雲より高く、君を守る―ハイスペ社長と遺跡デザイナーの極上溺愛譚

【第十一章 失われた道の先に】

 東京湾岸、夜十時。静まり返ったコンテナ群の間に、濡れたコンクリートの匂いが立ち込めていた。昼間の喧騒が嘘のように消え失せた倉庫街は、海風が通り過ぎるたびにどこか低くうなりを上げ、まるで眠らない獣が潜んでいるような気配を放っていた。
 その一角。朽ちかけたフェンスの隙間から身を滑り込ませた男たちが、暗闇の中を慎重に歩を進めていた。ヘッドセット越しの無線は最低限に抑えられ、足音すら息を殺すように小さく。
 高は先頭を歩いていた。数日前の負傷がまだ完全には癒えていないが、足取りには迷いがなかった。モンゴルの土で味わった痛みは、ただの肉体的なものではなかった。それ以上に、自分たちが守ろうとしたものが、なおも狙われ続けているという事実が、彼の血をたぎらせていた。
 「ここだ。第四倉庫の南端。内部に入荷トラックが三台、ナンバーは確認済み」
 進之祐の声がイヤーピースに届いた。彼は数ブロック先の展望ポイントに潜み、タブレット片手に監視カメラの死角を探りながら状況を逐一更新している。冷静で的確な言葉は、かつての“参謀”のまま。その静けさの奥には、十年前の“痛み”と“償い”が潜んでいた。
 庄は最後尾から、時折振り返りながらついてくる。彼の手には分解可能なロックツールと、万が一のための小型スモーク。口元にはいつものように笑みを浮かべているが、その目は冴えていた。沈黙の中にも、かつての“破壊担当”らしい緊張と冗談めいた軽さが同居していた。
 「これ、間違いねえな。トラック、横っ腹が擦れてる。モンゴルの発掘テントから奪われたとき、急旋回して逃げてったやつと一致してる。……あいつら、まだ気づいてねえ」
 低く呟いた庄の言葉に、高は倉庫の裏壁に手をあてる。その指先に、かすかな震えが伝わってくる。近い。確かに、この壁の向こう側に、“あの欠片”がある。石碑の断片。モンゴルから密かに運ばれ、ここで売買されるのを待っている文化財の“影”。
 「合図を。突入のタイミングは俺が出す」
 高が言うと、二人は小さく頷いた。それぞれの手元で装備を確認し、静かに気配を殺す。
 そのときだった。倉庫の裏手、駐車エリアに一台のフォークリフトが現れた。音は最小限に抑えられていたが、ヘッドライトがぐるりと回転し、ちょうど庄のいた影を照らしかける。
 「くそっ」
 低く舌打ちしながら、庄はとっさに後ろへ身を引く。だが、タイヤが小石を踏み、ガラガラという音が倉庫の壁に反響した。一瞬でヘッドライトの光が定まる。運転席の男が何かを叫んだ。
 「バレた!」
 進之祐の声が飛ぶと同時に、倉庫の裏口が開いた。中から複数の男たちが飛び出し、周囲を囲むように散っていく。その手には懐中電灯と、いくつかの武器らしきものが見えた。
 「突入は中止!一度撤退する!」
 進之祐が叫ぶが、そのときすでに高は動いていた。身を翻し、壁沿いに走る。
 「いや、まだだ!奴らが裏口に気を取られてるうちに、表から侵入できる!」
 「おい、待て高、今は無理だって!」
 「ここで逃したら、また誰かが失う!」
 その声があまりにも強くて、進之祐も庄も言葉を呑んだ。その瞬間、三人の間にあった沈黙が、かつての“あの夜”を呼び起こす。あの日、間に合わなかった現場。奪われた仮面。打ち砕かれた誓い。
 ――今度こそ、失わせない。
 高が無線を握りしめた。
 「進之祐、照明を落とせ。庄、正面のトラックを塞げ。……行くぞ」
 彼の声には、ためらいがなかった。守るべきものを、その手で取り戻すために。

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