雲より高く、君を守る―ハイスペ社長と遺跡デザイナーの極上溺愛譚
【第十三章 霜の花】
空がまだ闇に沈んでいるのに、空気にはわずかな銀色が混じり始めていた。東京湾岸の倉庫、その屋上にはひとりの人影があった。進之祐だった。足元の鉄板に、うっすらと霜が降りている。コンクリートの屋上が白く光る静寂のなか、彼はただ一点を見つめていた。
スーツのジャケットの襟を立てていても、肌を刺す冷気は容赦なく、指先がじんじんと痺れていた。けれど、彼はその手をポケットにしまおうとはしなかった。むしろ、外に出していた。何かを――掴み取るように。
結莉が静かに階段を上がってきたのは、そのときだった。足音は控えめで、呼吸すらも遠慮がちに聞こえる。だが進之祐は、彼女が来たことにすぐ気づいたようで、微かに口元を動かした。
「……朝、早いですね」
「あなたも。眠れてないんでしょう?」
結莉の言葉に、進之祐はゆっくりと肩をすくめた。
「……眠れるはず、ないですよ。兄の記録が、あの“日誌”に残っていた。十年前、違法発掘に直接関わってたって……ずっと信じたくなかった。でも……今となっては、全部辻褄が合う」
彼の声は静かだったが、その奥には確かな“痛み”があった。家族を裏切ることと、真実を告げること。その両方が、彼の中でせめぎ合っていた。
「兄さんはいつも、僕とは違った。大胆で、明るくて、人前に出るのが得意で……それでも、僕はずっと彼を尊敬してた。彼の背中を追いかけて、同じ道を選んで。なのに……」
言葉が途切れた。霜に覆われた鉄板の床に、彼はそっとしゃがみこむ。そして、凍えた指先でゆっくりと、その表面に何かを描き始めた。
「……何を、描いてるの?」
結莉の問いかけに、進之祐は答えず、ただ一輪の花の形を描き続けた。霜が擦れて、白い筋が残る。まるで寒さの中で咲こうとする花のように、床の上に浮かび上がった。
「これは、僕の決意です。“俺は俺の道を選ぶ”って……兄の道じゃない、誰かのための道でもない。僕自身の意志で、この記憶を守る。嘘を塗り潰すためじゃなく、本当のことを残すために」
結莉はそっと、その描きかけの花に視線を落とした。震える指。けれど、そこには確かに“誰か”のためではない、“自分”のために動く勇気があった。
彼の手を、結莉はそっと両手で包んだ。ひどく冷たかったが、その芯には微かな熱が残っていた。
「あなたの勇気は……凍らない。たとえ誰かがそれを否定しても、私にはちゃんと届いてるから」
進之祐は目を見開いたまま、しばらく動けなかった。だがやがて、表情をやわらかくゆるめた。
「……ありがとう。君にそう言ってもらえるなら、僕はもう大丈夫な気がする」
夜が、ゆっくりとほどけていく。東の空がわずかに紅く染まり、霜が、ひと筋の朝日に照らされて消えはじめた。床に残された霜の花は、溶けながらも確かにそこに存在した。
スーツのジャケットの襟を立てていても、肌を刺す冷気は容赦なく、指先がじんじんと痺れていた。けれど、彼はその手をポケットにしまおうとはしなかった。むしろ、外に出していた。何かを――掴み取るように。
結莉が静かに階段を上がってきたのは、そのときだった。足音は控えめで、呼吸すらも遠慮がちに聞こえる。だが進之祐は、彼女が来たことにすぐ気づいたようで、微かに口元を動かした。
「……朝、早いですね」
「あなたも。眠れてないんでしょう?」
結莉の言葉に、進之祐はゆっくりと肩をすくめた。
「……眠れるはず、ないですよ。兄の記録が、あの“日誌”に残っていた。十年前、違法発掘に直接関わってたって……ずっと信じたくなかった。でも……今となっては、全部辻褄が合う」
彼の声は静かだったが、その奥には確かな“痛み”があった。家族を裏切ることと、真実を告げること。その両方が、彼の中でせめぎ合っていた。
「兄さんはいつも、僕とは違った。大胆で、明るくて、人前に出るのが得意で……それでも、僕はずっと彼を尊敬してた。彼の背中を追いかけて、同じ道を選んで。なのに……」
言葉が途切れた。霜に覆われた鉄板の床に、彼はそっとしゃがみこむ。そして、凍えた指先でゆっくりと、その表面に何かを描き始めた。
「……何を、描いてるの?」
結莉の問いかけに、進之祐は答えず、ただ一輪の花の形を描き続けた。霜が擦れて、白い筋が残る。まるで寒さの中で咲こうとする花のように、床の上に浮かび上がった。
「これは、僕の決意です。“俺は俺の道を選ぶ”って……兄の道じゃない、誰かのための道でもない。僕自身の意志で、この記憶を守る。嘘を塗り潰すためじゃなく、本当のことを残すために」
結莉はそっと、その描きかけの花に視線を落とした。震える指。けれど、そこには確かに“誰か”のためではない、“自分”のために動く勇気があった。
彼の手を、結莉はそっと両手で包んだ。ひどく冷たかったが、その芯には微かな熱が残っていた。
「あなたの勇気は……凍らない。たとえ誰かがそれを否定しても、私にはちゃんと届いてるから」
進之祐は目を見開いたまま、しばらく動けなかった。だがやがて、表情をやわらかくゆるめた。
「……ありがとう。君にそう言ってもらえるなら、僕はもう大丈夫な気がする」
夜が、ゆっくりとほどけていく。東の空がわずかに紅く染まり、霜が、ひと筋の朝日に照らされて消えはじめた。床に残された霜の花は、溶けながらも確かにそこに存在した。