雲より高く、君を守る―ハイスペ社長と遺跡デザイナーの極上溺愛譚

【第十六章 反転する真実】

 警視庁地下の取調室は、無音だった。壁には防音材が施され、天井の蛍光灯が冷たい白を落としている。テーブルと椅子だけが並ぶ無機質な空間。そこに、三人の姿があった。
 千景は背筋を真っすぐに伸ばして椅子に座り、その斜め向かいには広田秀麿。灰色のスーツに身を包み、手首には制限具がかけられていた。表情は変わらない。視線も逸らさず、まるでここが自分の部屋であるかのように余裕を保っていた。
 そしてその横には、紫緒梨。ファイルを胸に抱え、静かに立つ。その目には一点の曇りもなかった。
 「広田秀麿氏、あなたがモンゴルの保護遺跡より持ち出した石碑片と、記録された非公式取引の映像については、すでにデータとして押収済みです。あなたの発言はすべて記録されています」
 千景の声は抑揚を削ぎ落とし、低く、鋭い。だが秀麿は鼻で笑った。
 「ふん。証拠ね。映像なんていくらでも編集できる。私を落とすには、それなりの“決定打”が要るはずだが?」
 紫緒梨はゆっくりとテーブルにファイルを置いた。中から一枚のCDケースが滑り出る。それは古く、ケースの角は擦れて白くなっていた。無地のラベルに、手書きでただひとこと、“2005”と記されている。
 「あなたがかつて視察のために訪れた、十年前の発掘現場。あのとき、現地の通訳スタッフが録音していたボイスレコーダーが、最近になって発見されました。理由は……彼が事故で長年意識不明だったためです」
 紫緒梨は淡々と語る。その声音には、少しも感情の揺らぎがない。
 「つまり、意図的な編集の余地はない。“見逃されていた証言”――まさにそのままの形で、ここに残っていたというわけです」
 千景が再生を促すようにうなずいた。紫緒梨は録音再生装置にディスクを挿入する。しばらくの沈黙のあと、音が流れ始めた。
 〈“……あの石碑、掘り出せば一千万円にはなる。下手すればもっと。持ち帰る算段はついてる”〉
 〈“俺の甥が社を継ぐまでには間がある。今のうちに、価値があるものは手に入れておくべきだ”〉
 〈“グループの名義なら表にも出ない。使える者は使え。情報を封じるのは簡単だ”〉
 その声は、紛れもなく――広田秀麿のものだった。
 空気が変わった。音が止まっても、部屋の中にはその声の残響がじっとりと張りついていた。秀麿の表情から、初めて“動揺”の色がにじむ。喉が動く。彼は目を細め、テーブルの天板を指でとんとんと叩いた。
 「……そのテープ、どこで?」
 「事故のあった病院の保管倉庫です。未整理の私物の中にありました。……偶然ですね。あなたが処分できなかった数少ない証拠」
 紫緒梨の瞳には、冷たい静寂があった。怒りではない。軽蔑でもない。ただ“正義”という名の距離を保った視線。それが何よりも、秀麿の自尊心を打ち砕いた。
 「私は……広田のためにやっていた」
 秀麿の口から、かすれた声が漏れた。
 「広田の名前が、世界に誇れるものになると信じていた。それを継ぐのがお前だと分かった時、私は――」
 「その言い訳は、今さら聞きたくありません」
 千景が、はっきりと遮った。
 「私は、あなたのようにはならない。私が継ぐのは、あなたの野心ではない。“守るべきもの”の方です」
 声が静まった。取調室の空気は、凍りつくでもなく、熱を帯びるでもなく――完全に反転していた。
 真実は、ここで決着した。

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