政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる
この手は、最初から君のために
「今日、少し外出してくる。……咲のことで、どうしても会っておきたい人がいる」
尚紀は、朝のコーヒーを飲みながらそう言った。
咲が振り返る。
「……誰に会うの?」
「御手洗家の“長老筋”にあたる人物だ。三条秀一。君の祖父の時代から御手洗家を裏で支えてきた、いわばキーパーソンだ」
咲は驚いたように目を見開いた。
「三条……。昔、母が時々名前を口にしていた気がする。母方の親戚のような……でも、あまり公には出ない人よね」
「だからこそ、動くときは意味がある。——そして、彼と俺には少し前から接点があった」
咲が眉をひそめる。
「……接点?」
尚紀は、カップを置き、咲の方をまっすぐに見た。
「実は——二年前、俺は彼に、“君と結婚させてほしい”と申し出ていた」
「……え?」
それは、尚紀が母を亡くした年のことだった。
長く患っていた母の看取りを終えたとき、彼は“心の奥にずっとしまっていた記憶”と、静かに向き合う決意をした。
——あの夏、避暑地で出会った少女。
——“また来年も会おうね”と指切りした約束。
「もう一度会いたい。……あの約束を、果たしたい」
彼は、自分が持っていた古い日記の走り書きや、母がかつて話していた避暑地での記録をもとに調査を始めた。
出入りしていた別荘名義。来ていた家族構成。
情報を辿るうちに、あるひとつの名前に辿り着いた。
——御手洗咲。
「まさかとは思った。けど、調べれば調べるほど一致していった。顔、年齢、当時の滞在期間——全部が合ってた」
「……気づいてたのね、私が“あの女の子”だって」
「俺は、ずっと探してたんだよ。“君”を」
咲の胸が、じんわりと熱くなる。
「じゃあ、私と契約結婚したのは……」
「きっかけは、君を守るためだ」
尚紀は静かに言った。
「君の家が政略結婚の相手を探しているって、調べていて分かった。そのとき、御手洗家が経営的に追い詰められていることも知った」
「……」
「誰が相手になるか分からない。……だから俺は、自分で名乗り出た。“私が彼女の結婚相手になりたいです”と」
咲は、まるで胸の奥の底から何かが込み上げてくるように感じた。
「どうしてそこまで……?」
「……“約束”だから」
尚紀は、ふっと微笑んだ。
「俺が手を伸ばしたのは、“君”に向けてだった。家でも、名前でもない。“咲”を、取り戻すために結婚を申し出た」
咲は、そっと尚紀の手に自分の手を重ねた。
「……ありがとう。そんなふうに思ってくれてたなんて、知らなかった」
「知ってもらうために、今日三条さんに会ってくる。そして、“俺はこれからも咲を守る”と、正式に伝えてくる」
「うん……行ってきて。私も、ここでちゃんと向き合う」
その日。
尚紀は山間の古民家を訪れていた。
出迎えたのは、三条秀一。
控えめながらも威厳ある佇まいの老人だった。
「よく来たな。……咲君の夫殿」
「ご無沙汰しております」
二人は静かに畳へ座り、季節の和菓子が出された。
「二年前、君は“家のための結婚ではない”と言った。“あの子のための結婚だ”と。……その気持ちは、今も変わらないか?」
「はい。むしろ、当時よりも強くなっています」
「なぜそう思う?」
「咲が“過去を受け入れよう”と決めたからです。母の死、家の重み、自分の立場——全部受け止めて前に進もうとしている」
「……あの子の母君は、気骨のある方だった。あの子が、母の意思を継ごうとする姿を見て、私も胸を打たれたよ」
尚紀は少しだけ口元を引き締める。
「どうか、咲を支えてください。今、彼女は御手洗の正統な後継者として認められつつあります。ですが、まだ“押し返す力”は足りません」
「君の妻としてだけでなく、“個人として”認めることに意味がある、か」
「ええ。それが、彼女が後継者であるという“証明”になる」
三条はゆっくりと頷いた。
「分家に、伝えておこう。“あの子は誰にも支配されない。自らの足で立つ者だ”と」
その夜。
尚紀が帰宅すると、咲は出迎えもそこそこに、彼に駆け寄った。
「……どうだった?」
「正式に、“御手洗本家の娘として、後継者に値する人物”だと伝えてきた。——君のことをね」
咲は瞳を潤ませ、そっと尚紀の胸に額を寄せた。
「ありがとう。あなたがいてくれて、本当によかった」
「違うよ。君が、強くなったからだ」
「でも……私はまだ、あなたに追いつけない」
「じゃあ、追いついて。ずっと隣にいてくれ」
