宿る。
「咲お嬢様は、奥様の——お母様の、たったひとりの血を引く娘。あの方が命をかけて守ろうとした“本家の継承者”です」
「……うん。私、もう分かってる。父は婿だったこと。母が“御手洗”の正統な継承者だったこと」
咲は、静かに息を整えて続けた。
「思い出すのは怖かった。でも、思い出した今なら、言える。私は母の娘だって、胸を張って言える」
千代の目が潤む。
「……奥様は、どんなときもお嬢様の幸せを願っていました。あの方が亡くなったあと、私にはもう何もできなくて……。でも、義母様の指示で追い出されたあとも、ずっと気になっていました」
「私……ずっとひとりだと思ってた。でも、違ったんだね」
咲はにこりと微笑んで、千代の手を両手で包み込んだ。
「ありがとう。あの手紙がなかったら、私は今でも“自分が誰なのか”見失ったままだったと思う」
「……咲お嬢様」
「もう、大丈夫。私は逃げない。お母さんの意思も、この家も、しっかりと受け継いでいく」
その言葉に、千代は深く頷いた。
「それを聞けて、本当に嬉しいです」
そのあと咲と尚紀は、ふたりきりで庭へと出た。
「会えて、よかったな」
尚紀がそっと言う。
「うん。……高倉さんの存在は、私の記憶の最後のピースだった」
「全部、つながったか?」
咲は空を見上げた。
「うん。私、ちゃんとここから歩いていける」
尚紀が、そっとその手を握る。
「なら……これからも、その手を握らせてくれ」
「……うん。あなたがいれば、大丈夫だって思える」
日が傾き、影が長くなる。
けれど、咲の心には、ずっと待ち望んでいた“光”が射していた。