雲より高く、君を守る―ハイスペ社長と遺跡デザイナーの極上溺愛譚
【第五章 クラスの人気者、実は秘密組織のボス】
新宿・ゴールデン街の裏路地。表通りの喧騒を抜けた先に、ひっそりと佇むジャズバー〈Jade〉はあった。鈍く磨かれた真鍮の看板には、控えめにロゴが浮かび上がり、重たい木製の扉には手書きの文字で“CLOSED”の札がぶら下がっていた。だがそれは、表向きの仮面にすぎない。今夜、その扉の奥では、十年前に眠りについたある組織が、再び動き出そうとしていた。
中は外観とは裏腹に、洗練された静けさが漂っていた。モスグリーンの壁には、古いトランペットと白黒写真。低い天井にはスピーカーからジャズのピアノが流れ、ゆったりとしたリズムが夜の緊張を和らげている。カウンターの奥には、眼鏡をかけた柔和な男が一人、グラスを磨いていた。進之祐だった。彼の目元には眠気のような陰りがありながらも、その手つきは正確で静かだ。情報解析と経路管理を担う彼は、場の空気を乱さないことを何より大切にしていた。
その向かいで、足を組んでソファに深く腰かけているのが和田庄。色付きの炭酸を注いだグラスをくるくると回しながら、やや開き気味のシャツのボタンから、いたずらっぽく笑みを浮かべていた。いつものことながら、緊張感の場でこそ彼は軽口を好む。
「……ったく、高はいつも急すぎんだよなあ。十年ぶりに呼び出しておいて、再起動って。俺、今日スーパーのタイムセール行く予定だったんだけど?」
「タイムセールより優先順位高い依頼って、めったにないんだけどなあ」
進之祐が微笑んで返すと、庄は肩をすくめ、片手でカウンターを軽く叩いた。
「いや、わかってるって。石碑周辺で“動き”があるって聞いた時点で、嫌な予感はしてたからな。まさかまた密輸の話になるとは」
「しかも高の口から、あの言葉が出るとはね。“アウローラを再起動する”なんて」
その言葉に、場の空気が一瞬だけぴたりと止まる。アウローラ――それは高校時代、彼らが裏で動かしていた文化財保護の秘密組織。学校内に秘密基地を構え、暗号と偽名でやり取りし、密輸情報をかぎつけては現場に走った。半ばゲームのような感覚もあったが、扱っていた情報と危険は常に本物だった。
ドアが開いた。重たい扉が軋む音とともに、場にひときわ明るい気配が差し込んでくる。
「遅れてごめん。ちょっと電話が長引いてて」
声の主は山野高。ネイビージャケットに白のシャツを合わせた彼は、相変わらず整った顔立ちに爽やかな笑みを浮かべながらも、その背中にはいつになく緊張が宿っていた。学生時代、誰よりもムードメーカーだった彼は、教師にも生徒にも愛され、常に周囲の中心にいた。だが――それは“表の顔”にすぎなかった。
「おい高、お前がそんな顔して来るの、十年ぶりくらいじゃね?」
庄が冗談まじりに言うと、高は少し笑って、でもその笑顔の奥に確かな決意を滲ませた。
「笑ってられるうちに、全部話すよ。……俺たちが守ってきた“あの石碑”の周辺で、密輸業者の動きが確認された。しかも今回のは、規模も、メンツも一段階上だ」
「またか。十年前の連中の再来?」
「いや、それだけじゃない。たぶん今回は、内部情報が漏れてる」
進之祐が手を止めた。庄がくるくる回していたグラスを、思わず握り直す。
「……社内にスパイ?」
「可能性は高い。誰かが、石碑の存在意義を“金”に変えようとしてる」
高はその言葉を、まるで刃物のように言い切った。静かな怒りが、その声にこもっていた。
「俺たちが守ってきたものが、ただの高値で売れる“商品”にされる。それだけは、どうしても許せない。……だから、また動くよ。アウローラとして。もう一度、ちゃんと守るために」
グラスを倒す音が響いた。庄だった。驚きではなく、拳を握りすぎた拍子だったのだろう。炭酸がカウンターに広がる。けれど彼は気にせず、こぼれた滴を指ですくって、にっと笑った。
「……いいねえ。久々に、心臓がバクバクしてきた。燃えるような情熱ってやつか。やっぱ俺たち、青春終わってなかったんだな」
進之祐も、小さく眼鏡を上げながら頷いた。
