政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる

妹という存在

義母からの連絡は、突然だった。

《今日のお昼、真白をそちらに向かわせます。少しお話しておいてくださいね。》

ただそれだけの短いメッセージ。
何の説明も、配慮もなかった。
私は思わず、スマートフォンの画面を見つめたまま動けなくなる。

真白——義母の連れ子であり、私の“義妹”。
年齢は私より二つ下。血の繋がりはなくても、同じ屋根の下で育った。

けれど、“姉妹”と呼べるほど親しくはなかった。

どちらかといえば、義母にとって“真白こそが正当な娘”だった。
私が何をしても評価されなかったのに、真白が少しでも笑えば、それだけで称賛された。

比べられるたびに、私は引いて、静かに距離を取ってきた。

だから、彼女がここに来ると聞いて——嫌な予感しかしなかった。

チャイムが鳴ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。

インターホンのモニターには、鮮やかな桜色のワンピースに身を包んだ女性が立っていた。

画面越しでもわかるほどの明るい笑顔。
けれどそれが、私にはどこか芝居がかって見えた。

「咲お姉さま、お久しぶりです!」

玄関を開けた途端、真白は元気よく声を上げた。
そのまま当然のように室内へ上がり、リビングをぐるりと見回す。

「わあ、すっごく広い。さすが朝比奈家ですね~。まるでモデルルームみたい。生活感がないっていうか、まだ“誰のもの”にもなってない感じ?」

その言葉に、どくん、と胸の奥が跳ねた。

(……まだ“誰のもの”にもなってない、って)

どうして、そんな言い方をするのだろう。

「せっかくなので、お茶でも出すね」

声の震えを隠すように言いながら、私はキッチンへ向かった。
真白はその背中を見送るように、ふふっと笑った。

テーブルに紅茶とケーキを並べると、真白はさっそくスプーンを手に取った。

「お姉さま、尚紀さんとは……うまくいってます?」

突然の問いに、手元のカップがかすかに揺れた。

「……それなりに。特に問題もなく、穏やかに過ごしてるわ」

「ふぅん。まあ、何よりですけど」

そう言って彼女は、紅茶を口に運びながらにこやかに続けた。

「お母さまね、最初は本当は私を嫁がせたかったんですって。やっぱり年齢的に先に咲お姉さまになったけど、タイミングが違えば、私がここにいたかもしれないって」

笑顔のまま、ひどいことを言う。

「でも、お姉さまって昔から我慢強いっていうか……こういう結婚も受け入れちゃうタイプだもんね。えらいなあ、ほんと」

彼女の言葉は、どれも一見褒め言葉に聞こえる。
けれど、その芯には確実に“見下し”がある。

「真白ちゃんは、朝比奈さんと面識があるの?」

私の問いに、彼女は小さく首をかしげた。

「ううん、ないわ。でも、あんなにかっこよくて、若くて、仕事もできる人なら……“理想の旦那様”だよね?」

わざとらしく夢見るような口調で言いながら、視線がこちらを観察するように泳ぐ。

「だからちょっとだけ、羨ましいなぁって思って」

(やっぱり、この子は——)

来た理由は分かりきっていた。
母に言われたのか、自発的だったのかは知らない。
でも、目的は“確認”だ。

私が朝比奈尚紀の妻として、どれだけそこに“馴染んでいるか”。

そして、もし隙があるなら——そこに入れる余地があるかどうか。

「……尚紀さんは、忙しい人よ。きっと、家庭的な相手を求めてるわけじゃないわ」

私の言葉に、真白はぱちくりと目を瞬かせ、それから悪戯っぽく笑った。

「ふぅん。どうかな。男の人って、意外と家庭的な子が好きだったりしません?それに——やっぱり、“釣り合い”ってあるじゃない?」

咲お姉さま、ちょっと古風すぎるし。

そう言葉に出す代わりに、彼女は口元にだけ笑みを浮かべた。

帰り際、真白はリビングのドアを振り返った。

「今日は楽しかったです。またお伺いしますね。……次は、お兄さまもご在宅のときに」

わざと“お兄さま”と言ったその響きが、部屋の奥に静かに響いた。

玄関の扉が閉まったあと、私は大きく息をついた。
指先がじんわりと汗ばんでいることに気づく。

まだ、何も始まっていない。

けれど、じわじわと押し寄せてくる“波”の気配だけは、確かに感じていた。

尚紀の妻として、ここに居る——そのことが、誰かにとって“邪魔”になる日が、近づいているのかもしれない。

そして私は、その波をどう迎え撃てばいいのか、まだ分からなかった。
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