政略結婚ですが、冷徹御曹司はなぜか優しすぎる
誰にも触れさせたくない
リビングのソファで、尚紀が静かにカップを置いた。
「……それで、真白さんが来た?」
「うん。お昼過ぎに。お母さまから何の説明もなく、“話しておいて”ってだけメッセージが来て」
咲は気まずそうに唇を引き結んだ。
その姿を、尚紀はゆっくりと見つめていた。
「何を話した?」
「世間話……というより、“様子見”って感じだった。私がちゃんとここで“妻”として生活してるのか、どれだけ馴染んでるか……そんなことを探られてる気がしたの」
その言葉に、尚紀の瞳が一瞬、冷たい光を帯びた。
「……やはり、そうか」
低く落とされた声は、いつもよりわずかに熱を帯びていた。
「義母から、真白さんをこの家に寄越すといった連絡は俺にはなかった。つまり、君が俺に“相談する”時間すら与えないよう、わざと直接、君に送り込んできたってことだ」
「……尚紀さん?」
彼は組んでいた指をほどき、立ち上がった。
歩み寄るその足音さえ、重たく感じるほど、空気が張り詰めていた。
「義母は、“形式的な結婚”だからこそ、揺さぶれば君が自ら身を引くと思っている。真白さんは、俺にとって“相応しい”と思っているんだろう」
そう淡々と言いながらも、尚紀の声には確かな怒気がにじんでいた。
「……私は、そんなつもりで話を受けたわけじゃない。ただ、お母さまがそう言うから——」
「君は悪くない」
尚紀がぴたりと動きを止めた。
そして、真っ直ぐに咲を見た。
「悪いのは、俺の妻に勝手に触れようとする人間だ」
その言葉に、咲の胸が大きく脈打つ。
“俺の妻”。
契約結婚だと分かっているのに、その響きはどうしようもなく温かかった。
けれど同時に、尚紀の目に宿る独特の“静かな怒り”が、彼の中の何かを明確に示しているようで——
それは咲にとって、予想外の“重さ”でもあった。
その夜、尚紀は仕事の書類に目を通すでもなく、ずっと書斎の窓の外を見ていた。
咲は紅茶を淹れて、その部屋をそっと訪ねた。
「……少しだけ、お話してもいい?」
「どうぞ」
椅子を回して向き直った彼の顔は、すっかりいつもの静かな表情に戻っていた。
「尚紀さん……怒ってるの?」
「怒っている」
即答されたその答えに、咲は戸惑いながらも言葉を探す。
「でも、それは……お母さまのこと?それとも、真白のこと?」
「どちらでもある」
尚紀は少し視線を下げたあと、机の上の紅茶に手を伸ばした。
「俺は、契約結婚を選んだ。形式的でも、守るべきものは守るべきだと思ってる」
「守るべき……もの?」
「君だよ、咲」
紅茶のカップが、ぴたりと宙で止まった。
「俺は、君を“妻”として迎えた。たとえそれが契約であっても、外部の人間がその関係に土足で踏み込むのは許せない」
その言葉の重さに、咲の呼吸が浅くなった。
尚紀の瞳は、鋭いのにどこか悲しげで、熱を帯びている。
「……ごめんなさい。私、自分がしっかりしないから——」
「謝らないで」
尚紀の言葉が、遮るように重なった。
「謝らなくていい。……君は、何も悪くない。君はただ、俺の隣にいればいい」
“俺の隣に”。
あの会食の夜にも聞いたその言葉が、再び心の奥にじんと響いた。
寝室に戻った咲は、ベッドの上に座って、自分の胸に手を当てた。
尚紀の言葉が、繰り返し心の中で反芻される。
“俺の妻”
“俺の隣にいればいい”
“君を守る”
どれも優しくて、けれど少しだけ、怖いくらいに強い言葉だった。
形式的な関係のはずだった。
でも、あの人の言葉には、もう“契約”では説明できない想いが混ざっている。
(私、どうして……こんなに、嬉しいの?)