「ルールは変わった。敵の規模も、情報の複雑さも。でも、“真実を守る”って信念だけは、今も俺たちの中にある」
三人の間に、再び静けさが戻った。けれどそれは、ただの沈黙ではない。かつての絆が、年月を越えて再び結び直された音のない契約。アウローラは、眠りから覚めた。
中は外観とは裏腹に、洗練された静けさが漂っていた。モスグリーンの壁には、古いトランペットと白黒写真。低い天井にはスピーカーからジャズのピアノが流れ、ゆったりとしたリズムが夜の緊張を和らげている。カウンターの奥には、眼鏡をかけた柔和な男が一人、グラスを磨いていた。進之祐だった。彼の目元には眠気のような陰りがありながらも、その手つきは正確で静かだ。情報解析と経路管理を担う彼は、場の空気を乱さないことを何より大切にしていた。
その向かいで、足を組んでソファに深く腰かけているのが和田庄。色付きの炭酸を注いだグラスをくるくると回しながら、やや開き気味のシャツのボタンから、いたずらっぽく笑みを浮かべていた。いつものことながら、緊張感の場でこそ彼は軽口を好む。
「……ったく、高はいつも急すぎんだよなあ。十年ぶりに呼び出しておいて、再起動って。俺、今日スーパーのタイムセール行く予定だったんだけど?」
「タイムセールより優先順位高い依頼って、めったにないんだけどなあ」
進之祐が微笑んで返すと、庄は肩をすくめ、片手でカウンターを軽く叩いた。
「いや、わかってるって。石碑周辺で“動き”があるって聞いた時点で、嫌な予感はしてたからな。まさかまた密輸の話になるとは」
「しかも高の口から、あの言葉が出るとはね。“アウローラを再起動する”なんて」
その言葉に、場の空気が一瞬だけぴたりと止まる。アウローラ――それは高校時代、彼らが裏で動かしていた文化財保護の秘密組織。学校内に秘密基地を構え、暗号と偽名でやり取りし、密輸情報をかぎつけては現場に走った。半ばゲームのような感覚もあったが、扱っていた情報と危険は常に本物だった。
ドアが開いた。重たい扉が軋む音とともに、場にひときわ明るい気配が差し込んでくる。
「遅れてごめん。ちょっと電話が長引いてて」
声の主は山野高。ネイビージャケットに白のシャツを合わせた彼は、相変わらず整った顔立ちに爽やかな笑みを浮かべながらも、その背中にはいつになく緊張が宿っていた。学生時代、誰よりもムードメーカーだった彼は、教師にも生徒にも愛され、常に周囲の中心にいた。だが――それは“表の顔”にすぎなかった。
「おい高、お前がそんな顔して来るの、十年ぶりくらいじゃね?」
庄が冗談まじりに言うと、高は少し笑って、でもその笑顔の奥に確かな決意を滲ませた。
「笑ってられるうちに、全部話すよ。……俺たちが守ってきた“あの石碑”の周辺で、密輸業者の動きが確認された。しかも今回のは、規模も、メンツも一段階上だ」
「またか。十年前の連中の再来?」
「いや、それだけじゃない。たぶん今回は、内部情報が漏れてる」
進之祐が手を止めた。庄がくるくる回していたグラスを、思わず握り直す。
「……社内にスパイ?」
「可能性は高い。誰かが、石碑の存在意義を“金”に変えようとしてる」
高はその言葉を、まるで刃物のように言い切った。静かな怒りが、その声にこもっていた。
「俺たちが守ってきたものが、ただの高値で売れる“商品”にされる。それだけは、どうしても許せない。……だから、また動くよ。アウローラとして。もう一度、ちゃんと守るために」
グラスを倒す音が響いた。庄だった。驚きではなく、拳を握りすぎた拍子だったのだろう。炭酸がカウンターに広がる。けれど彼は気にせず、こぼれた滴を指ですくって、にっと笑った。
「……いいねえ。久々に、心臓がバクバクしてきた。燃えるような情熱ってやつか。やっぱ俺たち、青春終わってなかったんだな」
進之祐も、小さく眼鏡を上げながら頷いた。
「ルールは変わった。敵の規模も、情報の複雑さも。でも、“真実を守る”って信念だけは、今も俺たちの中にある」
三人の間に、再び静けさが戻った。けれどそれは、ただの沈黙ではない。かつての絆が、年月を越えて再び結び直された音のない契約。アウローラは、眠りから覚めた。