咲は頷いた。
「……うん、約束する」
その手は、あの日と同じように、静かに繋がれていた。
尚紀は、朝のコーヒーを飲みながらそう言った。
咲が振り返る。
「……誰に会うの?」
「御手洗家の“長老筋”にあたる人物だ。三条秀一。君の祖父の時代から御手洗家を裏で支えてきた、いわばキーパーソンだ」
咲は驚いたように目を見開いた。
「三条……。昔、母が時々名前を口にしていた気がする。母方の親戚のような……でも、あまり公には出ない人よね」
「だからこそ、動くときは意味がある。——そして、彼と俺には少し前から接点があった」
咲が眉をひそめる。
「……接点?」
尚紀は、カップを置き、咲の方をまっすぐに見た。
「実は——二年前、俺は彼に、“君と結婚させてほしい”と申し出ていた」
「……え?」
それは、尚紀が母を亡くした年のことだった。
長く患っていた母の看取りを終えたとき、彼は“心の奥にずっとしまっていた記憶”と、静かに向き合う決意をした。
——あの夏、避暑地で出会った少女。
——“また来年も会おうね”と指切りした約束。
「もう一度会いたい。……あの約束を、果たしたい」
彼は、自分が持っていた古い日記の走り書きや、母がかつて話していた避暑地での記録をもとに調査を始めた。
出入りしていた別荘名義。来ていた家族構成。
情報を辿るうちに、あるひとつの名前に辿り着いた。
——御手洗咲。
「まさかとは思った。けど、調べれば調べるほど一致していった。顔、年齢、当時の滞在期間——全部が合ってた」
「……気づいてたのね、私が“あの女の子”だって」
「俺は、ずっと探してたんだよ。“君”を」
咲の胸が、じんわりと熱くなる。
「じゃあ、私と契約結婚したのは……」
「きっかけは、君を守るためだ」
尚紀は静かに言った。
「君の家が政略結婚の相手を探しているって、調べていて分かった。そのとき、御手洗家が経営的に追い詰められていることも知った」
「……」
「誰が相手になるか分からない。……だから俺は、自分で名乗り出た。“私が彼女の結婚相手になりたいです”と」
咲は、まるで胸の奥の底から何かが込み上げてくるように感じた。
「どうしてそこまで……?」
「……“約束”だから」
尚紀は、ふっと微笑んだ。
「俺が手を伸ばしたのは、“君”に向けてだった。家でも、名前でもない。“咲”を、取り戻すために結婚を申し出た」
咲は、そっと尚紀の手に自分の手を重ねた。
「……ありがとう。そんなふうに思ってくれてたなんて、知らなかった」
「知ってもらうために、今日三条さんに会ってくる。そして、“俺はこれからも咲を守る”と、正式に伝えてくる」
「うん……行ってきて。私も、ここでちゃんと向き合う」
その日。
尚紀は山間の古民家を訪れていた。
出迎えたのは、三条秀一。
控えめながらも威厳ある佇まいの老人だった。
「よく来たな。……咲君の夫殿」
「ご無沙汰しております」
二人は静かに畳へ座り、季節の和菓子が出された。
「二年前、君は“家のための結婚ではない”と言った。“あの子のための結婚だ”と。……その気持ちは、今も変わらないか?」
「はい。むしろ、当時よりも強くなっています」
「なぜそう思う?」
「咲が“過去を受け入れよう”と決めたからです。母の死、家の重み、自分の立場——全部受け止めて前に進もうとしている」
「……あの子の母君は、気骨のある方だった。あの子が、母の意思を継ごうとする姿を見て、私も胸を打たれたよ」
尚紀は少しだけ口元を引き締める。
「どうか、咲を支えてください。今、彼女は御手洗の正統な後継者として認められつつあります。ですが、まだ“押し返す力”は足りません」
「君の妻としてだけでなく、“個人として”認めることに意味がある、か」
「ええ。それが、彼女が後継者であるという“証明”になる」
三条はゆっくりと頷いた。
「分家に、伝えておこう。“あの子は誰にも支配されない。自らの足で立つ者だ”と」
その夜。
尚紀が帰宅すると、咲は出迎えもそこそこに、彼に駆け寄った。
「……どうだった?」
「正式に、“御手洗本家の娘として、後継者に値する人物”だと伝えてきた。——君のことをね」
咲は瞳を潤ませ、そっと尚紀の胸に額を寄せた。
「ありがとう。あなたがいてくれて、本当によかった」
「違うよ。君が、強くなったからだ」
「でも……私はまだ、あなたに追いつけない」
「じゃあ、追いついて。ずっと隣にいてくれ」
咲は頷いた。
「……うん、約束する」
その手は、あの日と同じように、静かに繋がれていた。