政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる

もう、静観はできない

避暑地から戻った翌朝、咲は久しぶりに御手洗家の執務室に顔を出した。

父は不在だったが、咲が訪れると、秘書の立花が少し困ったような顔を見せる。

「お嬢様……実は、昨日こちらに真白様がいらしてまして」

「真白が?」

咲は眉をひそめた。

「はい。分家の当主方と非公式の会合が開かれていたようです。……私は同席を許されなかったのですが、真白様が中心的に話しておられたとか」

(……分家の集まりに、真白が?)

御手洗家の分家は全国に散らばっており、老舗としての影響力を保つため、時折“当主会”と呼ばれる非公式の会合を開いている。
かつては、咲の祖父母もその中心にいた。

(でも、そんな大事な話に、私には一言も……)

「分家の方たちと、何を?」

「詳しくは分かりませんが……“今後の体制について”という話題だったようです」

咲は、立花の遠慮がちな口ぶりからも、空気の異変を察した。

「……お父さまも?」

「御前会議には呼ばれておらず、私的に真白様とお義母様が連絡を取っていたようです」

咲の胸がざわついた。

(どうして、私には何の連絡もなかったの?)

その夜。

尚紀は、自宅の書斎でパソコンに向かっていた。
咲はその背中を見つめながら、そっと声をかける。

「ねえ……尚紀さん。今日、実家で妙な話を聞いたの」

「分家の集まりのことか?」

「知ってたの?」

「少し前に、うちの総務が情報を掴んだ。“御手洗の後継者選定が動いている”って」

咲はぎゅっと唇を噛む。

「やっぱり……」

「そして、その動きの中心にいるのが、“義母と真白”」

尚紀は静かに画面を閉じた。

「咲、そろそろはっきりさせる時が来たと思う」

「何を?」

「誰が御手洗の“正統な後継者”なのかを、外にも示すこと」

咲の目が揺れる。

「でも……私はまだ何もできてない。御手洗の仕事も、名前だけで……」

「それは違う」

尚紀の声に、強い意志がこもる。

「君は“正統な血筋”を持ち、母の意思を引き継いで立っている。それだけで、十分に“継承の資格”はある」

「でも、義母は……!」

「義母は今、“分家”の後押しを受けて動いてる。そしてその分家は、義母に“弱み”を握られている可能性がある」

「……弱み?」

尚紀は頷いた。

「詳細はまだ掴めてない。でも、義母の過去には不自然な点が多すぎる。“事故後に高倉千代を追放したこと”“母親の遺品が何一つ残ってないこと”」

「まさか、それも……」

「可能性は高い」

尚紀は真っ直ぐ咲を見る。

「俺が調べる。咲、君はどうか“後継者としての覚悟”を持っていてほしい」

「……覚悟」

「誰かの後ろに隠れるんじゃなくて、“咲が御手洗を継ぐべき人間だ”と、堂々とそう言える自分でいてくれ」

咲はしばらく俯いていたが、やがて小さく頷いた。

「……わかった。私、もう逃げない」

尚紀がそっと咲の手を握る。

「それでこそ、俺の“妻”だ」

静かな夜の書斎に、二人の手のぬくもりだけが、確かなものとして残った。

翌日。

朝比奈本社に出勤した尚紀は、すぐに信頼している部下に声をかけた。

「御手洗家分家の“影の会合”に関わっている人物を洗え。特に義母の関係者と接触がある人物を」

「かしこまりました」

尚紀の声には、今までにない鋭さが宿っていた。

(——咲の立場を脅かすものは、すべて排除する)

(君がようやく前を向いたんだ。もう、邪魔はさせない)

同じ頃。

御手洗家の一室では、義母と真白が静かに話していた。

「もうすぐです。咲さんには“御手洗”を任せられないという声が、次第に広がっています」

義母は微笑んだ。

「外堀から埋めていくのが一番よ。あの子は“血筋”だけ。中身がなければ、正統性なんて霞に過ぎない」

その言葉に、真白は表情を曇らせる。

(……本当にそうなの?)

一方で、咲の中には静かな火が灯り始めていた。

かつては見失っていた“自分の価値”。
でも今は違う。

(私は、お母さんが命をかけて守ろうとした“本家の娘”——)

(その意味を、私自身が証明する)

扉の向こうには、まだ知らない戦いが待っている。
でも、もう咲はそれを受け止める覚悟があった。
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