政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる

立ち上がる、娘としての覚悟

「——咲お嬢様に、来ていただけますか」

朝、御手洗本家に一本の電話が入った。
発信者は、御手洗分家の中でも特に影響力を持つ高槻家の秘書だった。

「“後継について、分家一同から正式に話を伺いたい”とのことです」

その報せに、咲の背筋が自然と伸びた。

(とうとう、来た)

これは“咲を後継者と認めるかどうか”を見極める場。

建前は「分家の挨拶」だったが、実態は本家の娘としての資質が問われる非公式の審査会だった。

当日、会場となったのは都内の格式高い料亭だった。

木造建築の長い廊下を通され、大広間へと案内される。

その空気は、あからさまに“品定め”のそれだった。

正面に座るのは、高槻家を筆頭に御手洗分家の面々。
そして、咲の真正面——やや上座気味の位置に義母と真白の姿。

(……なるほど。あからさまね)

「ご足労いただいて恐縮です」

最初に口を開いたのは、高槻家の当主・高槻宗佑。
白髪交じりの髪と、鋭い眼光を持つ人物だった。

「久方ぶりに“御手洗家本家の血筋”の方とこうして向き合えるとは、我々としても感慨深いものです」

咲は会釈で応える。

「お招きいただき、ありがとうございます」

丁寧な礼。けれど、目は逸らさなかった。

「さて、咲お嬢様。……我々分家としては、御手洗の未来を託すに値するお人かどうか、ぜひ拝見したいと考えております」

(……やっぱり、今日の本題は“審査”)

「では、まずお尋ねします。……あなたは、御手洗家を継ぐ覚悟がありますか?」

咲は一度深く息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。

「はい。母が守ろうとした御手洗を、私が継ぎます」

ざわ……と、場が一瞬揺れる。

「そのために、今は一つずつ学んでいます。まだ未熟かもしれませんが、逃げずに前に進む覚悟はあります」

「ふむ……その“想い”だけでは、組織は守れません」

別の分家筋の長老が言う。

「経営の知識は?組織の運営は?本家の立場として、どれだけの責任を背負うか理解していますか?」

「はい。……その責任の重さを知っているからこそ、軽々しく名乗ってはなりませんでした。でも今なら言えます」

咲ははっきりと、真正面を見据えた。

「私は、御手洗の本家の娘であり、正統な後継者です」

その言葉に、義母の目が細くなる。

「……ずいぶんとご立派なこと。ご自身の力で何かを成し遂げた経験は?」

「ありません。けれど、これからやるつもりです。母のためにも、私自身のためにも」

「それはつまり、“今は力がない”ということですね」

真白が口を開いた。

「お姉さん、あなたは“生まれが本家”というだけで、すべてを得ようとしている。それって、甘えじゃないですか?」

咲はゆっくりと真白に視線を向けた。

「じゃあ、真白さんは?血縁を持たずにこの場に立っているあなたの方が、何を根拠に“継ぐ資格”を語れるの?」

「……!」

空気が一瞬凍りつく。

「私は確かに未熟です。でも、母の血を受け継ぎ、この家に生まれ育った“本家の娘”です。それは誰にも、否定できません」

義母の口元が、かすかに歪む。

「“立場”にあぐらをかいているようにしか見えませんね」

「なら、見ていてください。私は“覚悟”で証明します。立場じゃない、私自身で御手洗を守ると」

その言葉には、何の迷いもなかった。

会合が終わったあと。

料亭の中庭で、尚紀が咲を出迎えた。

「終わったのか?」

「……うん。疲れた」

咲は苦笑しながらも、どこか晴れやかな顔をしていた。

「でも、言えたよ。“私が御手洗を継ぐ”って。もう、怖くない」

尚紀はその言葉を聞いて、そっと咲の手を握った。

「よくやった」

「……ありがとう」

「君が背負う覚悟を、ちゃんと見た。俺も、もっと本気で守らなきゃなって思った」

「もう守られてばかりじゃ、だめだよね」

「いや、君が立ち上がったから、俺は“安心して支えられる”んだよ」

咲はふっと笑って、尚紀の肩に軽く頭を預けた。

その夜。

分家のある家では、高槻が義母に言った。

「……なるほど。確かに“器”の片鱗は見せたようですな」

義母は唇を引き結んだまま、何も言わなかった。

真白もまた、静かに俯いていた。

(お姉さんの言葉……あれが“本家の覚悟”なの?)

誰の胸にも、それぞれの“揺れ”が生まれ始めていた。
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