彼に守られるたびに、胸が苦しくなる。
誰かに触れられたくない——そう言われて、嬉しくなる。
それはもう、ただの“仮面の夫婦”ではいられない証かもしれなかった。
「……それで、真白さんが来た?」
「うん。お昼過ぎに。お母さまから何の説明もなく、“話しておいて”ってだけメッセージが来て」
咲は気まずそうに唇を引き結んだ。
その姿を、尚紀はゆっくりと見つめていた。
「何を話した?」
「世間話……というより、“様子見”って感じだった。私がちゃんとここで“妻”として生活してるのか、どれだけ馴染んでるか……そんなことを探られてる気がしたの」
その言葉に、尚紀の瞳が一瞬、冷たい光を帯びた。
「……やはり、そうか」
低く落とされた声は、いつもよりわずかに熱を帯びていた。
「義母から、真白さんをこの家に寄越すといった連絡は俺にはなかった。つまり、君が俺に“相談する”時間すら与えないよう、わざと直接、君に送り込んできたってことだ」
「……尚紀さん?」
彼は組んでいた指をほどき、立ち上がった。
歩み寄るその足音さえ、重たく感じるほど、空気が張り詰めていた。
「義母は、“形式的な結婚”だからこそ、揺さぶれば君が自ら身を引くと思っている。真白さんは、俺にとって“相応しい”と思っているんだろう」
そう淡々と言いながらも、尚紀の声には確かな怒気がにじんでいた。
「……私は、そんなつもりで話を受けたわけじゃない。ただ、お母さまがそう言うから——」
「君は悪くない」
尚紀がぴたりと動きを止めた。
そして、真っ直ぐに咲を見た。
「悪いのは、俺の妻に勝手に触れようとする人間だ」
その言葉に、咲の胸が大きく脈打つ。
“俺の妻”。
契約結婚だと分かっているのに、その響きはどうしようもなく温かかった。
けれど同時に、尚紀の目に宿る独特の“静かな怒り”が、彼の中の何かを明確に示しているようで——
それは咲にとって、予想外の“重さ”でもあった。
その夜、尚紀は仕事の書類に目を通すでもなく、ずっと書斎の窓の外を見ていた。
咲は紅茶を淹れて、その部屋をそっと訪ねた。
「……少しだけ、お話してもいい?」
「どうぞ」
椅子を回して向き直った彼の顔は、すっかりいつもの静かな表情に戻っていた。
「尚紀さん……怒ってるの?」
「怒っている」
即答されたその答えに、咲は戸惑いながらも言葉を探す。
「でも、それは……お母さまのこと?それとも、真白のこと?」
「どちらでもある」
尚紀は少し視線を下げたあと、机の上の紅茶に手を伸ばした。
「俺は、契約結婚を選んだ。形式的でも、守るべきものは守るべきだと思ってる」
「守るべき……もの?」
「君だよ、咲」
紅茶のカップが、ぴたりと宙で止まった。
「俺は、君を“妻”として迎えた。たとえそれが契約であっても、外部の人間がその関係に土足で踏み込むのは許せない」
その言葉の重さに、咲の呼吸が浅くなった。
尚紀の瞳は、鋭いのにどこか悲しげで、熱を帯びている。
「……ごめんなさい。私、自分がしっかりしないから——」
「謝らないで」
尚紀の言葉が、遮るように重なった。
「謝らなくていい。……君は、何も悪くない。君はただ、俺の隣にいればいい」
“俺の隣に”。
あの会食の夜にも聞いたその言葉が、再び心の奥にじんと響いた。
寝室に戻った咲は、ベッドの上に座って、自分の胸に手を当てた。
尚紀の言葉が、繰り返し心の中で反芻される。
“俺の妻”
“俺の隣にいればいい”
“君を守る”
どれも優しくて、けれど少しだけ、怖いくらいに強い言葉だった。
形式的な関係のはずだった。
でも、あの人の言葉には、もう“契約”では説明できない想いが混ざっている。
(私、どうして……こんなに、嬉しいの?)
彼に守られるたびに、胸が苦しくなる。
誰かに触れられたくない——そう言われて、嬉しくなる。
それはもう、ただの“仮面の夫婦”ではいられない証かもしれなかった。