亡国の聖女は氷帝に溺愛される

亡国の聖女


「──この女が例の聖女か?」

 足元に物のように転がされた少女を、その男は冷めた目で見下ろしていた。

 少女は固く目を閉ざしている。肌は薄汚れ、布切れと言っても過言ではない粗末な服を着ていた。

「間違いありません。“難民”たちが口々に申していた特徴そのものです」

「まるで雑巾のようだな」

 聖女とは、唯一無二の力を持つ女人のことである。神が選ぶ国もあれば、類い稀なる力を持つことからその地位を与える国もあるが、選ばれし者であることに変わりはない。

 本当に聖女かどうか疑わしい形なりをしている少女が、たった今男の前に連行されてきた。

 男は冷たい眼差しで少女を見ていたが、実物を見た今興味を失ったのか、静かに立ち上がる。

「適当な部屋に押し込んでおけ。ただし傷はつけるな」

「──はっ!」

 抑揚に乏しい声で言った男の顔を見ないよう、騎士たちは深く敬礼しながら去るのを待つ。

 息を呑むほど冷たいアイスブルーの瞳が、少女から逸らされる。さらりと揺れた男の髪は銀髪で、顔は彫刻のように美しい。

 男が去ると、その場にいた者たちは力が抜けたのか、次々に息を深く吐いていった。


 ここは大陸の北にある大国・オブリヴィオ帝国。その若き皇帝であるヴィルジールは、氷帝と呼ばれている。

 逆らう者には一切容赦のない、冷酷無慈悲で残忍はヴィルジールは、己の身ひとつで玉座を手に入れた男だ。

 ヴィルジールは先帝の十二人目の子だった。上にも下にもたくさんの兄弟がいたが、自身の即位の折に唯一慕ってくれていた弟の一人を除いて、全員を皆殺しにした。

 逆らう者には罰を、罪を犯した者のことは氷漬けに。慈悲の欠片もないその姿からついた渾名は、氷帝。

 皇帝になるために、実の父親をも手にかけたヴィルジールは、桁違いの魔力で人々を圧倒し、屈服させた、血も涙もない男なのである。

「──おかえりなさいませ、陛下」

 執務室へ戻ったヴィルジールを出迎えたのは、過労でふらついている側近・エヴァンだった。山のような書類を両手で抱えながら、ゆっくりと頭を下げる。
 当然、書類の山は雪崩の如く崩れていった。

「……エヴァン」

「申し訳ありません。徹夜続きで今にも召されそうなのです。私に仕事を押しつけたどこかの誰か様のせいで」

「無駄口を叩く暇があるなら働け」

 へらりと笑って、エヴァンは書類を拾い始めた。
 誰もが恐れる男を前にしても臆さないどころか、本人の前で不満を口にしているエヴァンは、この国の宰相だ。

「例の聖女様をお連れになったそうですね。どのような方でしたか?」

 エヴァンは散らばった書類を拾い終えると、紅茶を淹れてヴィルジールの前に置いた。ついでに自分の分も淹れ、ヴィルジールの執務机の側にある朱塗りのソファに身を預ける。

 ヴィルジールは紅茶を眺めながら、ぼそりと呟いた。──まるで雑巾のようだった、と。
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