雲より高く、君を守る―ハイスペ社長と遺跡デザイナーの極上溺愛譚

【第十七章 友情と過去】

 梅雨入り前の空は、意外なほどに澄んでいた。高台に位置する郊外の霊園では、風が草木を優しく撫で、足元の石畳を転がるように進んでいく。鳥のさえずりがときおり聞こえるが、あとは静かだった。まるで、すべての音が耳に入りながらも心に触れない、不思議な静けさ。
 結莉は白い花束を両手で抱えて、ゆっくりと石段を上っていた。その隣を、高が歩いている。後ろには進之祐と庄、紫緒梨。そして考古学者の優生が、いつも通り飄々とした表情でついてくる。
 琴葉の墓は、霊園の奥、木陰の近くにあった。黒い御影石に、彼女の名前と日付。飾られた写真のなかの彼女は、あの頃と変わらない笑顔でこちらを見つめていた。
 「……ただいま」
 誰ともなく、結莉がそう言った。声は大きくなかったが、確かに墓前に届く温度を持っていた。高が隣で目を伏せる。彼女の声を聞いた瞬間、彼もまた“やっと来られた”という安堵を抱いたのだろう。
 「この間……君のスケッチブック、受け取ったよ」
 結莉が墓石の前に膝をつき、花束をそっと置いた。花の中には、一輪だけ、石碑片を模した白い陶器のかけらが紛れ込んでいた。あの草原の石と同じ形を写し取り、琴葉が最後に見ていた“記憶”を、今ここに手向けるために。
 「ありがとうを、ずっと言えなかった。でも、やっと言える。――ありがとう、琴葉。ずっと私の背中を押してくれてたんだね」
 風が吹いた。草がそよぎ、写真立ての中の笑顔が少しだけ傾く。高がそれに気づいて、そっと直す。その手の動きは、彼が十年間、誰にも見せずに続けてきた“見守り”そのものだった。
 進之祐は、静かに立ったまま手を合わせる。紫緒梨は目を閉じて微かに首を垂れた。庄は照れくさそうに、ポケットから小さな缶コーヒーを取り出して供える。
 「ほら、いつも飲んでたやつ。甘すぎて信じらんねー味だったけど、君はこれが好きだったよな。……ま、たまには飲んでくれよ」
 誰も笑わない。けれど、皆の表情はどこか柔らかく、安らいでいた。
 「君の描いた“奇妙な石碑”が、全部のきっかけになったんだよ」
 優生が、手を合わせながらぽつりと呟いた。
 「まさかモンゴルの遺構が、密輸事件に繋がるなんて、思いもよらなかったけど……でも君の記録がなかったら、誰も気づけなかった。君は、ちゃんと未来に残した。研究者として、心から感謝してる」
 その言葉に、結莉の目が揺れる。琴葉が、最後に命をかけて残したスケッチ。それは絵としてではなく、“記憶を伝えるための鍵”だった。そして今、ようやく全員がその意味を理解し、それを受け継ごうとしている。
 「……俺たちは前に進むよ」
 高が墓石にそっと手を当てた。その手は大きくて、温かくて、そしてほんの少しだけ震えていた。
 「ずっとここで君のことを待ってたけど、ようやくみんなが来た。結莉も、進之祐も、庄も、紫緒梨も。だから俺は、ここで止まらない。君が託してくれたものを、これからも守っていく」
 言葉が風に乗り、空へと流れていく。
 それは“区切り”ではなかった。“始まり”だった。

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