亡国の聖女は氷帝に溺愛される

光という名の

「──失礼いたします。大魔法使い様が到着されました」

 穏やかな老人の声で、ヴィルジールは机の上の書類から顔を上げた。革の椅子から立ち上がると、ドアへ向かって歩き出す。

 ヴィルジールが上半身に酷い怪我をしたのは、つい十日前のことだ。

 突如城下に現れたという凶暴な魔物を見に行くと、避難所が襲われるという事態になった。この国を治める者として収拾を試みたが、相手の方が強く、瀕死の重傷を負った。
 だがその怪我の傷は、今は跡形もなく消えている。

 ヴィルジールはドアを開ける前に、右手を胸の前に寄せた。

 側近のアスランの話によると、肩から腹部にかけて酷い切り傷を受けたという。出血も酷く、治癒師力も受け付けず、どうしたものかと思ったその時、少女が進み出たそうだ。

 そして、癒やしたというのだ。喪っていたはずの力で。

「遥々御苦労だった」

 ヴィルジール自らドアを開けると、その向こうにいた少年の耳飾りが揺れた。菫色の石が嵌め込まれているそれからは、とても強い力が感じられる。

「凄い旅路だったよ。ここまで来るのに何日掛かったと思う? 氷帝さん」

 肩の辺りで切り揃えられている光の色の髪と、意志が強そうな翠色の瞳。くっきりとした目鼻立ちの美少年は、誰もが畏怖するヴィルジールを前に、余裕そうに笑ってみせた。



 目を醒ますと、記憶にない天井が飛び込んできた。白を基調としたそれには、蔦に似た模様が金色で描かれている。

 照明には無数の宝石が散りばめられている。窓から光が差し込んでいるので、その美しさを知るのは今は叶わなさそうだ。

 ゆっくりと身体を起こすとそこは、目を疑いたくなるほど豪華な部屋だった。家具から小物に至るまで全てが煌びやかで、目がチカチカしてくる。

 ふと、銀糸で紡いだような髪が視界に入った。指先で摘むと自分のものである感触がした。

(………ど、どういうこと…?)

 少女はベットから這い出て、数歩先にあった大きな鏡を目指した。恐る恐る覗き込むと、そこには白銀色の髪の少女が映る。

 蜂蜜色だったはずの髪が、白銀色に変わっている。何故、一体どうして、と頭を抱えていると、部屋のドアが開く音がした。

「──目を覚まされたのですね」

 聞き覚えのある声に振り返ると、セルカが水差しを手に立っていた。

「セ、セルカさんっ……」

 少女は自分の髪を両手で掴みながら、縋るような想いでセルカを見る。

 セルカは目を真ん丸に見開いて驚いていたが、すぐに駆け寄ってきた。

「体調は如何ですか?」

「何もありません…大丈夫です、ます…」

 しどろもどろに返事をする少女を見て、セルカは小さく噴き出すと、何でもございませんと言って頭を下げる。
 少女は髪から手を放し、ぐるりと部屋を見回した。

「セルカさん……あの、ここはお城ですか?」

「はい。貴女様は皇帝陛下の御命だけでなく、民の傷を癒し、この国に強い結界を張られました。その御恩に報いるために、丁重におもてなしをするようにと命が下っております」

 少女はぱちぱちと瞬きをした。ヴィルジールの傷を癒し、気を失ったところまでは覚えているが──そんな大きなことをした記憶はない。

 どうしてあの時、自分の願いに応えるように、力を使うことが出来たのかもよく分かっていないというのに。

「それは皇帝陛下の御命令ですか?」

「勿論にございます。さあ、湯浴みを致しましょう。その後は消化に良い食事を」

 セルカは有無を言わせない顔で少女の背に手を添え、部屋の奥へと歩かせる。衝立の裏にあるドアを開けると、そこは浴室だった。

 少女は思わず身を震わせた。以前使った浴室よりもずっと広く、まるでプールのようなのだ。


 セルカに全身を磨かれた後、豪華な化粧台の前に座らされた。鏡に映る自分の髪は白銀色のままで、髪を洗われても香料を塗られても、元に戻ることはなかった。

 身体を清め、用意された淡い菫色の衣装に袖を通し終えた頃、一人の青年が部屋を訪ねてきた。

「失礼いたします。聖女様」

 青年は優しい笑顔を浮かべると、丁寧に頭を下げてきた。斜め後ろにいたセルカが深々と頭を下げていたので、彼は身分の高い人なのだろう。

「お初にお目にかかります、聖女様。僕はエヴァン・セネリオ。この国の宰相を務めています」

 柔らかなブラウン色の髪が揺れる。瞳は髪と同じ色で、シンプルなデザインだが品の良いスーツを着ている。
 セネリオという名に聞き覚えがあったが、少女も慌てて頭を下げた。

「は、初めまして…」

「お目覚めになられてよかったです。ご気分は如何ですか?」

「何ともありません。ご迷惑をお掛けしました」

 勝手なことをした挙句、その場で倒れたというのに、目覚めたらこんな豪華な部屋を用意されている。素敵なロングワンピースまで用意され、もう何で返したらいいのか分からないくらいだ。

 だが、エヴァンはそうは思っていないようで。

「何を仰いますか…!聖女様のお陰で陛下は助かり、民たちは皆感謝しているのですよ!あの神々しい光を見た者は皆、傷ひとつなくなったのですから!」

 エヴァンはにっこりと微笑んだ。

 城下の民が全員無事であったこと。竜の攻撃を受けて動かなくなった者が、光に包まれると息を吹き返したこと。聖女の奇跡を目の前で見た民たちが、感謝を伝えたいと城へ押し寄せていること。そうエヴァンは話すと、襟を正した。

「……と、こんな感じです。まだまだお話したいことがありますが、長くなりそうなのでここら辺で。陛下からの伝言をお伝えしても?」

 少女が頷くと、エヴァンは手を叩いた。すると、ドアが開いたかと思えば、荷物を抱えた使用人が二人入ってくる。

「こちらは聖女様への贈り物です。聖女様の体調が良くなり次第、陛下が晩餐会に御招待したいそうです」

「皇帝陛下がですか?」

「ええ、あの皇帝陛下です。傍若無人で鬼畜な私の上司・ヴィルジール様が是非にと」

 エヴァンは箱の一つを手に取り、中から優雅なドレスを取り出し踊るように回る。そんなことをしながらヴィルジールのことを言うものだから、少女は思わず笑みをこぼしていた。

「……有り難く頂戴いたします」

「では、また近いうちに」

 エヴァンは少女の手の甲に口づけを落とすと、使用人を引き連れて出て行った。

「……聖女様…」

「何でしょう?」

 セルカに声を掛けられたので、少女は振り返ったのだが。
 セルカは「何でもありません」と首を横に振ると、届けられた贈り物を整理するべく袖を捲っていた。

「……………」

 セルカは仕事に取り掛かる前に、少女を横目で盗み見る。

 黄金色から銀色の髪になった少女からは、戸惑いや恐れといったものはもう感じられず、雨上がりの空のように晴れやかな空気を纏っていた。

少女のその変化に気づいているのは、きっと、セルカだけなのだろう。
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