政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる

この人は、私の“誇り”です

臨時取締役会の朝。

朝比奈ホールディングスの役員フロアは、張り詰めた空気に満ちていた。

「本日の議題は、現社長・朝比奈尚紀氏の経営責任および、血統上の継承権に関する再審議です」

司会を務める顧問弁護士の一言に、重役たちがざわめいた。

その中で、椎名取締役がゆっくりと立ち上がる。

「——朝比奈尚紀氏が、現会長の“実子”ではないという事実は、すでに社内外で確認されております」

「名門・朝比奈家の名にふさわしい“継承者”であるかどうか。その是非を、いまここで明確にしておくべきかと」

その言葉に、多くの視線が尚紀へと集まる。

尚紀は、凛とした態度でそれを正面から受け止めた。

「私が“血を引いていない”のは事実です。けれど、“朝比奈家の名を背負い、生きてきた”こともまた、事実です」

「では問います。あなたは何をもって、“正統な後継者”であると自負しているのか?」

椎名の問いに、尚紀は一歩前に出た。

「“家”を背負うのは、血ではなく“責任”だと思っています。どんな状況でも逃げずに立ち、全体を守る覚悟を持つ者こそが、“跡継ぎ”としてふさわしい」

「私がこれまで朝比奈の名で築いた実績、それが答えです」

静まり返る会議室に、別の声が響いた。

「——ならば、証人としてもうひとり、話をさせてください」

ドアが開き、そこに現れたのは咲だった。

上品なスーツに身を包み、背筋を伸ばした彼女は、まるで御手洗家の“後継者”そのものだった。

「御手洗咲……御手洗本家の令嬢にして、尚紀さんの妻です」

咲は会議室の中心へと歩み出る。

「今日は、御手洗家の名を持つ人間としてではなく——“この人を、人生の伴侶に選んだ者”として、話をさせていただきます」

椎名が警戒の目を向ける。

「私たちの結婚が“政略”であるという声もありました。けれど、私は自ら望んで、尚紀さんを選びました」

「なぜなら、この人は——どんな時も、人を見捨てないからです」

咲の声は震えていなかった。
むしろ、そのまなざしは、誰よりも強かった。

「義母が私を軽んじ、御手洗家の名を操ろうとしたとき、彼は私のために立ち上がってくれました」

「世間に“契約結婚”と疑われても、逃げずに真実を語ってくれました」

「私は見てきました。この人が、どれだけの想いで、朝比奈家を守ってきたかを」

重役たちが言葉を失う中、咲ははっきりと言い放った。

「血がすべてだというのなら、私はここに立てていない。……私は、血ではなく、母から受け継いだものを信じて、前に進みました」

「尚紀さんも同じ。“血”ではなく、“想い”で朝比奈家を築いてきた人です」

「だから私は、この人を——“私の誇り”だと胸を張って言えます」

静寂の中、ひとり、またひとりと重役たちが視線を交わした。

やがて、重鎮と呼ばれる最年長の取締役が、ぽつりと呟いた。

「……これ以上、何を問う必要がある?」

「結果を見れば、彼以上の後継者はいない。正統かどうかを問う前に、我々はこの“信頼”を見誤ってはならない」

それは、事実上の“支持宣言”だった。

やがて多数の賛同が集まり、椎名の提案した解任動議は——否決された。

会議が終わったあと。

尚紀と咲は、屋上の風に吹かれていた。

「……助けられたな。完璧だったよ、咲」

「助けられたのは私の方。あの場で、“あなたの妻です”って言えたの、すごく誇らしかった」

「……咲。君は本当に強くなった」

「あなたが隣にいてくれたから」

ふたりは静かに見つめ合う。

尚紀がゆっくりと咲の肩を抱き、額を寄せた。

「……俺の名前を、君に呼ばれたとき、ほんとうに“生きててよかった”って思った」

「尚紀さん……」

「これからは、俺の肩書きも名前も、すべて君のために使いたい。君の幸せのためにだけ、生きていきたい」

咲は、ただ黙って頷いた。

言葉よりも、伝わっていた。

ふたりの間に、確かに通じ合うものがあった。

その夜。

尚紀は咲の手を取り、薬指のリングをそっと撫でた。

「——誓うよ。これからも、君の隣に立ち続けるって」

「私も。……あなたが誰になんと言われても、私だけはずっと信じてる」

その言葉が、何よりも強い“証明”だった。

咲が選んだ男は、血よりも深い絆で結ばれていた。
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